A serial novel

□夕闇メモリズム X
2ページ/7ページ



「ほら」


煮干しを何匹か手の平に乗せてやると、猫は鼻をひくひくと鳴らしてから一歩、また一歩と近付き、ついには哲雄の膝に乗ってきた。
間近で匂いを嗅いでからかじりつく姿を、彼はぼんやりと眺める。



生きる事に必死ないきもの。



自分はどうなのだろう。毎日を必死に生きているだろうか。



答えはNOだ。



毎日毎日ぬるま湯のような日々。
刺激も何も無く、ただ過ぎていくだけ。



ただ、生きているだけだ。



何かが足りない。



今までだって同じような生活を送ってきた筈なのに、何かに飢えている。

試しに黒猫の背を撫でてみた。
違った。欲しいものはこれじゃない。



いや、本当は分かってるのだ。



何故?どうして?



その問いの先にいつも待つのは一人の存在。



崎山蓉司だ。



いつか尾吹町で見た彼の姿が忘れられない。



あの髪に。肌に触れたい。
あの瞳に。眼差しに捕らわれたい。
その声を。音を耳に刻みつけたい。



「何で…なんだろうな……」



猫に問い掛ける。
しかし彼は鳴いてもくれず、最後の煮干しをくわえてさっと哲雄の膝から降りた。



「………」



猫は一度だけ振り返ってから草影に消える。
縁側がオレンジ色に染まっていって、哲雄は一人になった。



夕焼け空。
今までは、何とも思わなかった。



日が沈む。夜が来る。
ただそれだけの事。



それだけなのに、ここ最近胸がざわめくのは気のせいだろうか。


逢魔が時。
不吉なものと出会い易いと言われている時間。


不吉なもの、とは。
所謂幽霊だとか妖怪だとか。
薄暗くなるこの時間帯を恐れた人々が畏怖を込めて魔に逢う時と、そう呼んだ。



――おかしいじゃん、そんなの――



何故か、ふと、睦の言葉を思い出した。



――幽霊みたいじゃん――



幽霊。
死んだ者の魂。


この世に未練がある者が成仏せずに留まってしまう、とよく言われるけれど。


もし、もしも。


崎山蓉司が、睦が言うような存在だったとしたら。



彼の“未練”とは、一体何なのだろう。





 
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