text‐orig
□欠片
1ページ/1ページ
夜だ。
あぁ夜だ。
細胞の1つ1つが凍りつき、冷えた睫毛が震え、心臓がギチギチと軋むほどに冷たい夜だ。
闇だ。
あぁ闇だ。
どっしりとした濃灰色の雲に覆われた空の端に、少しだけ欠けた月が張り付いている暗い闇だ。
「傷付いた日から、それほど月が満ちたのか……」
夜だ。
闇だ。
全ての生き物が息を殺して、何かを待っている裏側の時分。
さて、あの人は何を待っているのだろう。
見つからない母だろうか。
押し潰された家だろうか。
喉を潤す水だろうか。
平穏だった昨日だろうか。
灯火だろうか。
温もりだろうか。
どうやら、この暗がりで寒さに耐えながら、それらが自ら帰ってくるのを(あるいは時間が戻してくれるのを)いつまでも待っているようなのだ。
いつものように、待っているようなのだ。
しかし私の求めるものは、いくら待っても帰ってはこない。
だので私は、まだ満ちぬ銀盃の小さな光源を頼りに、手探りでそれを探しはじめた。
私は欠片を探している。
私の欠片を探している。
しかし心配はいらない。
粉々になって飛散した欠片はキラキラと月光を反射しながら、すぐに見つかった。
友の口から溢れてきた。
ふいに点けたラヂオから流れてきた。
葉書の隅に添えられていた。
買い物をしていたら棚に並んでいた。
私は、それらの欠片を丁寧に拾い集め、なくさないようにポケットにしまった。
【諦めるな】
【信じて】
【必ず助かる】
【前に進め】
ポケットにいれた欠片が火照りながら、そう呟くので、私は冷たい夜も暗い闇も、怖くはなくなった。
数億秒の時間が過ぎると起き出した人が騒ぎはじめた。
そこかしこで、ひそひそと欠片が瞬きだす。
いやいや全く困ったものだ。
私の欠片は海さえ越えて、小さな国の教会で蝋燭にともる、橙色の火になっていた。
全部集めるのは大変そうだ。
しかし、私のほかにも欠片を集めている人がいるそうで、1つにまとめて送ってくれると言っていた。
きっと、すぐに戻ってくるだろう。
東の山々の合間から、いっそう強く輝いた欠片が昇りはじめる。
あれほど冷たかった夜がぬるくなり、あれほど暗かった闇が青白くとけていった。
朝だ。
光だ。
【大丈夫】
私の中から、小さな欠片がホロリと落ちた。
しかし、この欠片は私のではない。
いつか誰かが落としたものが奥歯に引っ掛かっていたらしい。
持ち主が見つかったら返すことにしよう。
私は誰かの欠片をポケットにしまった。
◆