子犬のワルツ

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「四つ星銀行のサーバに侵入したことある? 他の銀行はいけるんだけど」
「あーあれね。あそこは金かけてるから普通に入るんじゃキツいよ。社員の教育も徹底してるし」
「でも、あそこのデータベースに潜り込めればだいぶ仕事が楽になるんだよね。やっぱ銀行の取引先を経由で忍び込むしかないかな」
「それでも良いけど、あそこのシステム作ってんのUVNだからさ、その子会社から入った方がいいと思う。最近合併したばっかで社内体制がガタガタだから、ガードも緩いと思うよ」

午後、学校帰り。坂道を下りながら俺たちはハッキングトークに花を咲かせる。あの日以来、柚子と俺は2人でいろんな会社のデータベースをいじくりまわしたりHPを乗っ取って悪戯をしたりプログラミングの話をしたりして、放課後に一緒に行動することが増えた。柚子の「バイト」や「練習」があるから毎日ではないけれど、日に日に一緒にいる時間が増えている気がする。
「俺なんかと遊んでて良いの?」とからかった時は少し考えた後、「これも勉強だし仕事のうちだから」とツンと答えていたが、確実に口数も笑顔も増えていて素直じゃないなあと俺は笑いを堪えている。

「何よ、ニヤニヤして」
「んー、何でもない。それより今日はそのデータベースに潜り込んでみる?」
「私の仕事だしあんたを巻き込むわけには」
「俺が証拠を残すようなヘマをすると思う?」

一緒に居られる時間も増えるかな、なんていう打算もある。柚子は事務所では、情報収集や調査を行い、相手の弱みや隠し事を見つけ「交渉」を「円滑化」する仕事を中心にやっているらしい。やっている内容はスリリングだし、俺の火遊びにも似ている。正直こんなに話の合う奴とは思っていなかったし、一緒にバカできるのは、純粋に楽しい。柚子も少なからずそう思ってくれてると思うし、技術に関しては多分俺に一種の敬意を払ってくれているとも思う。こんな貴重な仲間と過ごす時間、できれば逃したくない。

「悪くないけど……今日は兄さん達の夕飯を作ってあげたいんだよね。多分2人とも、最近忙しすぎて全然食べられてないから」
「出たよブラコン。そんなの大人なんだし自分たちでなんとかするっしょ」
「でもユキ兄はまた作ってって言ってたし」
「ブラコンは否定しないのな」

兄さんというワードに彼女は弱い。でも、仕事に絡みつつ俺と楽しい時間を過ごせるのも彼女的には魅力的らしい。後ひと押しかな。そう思って口を開いた時。
後ろから大きなエンジン音とともに、黒いセダンが近寄ってきた。

「危ないっ」

咄嗟に柚子を白線側に庇う。でも、腕を掴まれた柚子が「ちょっと、触んないでよ」と顔をしかめたので、泣きたくなった。
車がピタリと俺たちの隣に止まる。

「おい」

 窓から柄の悪そうな男が顔を出した。金髪に浅黒い肌、鋭い目つき、それに唇にはピアスまでしている。
どう見ても「まともじゃない」し、できれば関わりたくない。けど、自分は仮にも男だし、隣には柚子もいる。俺は怯えを隠し、「何か?」と首をかしげてみせた。

「てめーじゃねーよ、てめーじゃ」

 男が不機嫌そうに歯をむき出す。その言葉にもしやと思い隣の柚子を伺い見れば、やや驚いたように眉を吊り上げていた。

「吾代さん」

 他人に関心の薄い彼女が名前を呼ぶところを見ると、どうやらこの男と知り合いらしい。交流関係の狭い柚子のことだ、俺はすぐにピンときた。たぶん、バイト先の上司か何かだ。

「何でここにいるの?」

 いや、やはり同僚なのかもしれない。そう思ってしまうくらいに柚子の彼に対する態度は無遠慮だ。ちゃんと働きなよ、と呆れたように肩をすくめる動作は、上司にするものとは思えない。癪に障ったのか彼は「うっせえ、俺は真面目に働いてんだよ!」と喚いたが、彼女は一笑に付す。

