ユキ連載BOOK
□採用させて、
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「アニキッ」
「どうしたんだ、ユキ。そんなに慌てて」
息を切らせてバーの元に飛び込んだ俺を不思議そうに振り返るアニキ――と、見知らぬガキ一匹。 俺はガキは無視して、アニキに一枚の紙きれを突きつけた。
「何だよ、このポスターは!」
――楽しい仲間と働きたい!
短時間でがっつり稼ぎたい!
死ぬほどのスリルを味わいたい!
そんなあなた!今すぐ03-××××−××××に連絡だ!
有限会社笑顔は、あなたの応募を待っている!
一見よく分からないが、これは要するに、アルバイトの募集だ。カラオケのトイレのドアによく貼ってあったりする、アレと同じ類のものだ。
それは理解できる。
だけど、アニキが勝手にアルバイトの奴を募集していたことは、理解できない。
「何で他の奴募集すんだよ! 俺とアニキさえいれば十分だろ? それに何だよ、この怪しさ満点のうたい文句は。こんなんじゃ絶対誰もこねーって!」
「何だ、今日はやけに威勢がいいな、ユキ」
アニキは食い下がる俺に動じた素振りを見せず、ゆっくりと煙草の煙を吐き出した。
「安心しなさい。別におまえが使えないから雇うわけじゃない。むしろおまえはよくやってくれている、自慢の弟だよ。ありがとう」
「……ずるいぜ、アニキ」
そうやって、俺の不安を見透かして、それをあっという間に解消することができるんだから。そんな風に手放しに褒められちゃ、怒るにも怒れないじゃんか。
「それに、うたい文句について心配はいらない。ちゃんと、志願者はいたのだからね」
「志願者……?」
俺の疑問に答えるように、アニキの視線が横に向けられる。つられて、俺の視線もスライドされ、隣にいる小さな女の子に向けられた。 俺よりもはるかに小さい背中。細くて柔らかい、ガキみたいな髪。俺をまっすぐに見上げる大きな瞳。あどけない笑み。中学生だろう。
でも、中学生が、何でこんなところにいるんだ? ここは、俺達のアジトだし、入り口は裏路地に面しているから迷子で入ってきたってのはないだろうし。
――「ちゃんと志願者はいたのだからね」
不意に頭の中で再生される、アニキの声。瞬間に閃く、一つの考え。まさか、まさかとは思うが、
「こいつが志願者?」
げんなりした顔を向けると、アニキは苦笑いを浮かべてうなづいた。その隣では、中学生がこの場所にそぐわない、機嫌のよさそうな笑みを浮かべている。ニコニコと擬似音がついてきそうな、満面の笑みで。
「こ……こんなガキが」
「ガキじゃないもん、もう十分大人だもん」
「君は黙ってなさい」
「お口チャック?」
「お口チャック」
アニキがそいつの真似をして口にチャックするしぐさをした。俺は何だか見てはいけないものを見てしまったような、申し訳ない気持ちになった。
「で、何の話だったかな?」
「そいつの話だよ。どういうことだよ、アニキ」
俺は隣で大人しくオレンジジュースを飲んでいるそのガキを指差しながら声を荒げた。
「俺達はワルなんだろ? 金の為なら何でもやる裏社会の住民なんだろ? いつから俺達はベビーシッターになったんだよ!」
「ユキ、少し落ち着きなさい」
俺を手で制すると、アニキは悪いことをたくらんでいるようないつもの笑みを浮かべてみせた。
「まぁ確かに私も正直こんな子が就職志願しにやってくるとは思っていなかった。普通の一般市民なら、にべもなく追い返すところだ」
でも、実際アニキはこいつを追い出していない。なぜだ?
「まぁ、ユキ、とりあえずおまえも少し彼女と話してみなさい。そうしたら分かるから」
俺は渋い表情を浮かべてみせる。ガキは嫌いじゃないけど、好きでもない。普段だったら、面倒くさいからとそのままスルーしていただろう。だけど、アニキの命令じゃ、まぁ仕方ない。
「なぁ、あんた」
少し屈み、目線を合わせる。
「名前は」
「……」
「名前だよ。あんたの名前」
「……」
ガキはオレンジジュースのコップを口につけたまま、ただただじっと俺を見つめているだけ。
「何シカトしてんだよ」
「……」
せっかくこっちが話しかけてんのに。イラっとした俺が彼女の肩を掴み乱暴に揺すろうとした時。
「ちょっと待った、ユキ」
アニキが口を開いた。
「なんだよ」
「いや、まだチャック開けていなかったから」
「……は?」
意味が分からず立ち尽くす俺の前で、アニキは身を乗り出して人差し指を出すと、ガキの口をすっとなぞる真似をした。
「はい」
「もうしゃべっていい?」
「ああ、いいよ」
もしかして、さっきまで何もしゃべんなかったのって……お口がチャックって言われてたままだった、から? おいおい、マジかよ。今時小学生でももっとちゃんと融通利かせるぜ。
「で。あんたの名前は」
「あー、わたしの名前は……名前は……」
不意に黙り込む。今度はなんだよ。眉を潜める俺の目を真っ直ぐ見て、ちょこんと首を傾げる。そして、「あのー……おトイレどこ?」と問いかけた。あまりの脈絡のなさに俺は拍子抜けし、それからはあと大きく溜め息をついた。