A serial novel
□夕闇メモリズム X
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「ほら」
煮干しを何匹か手の平に乗せてやると、猫は鼻をひくひくと鳴らしてから一歩、また一歩と近付き、ついには哲雄の膝に乗ってきた。
間近で匂いを嗅いでからかじりつく姿を、彼はぼんやりと眺める。
生きる事に必死ないきもの。
自分はどうなのだろう。毎日を必死に生きているだろうか。
答えはNOだ。
毎日毎日ぬるま湯のような日々。
刺激も何も無く、ただ過ぎていくだけ。
ただ、生きているだけだ。
何かが足りない。
今までだって同じような生活を送ってきた筈なのに、何かに飢えている。
試しに黒猫の背を撫でてみた。
違った。欲しいものはこれじゃない。
いや、本当は分かってるのだ。
何故?どうして?
その問いの先にいつも待つのは一人の存在。
崎山蓉司だ。
いつか尾吹町で見た彼の姿が忘れられない。
あの髪に。肌に触れたい。
あの瞳に。眼差しに捕らわれたい。
その声を。音を耳に刻みつけたい。
「何で…なんだろうな……」
猫に問い掛ける。
しかし彼は鳴いてもくれず、最後の煮干しをくわえてさっと哲雄の膝から降りた。
「………」
猫は一度だけ振り返ってから草影に消える。
縁側がオレンジ色に染まっていって、哲雄は一人になった。
夕焼け空。
今までは、何とも思わなかった。
日が沈む。夜が来る。
ただそれだけの事。
それだけなのに、ここ最近胸がざわめくのは気のせいだろうか。
逢魔が時。
不吉なものと出会い易いと言われている時間。
不吉なもの、とは。
所謂幽霊だとか妖怪だとか。
薄暗くなるこの時間帯を恐れた人々が畏怖を込めて魔に逢う時と、そう呼んだ。
――おかしいじゃん、そんなの――
何故か、ふと、睦の言葉を思い出した。
――幽霊みたいじゃん――
幽霊。
死んだ者の魂。
この世に未練がある者が成仏せずに留まってしまう、とよく言われるけれど。
もし、もしも。
崎山蓉司が、睦が言うような存在だったとしたら。
彼の“未練”とは、一体何なのだろう。