「暴れてお金がもらえるなんて良い仕事だよね。まさに適材適所」
「うっせ! 俺はちゃんと集金に貢献してんだよ! んッ当にむかつくなおまえ!」

 ひとしきり怒鳴り散らした後、吾代は鋭い目つきで俺を見た。

「あと誰だよそいつ」
「ども、こいつの友だちです」
「あんたは黙って。そんなんじゃないから」

 口を挟めばべしりとはたかれる。だが吾代は柚子より俺の発言のほうに納得したらしい。頭の天辺からつま先までジロジロと無遠慮に眺める。

「へえ、おまえにダチなんかいたのかよ。超絶無愛想なブラコン野郎のくせに」
「友だちなんかじゃないってば」
「そいつはそうは思ってはないみたいだけどな?」

 俺は、言うまでもなく、こんなガラの悪い兄ちゃんにガンつけられることに慣れてるわけじゃない。妙な居心地の悪さで萎縮してしまいそうになる肩を叱咤し、わざと胸を張ってみせる。上手く装えているだろうか。

「弱そうなヤツとつるみやがって」

 ようやく口を開いた吾代は、「こんなんのどこがいんだか。殴ったら一発で殺せるぜ」と物騒なことを口にする。柚子は面倒くさそうに「ちょっと、ここで暴れないでよ」と眉を潜めた。

「あ? 暴れたりはしねーよ。……でもよォ」

 吾代の目が鋭く細められる。拳を振り上げられたような、そんな恐怖が背中を走り、思わず体が引けてしまう。肩が柚子の体と触れ合う。

「こいつのせいなんだろ? おまえがバイトの時間減らしたの」

 男は車の中にいるのに。俺を殴ろうとしても、その前に逃げ切れるはずなのに。ゾッとする感覚はどうしても拭えず、首筋に冷たい汗が伝う。今すぐにここから逃げ出したい気持ちに駆られる。
 でも、隣には柚子がいる。彼女に格好悪い姿なんか、絶対見せられない。逃げるもんか。

「見境なく噛みつくんじゃねぇよ、馬鹿犬」

 そのとき、別の男の声がこの痛い沈黙を破った。まるで葛藤する俺に救いの手を差し伸べるようなタイミングだ。思わずほっと息が漏れる。

「そんなんじゃすぐ女に愛想つかれるぜ」
「誰が女のケツなんて追いかけっかよ!」

 後部座席の男に目を向けた。吾代よりも少し年上か。整った目鼻立ちに落ち着いた黒髪、しかし頬には大きな傷跡がある。じろり、と黒い双眸が俺を捕らえる。庇われているはずなのに、肉食動物が獲物に狙いをつけられたかのように背筋がぞくりと震えた。

「社長まで。どうしたの?」
「集まりの帰りにたまたまおまえを見かけたら、この駄犬が騒ぎ始めてよ。男連れだ、最近バイトを減らしたのはこいつのせいだって、うるせーのなんの」
「おい、やめろ! ンなこと言ってねー!」
「言ってたじゃねーか」

怒りか羞恥か、吾代の顔は真っ赤だ。隣で柚子が興味なさそうにため息をついた。

「吾代さんのことなんてどっちでもどうでもいいし、もう行っていい? 一回家に帰って、兄さんたちの分の夕飯を作りたいの」
「あははだっせー、振られてやんのー」
「うるせえ! 俺だってこいつなんてどーでもいんだよ! クソが! 行くぞ!」

吾代が頭を一瞬引っ込めかけーー「おい」と俺にガンつけた。

「あ……あはは。何か?」
「こいつのことなんかどーでもいいけどな、てめーとこいつは住む世界が違うんだ。友達ごっこもほどほどにしとけ。こいつがバイト減らして遊び呆けてるせいで集金効率悪くなって迷惑被ってんだよ」

