A serial novel

□夕闇メモリズム V
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「……ん」


何となしに背を向けていた廊下を振り返る。
誰かに見られていたような気がして。


「………」


声も、影も無い。
ただ、気配だけを感じる。



訝しげに目を細めながら廊下に出るが、やはり誰もいなかった。
ただ、奥にある階段からゆったりとした足音が聞こえた――ような気がする。



何故か胸が逸って、哲雄はその足音の後を追った。
階段まで辿り着くが、足は下階ではなく必然的に上へ。


走らない程度に歩調は早めている筈なのに、ゆっくりと先を行くそれに追い付けない。


一階と半階分上った階段の先にあるものは屋上だ。
しかしそこに出るには、蝶番が派手に鳴る扉を開けなければならない。


だからやはりおかしいと思った。
扉の前に立っているのは哲雄だけ。
足跡の主は何処にもいない。


「………」


怪奇現象云々は信じていない。
しかし今回のこれは、そんな言葉では表せないような気がして。



ドアノブはひんやりと冷たかった。

回すと軋んだ音をたてた。

ゆっくりと開けると案の定蝶番が悲鳴を挙げた。

ドアを開けた隙間から入ってくる風に、プールの塩素の匂いが混じっていた。

耳の奥で何かの破裂音が聞こえた。



屋上には、誰もいなかった。



「………」


今は三月。
プールは淀み、美しいとは言えない水を湛えている。
塩素の匂いなど、するはずが無いのに。


突然聞こえた破裂音も、今この場で聞いたものではない。
オブラートに包まれているように遠い音。



前に、ここで。

塩素の匂いがする季節に。
何かの破裂音を、聞いたのだろうか。
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