A serial novel
□夕闇メモリズム V
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それでも嫌な感じは全く無く、哲雄はそのまま引き寄せられるように窓際に立つそれに近付いていく。
匂いが強くなる。
胸がざわつく。
何かが掻き立てられる。
そして、ふと。
その口が、動いた。
――… 、 ……――
声は無かった。
ただ口唇が言葉を作った。
読唇術の心得なんて一つも無いのに、何故だろう。
――卒業、おめでとう――
そう言ってくれたのが分かった。
笑みを含んだその口唇が、何故だかとても懐かしくて。
愛しくて。
「………」
だから手を伸ばした。
触れたくて。
その白い肌に。
その黒い髪に。
その存在を。
確かめたくて――
「城沼?」
背後から声が聞こえて、思わず弾かれたように振り向いた。
自分があまりに機敏に動いたからなのか、その顔があまりに真剣だったからなのかは定かでは無いが、そこに立っていた睦が驚いた様子でじっと此方を見ていた。
「びっ…くりしたぁ……」
「…三田……」
「何だよ、幽霊でも見たような顔して」
「………」
睦に向けていた視線を、もう一度窓際に戻した。
当然、と。言うべきなのだろうか。
そこには誰もいなかった。