 何だよ、それ。高圧的な態度にむっとする。

「ちょっと、あんたに何の権限があって、そんなことを言われなきゃいけないわけ」

 丁度、俺の考えていたことと全く同じことを柚子が口にした。俺も吾代も驚いてそちらを見やる。彼女は反抗する子どものようにぐっと男を睨みつけていた。

「遊んでないし、やることはやってるし、そもそもあんただって、私の顔見なくて清々するって言ってたじゃない」
「うるせー!」

 吾代が癇癪を起こし、車が少し揺れた。

「男が出来たからって調子付きやがって!」
「男じゃないし、ていうか、そろそろ声のトーン下げてもらっていい? 私、馬鹿みたいに騒がしい男、嫌い」
「きら……」

 一瞬、吾代が顔面蒼白になった。心底ショックを受けたように表情を固まらせたあと、やがてすぐに立ち直り、「う、うっせえ、別に俺だっててめーみたいなガキ好きでも何でもねえんだよ、このじゃじゃ馬が!」と怒鳴り散らす。それに柚子が面倒くさそうに返事をし、さらに吾代が、と二人のやり取りは白熱していく。
 置いてけぼりになった俺はしばらく二人を傍観し、それからぷっと噴き出した。
 ガキみたいに喚き散らしてるけど、吾代は多分柚子が嫌いじゃないんだろう。でも、柚子は他人の気持ちや行動の裏にある感情を読み取るのが極度に下手な人間だ。なぜ吾代がこんなにもいちいち感情を高ぶらせているのか理解していないに違いない。きっと彼女にとっても吾代は嫌いではないけれど、何かあれば突っかかってくる面倒くさい程度にしか思ってないはずだ。おそらく適当に言葉をぶつけてあしらっているのだろう。そしてその言葉を本気と受け取りますます吾代が激昂する。
 きっとそんな応酬はこれまでに何度も繰り返されてきたんだろうし、それにも関わらず彼らはお互いを理解することのないまま飽きることなく喧嘩を続けることになる。全く、バカな奴らだな、と表情を緩めれば、後部座席にいた男――社長が俺をじろりと見た。すっと笑みが引っ込む。

「何か言いたげな顔だなあ」
「いやァ、青春だなァって思って」

 社長の瞳からは意図や思考が全く読み取れない。俺は注意深く言葉を選びながら答える。

「そりゃまあ、それなりに楽しいけど」
「そーか」

 社長もゆっくり答えると、口の端を挑戦的に吊り上げた。

「でも、春はいつまでも続かねーからな」

黒曜石のような瞳がギラリ光り、俺はごくりと唾を飲み込む。これは脅しだ。

「何で俺にそんなことを?」
「あいつは馬鹿だがな、もしおまえに勝ってることが一つだけあるとすればな」

 社長の切れ長な目が今もぎゃーぎゃー口喧嘩している二人に一瞬向けられる。つられて俺もそちらへ視線を寄越した。柚子が生意気な表情を浮かべ吾代の揚げ足を取っている。

「あいつが望む世界で、あいつのことを守ってやれる力を持ってるってとこだな」

ーーあいつが裏の世界に進んだ場合、おまえにあいつを守る力はあるのか?

「俺は……」

俺は人当たりはいいが、体は現代的なもやしっ子だ。たとえば吾代みたいな、あんな体格の人間にいちゃもんつけられたら、多分助けることは難しいだろう。
でも。
ここ数日一緒に過ごした時間が脳裏を過ぎり、俺は社長をまっすぐに見返す。怖いと言えば嘘になるが、引けを取っているつもりもなかった。

「俺は守れるかどうかは分かんないけど、あいつが自由に泳げる力は与えてやれているつもりだし、何であろうと、俺の友達ってことには変わりないよ」

結果的に俺の技術は、彼女の武器になっているはずだ。それは彼女自身も望んでいること。
じっと見つめあったあと、社長が軽く息をつき、緊張が少し緩まる。

「そうか。悪かったな。俺も身内が一番と思いたいもんでね」

 余裕の表情を浮かべると、社長は「そろそろ黙れ、吾代」と前の座席を蹴った。吾代は切れたように「あァ!?」とすごんだが、しぶしぶエンジンをかける。社長が「おまえも乗れ。送ってやる、その方が早いだろ」と声をかける。彼女は「はーい」と大人しく返事をすると、俺には一言「じゃ、また」素早く乗り込んだ。排気ガスが勢いよく噴出され、車が走り去る。
 一人道端に残された俺は、その後姿をぼうっと見守る。頭の中で何度も先ほどのやり取りが反芻される。

「住む世界か」

バイト先のことはなんとなく噂や彼女の言動の節々から知ってはいたが、学校外でのあいつやそこでの人間関係を直接見せつけられたのは初めてだった。
あいつは俺と話す時みたいに笑うこともあるんだろうか。一緒に仕事をして楽しんだり苦難を乗り越えて絆を深めたりしているんだろうか。

学校では間違いなく俺が一番だろうが、ちょっと油断してたかな。
できるなら、あいつの大好きな兄さん達の次くらいに、俺のことを良く思っていてほしい。甘い春にすがる俺をあざ笑うかのように、ジリジリと太陽が背中を焦がしつけた。

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