子犬のワルツ

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3月14日、卒業式の準備が終わった後、2人で学校の近くにある公園に向かう。

「学校で渡せばいいのに」

寒いと柚子が文句を言う。俺はごめんと軽くいなすと、手頃なベンチに腰掛けた。

「久しぶりだったからゆっくり話したくてさ」
「ふうん」

柚子がためらわずに隣に座る。初めて一緒にハッキングをする時、隣に座るのを大分躊躇してたっけ。その変化が嬉しいし、勇気付けられる。

「とりあえず合格おめでと」
「ありがと」
「これ、ホワイトデーのお返しと、合格のお祝い」

小包を渡すと、柚子が少し複雑そうな顔をしている。

「どうしたんだよ。開けなよ」
「他の子にもあげたの?」
「あーいや、まあ、お返しくらいは」
「あっそ」

唇がむっと尖っている。拗ねている時の柚子だ。その独占欲が嬉しい。

「もしかして嫉妬してる? おまえだけだよ、他の子はみんな義理チョコ。でもおまえだけは違う。開けてみて」

本当かよと言いたげな目線で柚子が包装紙をベリベリ剥がす。箱を開けるとベルベット生地のブルーのリボンが現れる。

「匪口、これ、」
「いいからつけてみてよ」

普段アクセサリーなんて一切つけない。居心地が悪いのかつけたがらない彼女からリボンを奪い、後ろで髪の毛を一つに括る。柚子は身じろぎをするが、大人しくされるがままになっている。距離が近いからか、シャンプーの香りがほのかに漂う。俺は震える手でリボン結びにした。慣れてはいなかったが、デパートで買ったそこそこ良いやつだったからか、なんとなく様になった。

「うん。似合うし可愛いよ」

満足してうなづくと、柚子が頬を赤らめた。リボンをつけただけで、ここまで女の子の顔になるのか。

「慣れてるじゃん……やっぱ他の子にもやってるんでしょ」
「やんないよ。おまえだけだって」
「そんな言葉信じられないもん」
「目で見える形にしたら、信じてくれる?」

頬に触れたら柔らかくて、寒空の下だというのに心なしか温かかった。柚子は抵抗せず、じっと俺を見つめる。怯えるような、期待しているような、そんな顔をしていた。そっと顔を寄せ、躊躇い、頬に口付けた。

「あ、」

柚子の声は少し掠れて震えていた。

「ひ、ぐち」
「嫌なら抵抗して」

俺はずるい言葉を言うが、柚子は手を振りほどかない。俺は少し安堵し、空いた手でもう片方の手を重ねた。

「柚子。俺、おまえのこと好きだよ。この世の誰よりも特別な友だちで、」

いや、それだけじゃない。なけなしの勇気を振り絞る。

「誰よりも特別な女の子だ。こんな気持ちになったのは初めてだけど、絶対誰よりも大切にして幸せにする。だから、俺と、付き合ってほしい」

木枯らしが遠くで吹きすさぶ音に混じって、自分の心臓が脈打っている。こんな大きな音、絶対聞こえてるはず。格好つけてるのなんてバレバレだ。柚子が俺のことを信じられないような目で見つめたあと、少し考え込み、小さく息をついた。その短い時間がとてつもなく長く感じた。

「ちょっと、考えさせて」
「拒絶じゃ、ないんだ」

単純な拒絶じゃない。少しがっかりはしたが、どこかほっとしている自分もいた。

「私もあんたのこと、その、嫌いじゃない。たぶん、兄さん達以外で一番、話せるし。でも、今更、今までの生き方は変えたくない」
「変えなくてもいいよ」
「変わるよ」

柚子の瞳が揺れている。

「兄さん以外に大切なものを作ったら……私、そんなの、どうやって生きていけばいいのかわからない」
「簡単だよ。おまえは錯刃大学に行って、そのまま兄さんの会社に就職すればいい。で、俺と用事がなくても会いたいって理由だけで会って、飯食ったりふざけたりパソコンで遊べばいいさ」
「今までみたいに、ハッキングしたりして?」

柚子が俺の顔を覗き込み、どきりとする。それに関してはもう、無理だ。

「ハッキングは、できない」
「えっ」

拒絶されると思ってなかったのか、柚子が無防備な声を上げる。

「な、なんで?」
「俺は警視庁に行くからさ」
「なんですって?」

柚子の表情が一気に険しくなる。でも悪いことばかりじゃない。俺は慌てて説明を始める。

「こないだ警視庁のサーバに忍び込んだろ? あの後警察に呼び出されて、スカウトを受けたんだ。半年だけ警察学校行くけど、その後は警視庁の情報犯罪課に行って、セキュリティ強化したりタチの悪いハッカーを捕まえたりすんの。もちろん私服」
「でもだって、あんた……大学はいかないって、フリーで活動するって言ってたじゃん」
「ああ、あの時は丁度スカウトされる直前で」
「その後もいっぱい言う機会あったじゃん! そんなこと、一言も聞いてないよ!」

