子犬のワルツ

□放課後の変遷
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ユキ兄が先月から久兄の会社で働いている。おまえの力を貸して欲しいなんて言われて、ユキ兄はもう有頂天。ユキ兄が嬉しそうなのは私も嬉しい。
でも、「私も頑張る」と宣言しても、「おまえは頭がいいんだから、もっと良いところがあるさ」なんて言われるのは気にくわない。頭なんて良くないよ、兄さん達のために努力してるだけ。兄さん達の役に立てなきゃ意味がないのに。
勉強を頑張っても、褒めてはくれるけど、多分戦力としては認めてくれない。役にも立てない。
知識は必要だ。社会的経歴もあれば文句言わせない。でもそれだけじゃ足りない。純粋にパワーが必要だ。
普通のバイトをして稼いだお金でプロを雇って体も鍛えたけど、これじゃ足りない。女っていうだけでハンディキャップがある。現場慣れすることもそうだけど、ゆくゆくは銃が欲しい、そのためには裏社会への理解とコネが必要だ。




「だからこちらで雇っていただきたいんです」

色素の薄い髪に同色の涼しげな瞳。早坂柚子と名乗るその女は淡々と説明した。敬語も使い姿勢も悪くないのに全然礼儀正しく感じられないのは、強者への媚びも恐怖も見せないからか。なんにせよ異質だ。ヤクザの事務所に乗り込んで雇ってくれと言う女子高生なんて、気味悪ィ。

「ふーん。おまえ、いくつ?」

社長がジロジロガキを眺める。副社長は困惑を隠さず遠巻きに見てはいるが、社長はそんなことはおくびにも出さない。

「16になります」
「はっ」

まだまだケツの青いガキじゃねーか、と呟いたのが聞こえたらしい。ガキにジロッと睨まれる。

「何か?」
「残念だがウチは保育所じゃないんでね」
「お守りをしてもらいに来たわけじゃなくて、労働力を切り売りしに来たんですけど」
「ションベンくさいガキに出来ることなんてねーよ。帰ってアニキに甘えてろ」
「デスクワークなら多分あんたより出来ると思うけど」

ガキが口の端を歪める。完全に馬鹿にされた。
俺はカッとなり、顔のギリギリをポッケに忍ばせていたナイフを投げつけた。ちょっとした脅しのつもりだった。
ポスッ。ナイフがかする前に彼女の眼前でクッションに絡め取られる。ガキの手元には犠牲になったソファと同色のボロいクッションが綿を出している。

「社長。言っておくけど、これ、私のせいじゃありませんからね」

あーあ、と言ってみせるガキに、俺は我を取り戻す。反応速度も速かったが、多分こいつは準備をしていんた。自分が襲われる可能性を考慮し、家具の配置を計算した上で今の位置に座っている。クッションもわざわざ自分の手元に近づけたし、広いソファなのにわざわざ鉢植え側に座っている。銃を取り出した時はそれで対応しようとしていたんだろう。
何よりも、自分がナイフで狙われたにも関わらず動揺した姿を見せていない。内心は分からないが、その歳にしては顔に出さないだけでも上出来だろう。

「飼い犬の躾はきちんとしたほうがいいんじゃないんですか?」
「あ?!」
「言うねェ」

事もあろうか社長はくつくつと笑い、俺はますます不機嫌になる。

「嫌味くらい許してくださいよ。ナイフ投げられたんだから」

流れるような動作で鞄を開けると、一冊のファイルを取り出し社長に手渡した。

「なんだこれ」
「あなた方の取引先の中で、隠れて多重債務を抱えている人たちのリスト12件。15ページ目からは粉飾決算に手を出してる会社のリスト3件。最後の一件は自己破産しようとしている会社1件。特に最後の1件は、社長が岩手へ夜逃げの準備をしているみたいだから、早いとこ押さえておいたほうがいいと思いますけど」
「なんだと?」

鷲尾さんが立ち上がり書類を確認する。俺も遠目に覗き込むが、何やら字が細かくて分かりにくい。

「どうやって調べた?」
「中小企業の場合、財務諸表を見れば大体分かります。同族経営の取引内容なんて穴とごまかしばかりだし。あとはガードの固い大企業とかでなければ、情報は見ようと思えば見られるので裏を取って終わり」
「自信は?」
「なければ出さない」
「そーか」

社長が長く息を吐くと、「吾代」と目配せをする。

「言って確かめてこい」
「はぁ? そんなガキの言うこと信じんのかよ!」
「書類に根拠があるから信じたんだ」

ファイルをバタンと閉じて鷲尾さんに渡すと、手を組んだまま少し前のめりになった。

「お嬢ちゃん、こいつは馬鹿とは言え、一応ウチの社員だ。派犬には人犬費がかかる。元が取れなかったらどうなるか分かるだろうわん?」
「社長、なんか発言に悪意ないか?!」
「雇ってもらうなら、週4回3時間から嬉しいわん」
「てめーも乗るなや!」
「うるさい。それと、給与体系としては……」

クソ、もう入る気満々かよ! 俺はクソ生意気なガキに中指を突き立てた。

「見てろよ! デマだったらとんでもなく痛い目に合わせてやっからな!」

その後血管のブチギレた俺が向かった1件目では、取引先の社長が引越し業者に夜逃げの手配をしているところにばったり遭遇した。いつも以上に暴れまわった挙句調度品を壊して社長に怒られたのは、あのクソ生意気なガキのせいだ。
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