Drowing You.
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「176cm」
ナポレオンの背を測っていた先生がそう呟く。ナポレオンが「よしっ!」とガッツポーズをした。
「ナポレオン、また伸びたねぇ」
「史実より随分大きいな」
「うわっ、こいつ! ニセモノだったんだな、ニセモノ!!」
「ふっふっ……」
一休が指を突き立てれば、ナポレオンは優越感に浸ったようににやりと笑う。
「何とでも言いたまえ、伸びなかった諸君」
「はぁ……」
160cmいかずして止まっている自分の身長を嘆いて溜め息をついたその瞬間。
ふと、さらさらした長い髪が視界に入ってきた。
「あ、モーツァルト」
楽譜を見つめながら歩く彼を呼び止めると、モーツァルトは一見機嫌のよさそうな笑顔で「やあ、しおん」と返してくれた。彼の髪の毛も金髪で綺麗なウェーブだ。羨ましい。
「身長はもう計ったのかい?」
「うん、まあね」
あんまり伸びてなかったけど。そう言ってはぁっと溜め息をつくと、モーツァルトは身長を測るようにわたしの頭に手のひらを乗せた。
「まあ、君は確かに小さいけど、いいんじゃない? 女の子なんだし」
「でも、女の子でもナイチンゲールやマリは……」
言いかけて、ぱっと思いつき、「そういえば、マリのこと聞いた?」と聞きなおす。
「マリ? 何のことだい?」
「音楽の勉強をさせて貰えるようにって、転校したんだよ。すごい喜んでた!」
「あぁ……そうなんだ」
確か、マリにピアノを教えたのは君だよね。そう言って首を傾げれば、彼は無言で意味ありげに微笑した。
「それにしても、転校なんて出来るんだね」
「うん! わたしが父さんに頼――」
フロイトの視線を感じ、慌てて口をつぐむ。いけない、父さんの話題は極力出さないよう決心したつもりだったのに、もう忘れかけてる。しっかりしなきゃ、自分。そう再び自分を戒めた時。
「――くすっ」
モーツァルトが、笑った。
「ほんっとに音楽やりたかったんだねぇ〜。感心感心――」
口元に拳を持っていき、くすくす笑い続ける。その笑いに違和感を覚え、わたしは思わず「へ……」と間抜けな声を漏らしてしまった。
「そういや、ピアノ教えてってあまりにしつこいからさ、
――あげるよって言ってスコアを二階の窓から全部バラまいてやったの」
――あっ、ゴメン!
――ううん、大丈夫。私、拾ってくるね。
それを聞いて、わたしは思い出す。初めて聴いたマリの演奏が、最後不自然に終わっていたことを。
「あれっ? 一枚足りないかな……?」
モーツァルトが彼女の真似をして高い声を出し、再び笑った。
「足りないのは当たり前だよね。だって、僕がその一枚を持ってるんだもん」
馬鹿だよねぇ。いや、でも確かに健気だったかなぁ〜?
そう悪気もなく呟くモーツァルトにカァっと腹が立つ。
「君――何でマリにちゃんと教えてあげなかったの!!」
くすくす声が大きくなった。
「ばっかだなぁ〜。そんなマリ・キュリーに、全然ない」
モーツァルトがまっすぐわたしを見る。その瞳が灯す光にゾっとした。
――彼は、こんな目をする人間だっただろうか。
「マリ・キュリーっていったら、放射能? ラジウム? そういうの研究してるもんなんじゃないの? 僕、その辺は詳しいことよく分かんないけどさ、」
モーツァルトが眉を八の字にして笑う。
「じゃないと、マリ・キュリーって言わないよね」
哀れみと侮蔑の色を含む彼の笑みが、怒りと悲しみによって、わたしの恐怖で強張った体を内側からほぐしていく。
「なんなんだろうね、アレは」
そう言ってモーツァルトが言った瞬間。
わたしは耐えられなくなった。
「しおん、」
フロイトが制止するように声をかけた時には既に。
――ガシャーン!
モーツァルトに突進し、壁に押し付けていた。
「何やってんの!」
ナポレオンや一休が驚いたように上げる声や、誰かが先生を呼ぶ声が遠くに聞こえる。
「マリは……」
――モーツァルトとかに、生まれたら良かったな……私……。
「マリはすごい一生懸命で……君に憧れていたのに……!」
確かに、クローン・マリ・キュリーの作られた目的は、オリジナルの研究の補完と言うことができる。マリ・キュリーがマリ・キュリーでいられる由縁は、オリジナルの研究をすることによってであり、音楽を追究してしまったら、彼女はクローン・マリ・キュリーとしての存在価値を失うことになるかもしれない。
だけど、彼女はその危険を冒してまでして、音楽の道へ進んだ。
「なのに……っ」
それを分かろうともしないでそんな言い方をするなんて――
「――放せよ」
モーツァルトが呟いた。
その瞬間、胸をものすごい力で押し返され、思わず悲鳴を上げた。三メートルほど飛ばされたところでナポレオンが後ろから支えてくれる。それでも勢い余ってシリモチをついてしまった。
「おい、よせよ! 女の子なんだぞ!」
ナポレオンの怒鳴り声など聞こえないかのようにモーツァルトは服をパンパン払うと、わたしをギラギラした目で睨みつけた。
「触るなよ、ただの人間が!!」
「ただの……人間……?」
「僕は選ばれて二度生を受けた“神童”なんだっ! 君のようなのに触れられただけで穢れるんだよ!! クローンじゃない君なんかにね!!」
信じられないような思いだった。あまり一緒にいたわけでもないが、たまに音楽室で会うと、彼はそれなりに親切にしてくれていた。そんな彼が、こんな暴言を吐くなんて――
「覚えておいてくれたまえ!!」
踵を返すと荒々しくドアを開け去っていく。ピシャリと音を立てて閉まったドアに向けて、一休が「ナニアレ……」と呟いた。