ああ、あえて言わなかった。今日言って、驚かせる予定だったから。でも、正直ここまでの反応は予想外だ。

「そんな怒ることかよ」
「匪口、私は兄さん達のためなら何でもするよ」

柚子が距離を取り、体温がすっと離れていく。

「そのために今サラ金でハッキングも集金もしてるし、伝手を辿って未認可の射撃場で訳のわかんない男から射撃も習ってる。兄さん達の勤める信用会社も、裏ではえぐいことたくさんやってる。私はそういうところでそういうことをしてるし、する覚悟も持っている。法規違反を取り締まる刑事さんと仲良くできると思う?」
「出来るさ、むしろ、」
「出来ないよ、私が出来ない」

柚子の体から敵意が滲み出ている。

「生きる世界も価値観全然違うのに、どうやって仲良くするっていうの? 私がハッキングするのを隣であんたは指咥えて見てるわけ? 人を殺して帰ってきた時、あんたはその笑顔で私を抱きしめられる?」

柚子のあまりの剣幕に、一瞬言葉を失う。それを答えと受け取ったらしい。泣きそうに顔を歪めると、リボンを乱暴に外し、「これはもらえない」と俺に押し返した。

「あんたとは世界が違う。あんたは表でもうまくやってけるし、人に愛される。刑事にでもヒーローにでもなればいい。でも私は違う」
「他人なんてどうでもいい、俺はおまえに」
「やめてよ、もう聴きたくない」

柚子の瞼がひくついている。こんな感情を露わにした様子を見るのは、初めてだった。

「兄さん達以外にうつつを抜かした私が馬鹿だった。こんなことなら、あんたを、好きに……」

ふいと顔を背けると、ベンチから立ち上がる。

「柚子、」
「近寄らないで」

背を向けたまま柚子が俺に向けてすっと右手を突きつけた。その黒光りする物体を見て動きが止まる。眉間に突きつけられているのは銃だ。

「こんな至近距離なら絶対外さない」
「……嘘だろ」
「嘘じゃない」

最近聞くことのなかった抑揚のない声。

「兄さん以外の人間なんてどうでもいい。あんたなんて、簡単に殺せる」
「撃てないよおまえには、だって、」

パン、と軽い爆発が空間を切り裂く。銃口が硝煙を上げており、俺は後ろを振り返る。大木の肌にはさっきまで存在しなかった丸い焦げ跡が黒い闇を放っていた。

「次は本当に外さない」

柚子が冷たく言い放つ。銃を持つ右手は、微かに震えていた。

「もう二度と、私に顔を見せないで。この裏切り者」

彼女の拒絶の言葉に俺はもう何も言うことができなかった。銃を持った手を下ろすと、振り向きもせずに立ち去っていく。
小さくなっていく柚子の後ろ姿を見つめるまま、俺は動けなかった。脳に今までの思い出が走馬灯のように溢れ出してきたからだ。両親に関心を向けてもらえない日々、天井からぶら下がる2人分の肉塊。ずっと望んでたはずの平穏で空っぽな学校生活、プログラミングに打ち込み八つ当たりのようにハッキングを繰り返していた日々。柚子の冷たい目、仄暗い噂、惚気、放課後のマック、拗ねた顔、まっすぐな眼差し、そして最近見せてくれるようになった、柔らかい笑顔。

やっと、やっと、ここまで来れたのに、ここで終われるかよ。

「柚子、」
「まァ待てよ」

叫び腰を浮かせた俺の肩にポンと置かれた手。その声になぜかひやりとする。ベンチにぺたりと尻をつける。

「妹が世話になったな。礼をさせてくれよ」

耳元で男が低く囁く。聞き覚えのある声に、じりじりと力を込められて悲鳴を上げる肩。知ってる。こいつは柚子のアニキだ。

「落ち着くんだ、ユキ。怖がっているじゃないか」

猫なで声とともに長身の男がベンチの片側に腰を下ろした。きっちり撫で付けた黒髪に面長な顔、下がった目尻とつり上がった口角。

「アニキ」

ユキ兄と呼ばれていた男は不満気な様子だ。肩に食い込ませた指は離さないままだ。そうか、似ていると思ったけど、黒髪の男が一番上のアニキ「久兄」で、淡い髪の男が二番目のアニキ「ユキ兄」か。

「時間がないんだ。5分で片付けるぞ」

弟にそう伝えると、アニキがこちらを見て「さて、匪口結也くん」と口角をぎゅうっと吊り上げた。

「我々と少しお話をしようじゃないか」
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