A serial novel
□夕闇メモリズム [
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あの後、家に帰ったら母親が仰天顔で迎えた。
赤く腫れた頬と、少し切れた口唇の端。
一目見れば殴られたのだろうという事が分かるが、哲雄は「転んだ」と嘘の常套句を告げてから自室に籠もった。
「………」
脱力したようにベッドに寝転がり、深く呼吸する。
打たれた頬が枕に当たって少し痛い。
――なんでなんだよ…!?
鼓膜にこびり付いた睦の悲痛な叫びが反芻される。
まるで喉から血が吹き出すような。
――お前なんて大嫌いだ!
言葉だけならば子供の喧嘩だ。
しかし、哲雄の心は酷く乱されている。
身体がベッドにずぶずぶと埋まっていくようだった。
もしくはそれは願望なのかもしれない。
起きたくない。
腹も減ったし、風呂にも入りたかった。
しかし身体を起こす気力が無い。
自分はいつからこんなにも怠惰になったのだろう。
何か原因があるのか。
前はこんな筈では無かった。
しかしいくら考えても明解な答えは欠片も浮かんでこない。
強いて言えば、睦が口にした転校生――
「…名前……」
何だったか。
あんなに悲痛な声で叫んでいたというのに。
思い出せない。
「………」
名前も思い出せない程親しくもなかった人間の名を、何故睦は口にしたのだろうか。
「…分かんねぇよ」
一人ごちて目を閉じた。
頬が痛い。地面に打ち付けられた背中も痛い。
ずきずきと痛んで、広がっていく。
その日の夜は、暫く眠れなかった。