子犬のワルツ

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「そこでな、望が箸を落としてさあ!」
「ははっ、ばっかじゃねーの!」

 まるで落語のオチでも言われたかのように、周囲がどっと沸く。俺はそれに合わせて口の端を吊り上げて笑いを漏らした。「何それ、超ウケる」と、心にもない言葉を呟く。笑いはまだまだ続く。耳障りだ。こっそり、机に張り付く細い背中に視線を送る。彼女も、この笑い声をうっとうしいと感じているのだろうか。

 体育祭で柚子と喧嘩してから、一週間が経過した。俺は、何も気にしていないし、柚子なんかいなくてもちっとも寂しくないと言わんばかりに、他のクラスメイトとはしゃぎまくった。目立っているいくつかのグループに気まぐれに顔を覗かせては、気の効いた冗談を言ってみせたり、ちっともつまらないことでも大袈裟に笑ってみせたりした。呼吸さえ合わせていれば、柚子がいなくても、それなりに楽しく過ごすことも、仲間意識を共有することもできるのではないか、と思った。

 勘違いだった。ちっとも面白くない。話は稚拙だし周囲の笑いにもまったく溶け込めない。むしろ、面白いと思えない自分の存在が逆に浮き彫りになっていくような気すらした。

 柚子といたときは違った。あいつは兄さんや人間の感情に対しては馬鹿だけど、そのほかの話はレベルが合う。ぶっちゃけその馬鹿なところさえ愛おしい。からかい甲斐のある、俺だけの大切な友人だった。

「ばっかだなぁ、おまえも。そんなんじゃ女の気、引けるわけねーだろ」
「馬鹿、俺に落とせない女はいねえんだぞ」
「じゃあ望、早坂はどうだ?」
「いや、さすがにあれは無理だろ。俺だって命は惜しいよ」
「良いからやってみろって」
「いや、どっちにしろ匪口にしか懐かないだろ。なー匪口」

 話の矛先を向けられ、「ん?」と返す。

「おまえ、どうやって早坂と仲良くなったんだよ。教えろよ」
「それ、佐々木にも言われたな」

 誰が教えるかよ。心の中では舌を出す。

「別に、フツーに話しかけただけだけど」
「それ、マジかよ? 匪口が相手だからじゃねーの?」
「ていうかさ、おまえと早坂、デキてんの?」
「馬鹿、なわけないじゃん」
「いや、だって、おまえらずっと一緒にいんじゃん」
「あ、でも最近は一緒にいないよな。喧嘩?」
「いや、別に。ただちょっと」
「ただちょっと?」

 ――ただちょっと、いつまでも兄さん離れしない柚子に、素直になってくれない柚子に、

「腹が立っただけ、だったのに」
「え?」

 怪訝に聞き返すクラスメイトには目もくれず、俺は立ち上がり駆け出した。

「悪い、俺帰るわ」

 俯いて勉強を続ける彼女にもこの言葉が届くよう、やや声を大きくしながら。





 学生に余分な金はない。俺たちは基本的にいつもマックでインターネットの世界を駆け巡り、時には同じWi-Fiを使う人間にすぐ誤解の溶ける無実の罪をなすりつけていた。
いつもの席で2人分の飲み物とポテトを購入すると、コンピューターの電源を入れ、彼女の携帯にメールを一本送る。侵入はすぐ「成功」した。彼女の地図アプリに侵入し、GPSの場所を確認、くすりと笑う。一本後の電車にでも乗ったんだろう。行動が早いことだ。

「……匪口」

数分後、柚子がお盆に2人分の飲み物とポテトを乗せて現れた。俺は思わず吹き出してしまう。

「考えること一緒かよ」
「うるさい、なんであんた同じもの買ってんのよ」
「おまえより早く来てるんだから、俺が買ってるに決まってんじゃん。てか、来るの早すぎ」
「うるさいわね」

 盆を乱暴に置くと、携帯の画面を突きつける。

「趣味の悪いメールを送りやがって、私AVなんて見ないし、こんなんに引っかかるほど馬鹿じゃないし」
「AVの大手メーカー知ってるヤツの言うセリフじゃないな。つか、メールきてすぐ開けたくせに」
「開けてやったのよ」

乱暴に俺の隣に座ると、腕を組み睨みつける。俺はあえて何も言わない。長い沈黙が2人の間に横たわる。

「……嘘ついた」

 やがて、彼女がぼそりと呟く。

「ん」
「この間の、ことだけど」
「うん」

 柔らかく先を促せば、彼女は口を引き結び、開き、息をつき、目を伏せ、たっぷり逡巡する。その後、ようやく意を決したように俺と視線を合わせた。

「私は、その……別に、あんたのこと嫌いじゃない」

 小さな声で、けれどはっきりと発音する。俺も小さく「うん」とうなづいた。

「うざく感じるときもたくさんあるけど、多分、他の人よりも気が合うし、ちょっとだけだけど楽しいと感じるときもあるし」
「……うん」
「私が兄さんのことをどう思っていようが、どういう人生を送ろうが、あんたには関係ないと思ってるし、それに口出しされたのは、すごくむかついたし、それに反応しただけなんだから、私は悪くないと思ってる」

 ふてぶてしい口調でそこまで一気に言い切った後、再び小さな声で「……でも」と呟いた。

「あんたも、悪く……ないのかも。その……………………ごめん」

 ノミより小さい声で呟く柚子に、愛おしさが募る。正直、ここまで反省を見せるとは思っていなかった。ごめん、の声は正直小さすぎると突っ込みたいけど。
 何より、兄さん達以外には懐かないこいつが、ここまで頑張ったんだ。少しくらい折れてやっても、ばちはきっと当たらない。

「よく言えました」

おどけてそう言うと、柚子の顔がほっと緩んだ。

「まー正直おまえのブラコンは今に始まったことじゃないしな。水に流してやるよ。俺もおまえがいないとつまんないし。はい、仲直り!」

 柚子が恐る恐る俺を見る。俺はにっこり笑ってみせた。彼女の表情がふっと緩み、口が緩く弧を描いた。

「……うん」

 その声に安堵と喜びが含まれているのを感じ取る。成長したな、と思う。以前の彼女なら、他人と妥協することも、兄以外の人間と関係性を維持したがることも、こうやって素直に感情の一端を見せることもしなかっただろう。いや、この場合は進展というべきか。
 今なら、娘の成長を喜ぶ親の気持ちがよく分かる。湧き上がる庇護欲と愛情にいてもたってもいられなくなり、俺はつい彼女の頭に手を伸ばした。

「よしよし、よく頑張ったな」

 あやすように髪の毛を優しく撫でれば、柚子の肩がびくんと揺れる。驚いたような状況が把握できていないような表情で俺を見上げる。

「……え、は、ちょっ、何触ってんのよ!」
「頭なでてやってるだけだっつーの。そんなに照れるなよ、かわいーな」
「う……うるさいっ」

 あれ、と思った。以前かわいいと言ったら、気持ち悪いと真顔で返されたのに。
 これは、もしかすると。

「……いや、まさかな」

 首まで赤くなっている柚子を見ながら、俺は呟く。彼女はそれに気付いているのかいないのか、普段以上にぶすっとした表情で「ポテトはあんたが責任とって食べなさいよ」と尊大に命令した。やれやれ、話を逸らされてやるか。俺は口の端を釣り上げ、「はいはい」とポテトに手を伸ばす。

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