A serial novel
□夕闇メモリズム W
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春は芽吹く季節だ。
彩り鮮やかな花々が咲き誇り、微かな芳香を漂わせる。
でも。
まだ、出会えない。
あの狂うような、痺れるような。
脳髄を溶かす毒の香りに。
大学に行って、何か変わったかと問われると閉口する。
特に何も変わらない。
毎日講義を受け、サークル勧誘をかわし、女からは声を掛けられる。
日々に特別な面白さを求めている訳ではないから、取り敢えず勉強出来る場があればいい。
でも、何の為に?
「崎山…蓉司……」
名を呼ぶと、針で刺されたかのようなぴりぴりとした痛みが胸を刺す。
卒業式の日。
この名前を呼び起こした時、充実感とも呼べる感情が哲雄を満たした。
記憶が少しでも戻ったから安堵した訳ではない。
“彼”の事を思い出せた事実が、堪らなく嬉しかった。
(どうして)
何故崎山蓉司の事だけ忘れてしまったのか。
何故思い出せた事がこんなに嬉しいのか。
何故、彼の事を全て思い出せない自分に腹が立つのか。
勉強は出来た方がいいと思っている。
いざという時便利だし、この就職難のご時世、学歴は高い方が有利だから。
つまらない理由だと自分でも分かっている。
此処でも高校と同じ。遠巻きに見られている事も分かっている。
友人を作る為に通っている訳ではないし、そもそもずっと一人で生きてきた哲雄にとってそれは特別苦な事ではない。
それでも、何故だろう。
ずっと感じている違和感。
隣が寒い。
きっと昔は、隣に誰かがいたのだ。
恐らくは、記憶が抜け落ちている時期に。
そしてそれは多分――