11/17の日記
03:00
羊のうた感想 その三
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ここでもう一度千砂の心を整理しよう。
一つ目の目標である「一砂自身を愛する事、父親と決別する事」は「あなたに会えたから、わたしは父さんの影から逃れる事ができた。あなたを……弟でも……父さんの代わりでもなく愛したわ……。本当よ。命をかけて……」の言葉通り、達成することができた。
そしてもう一つ、「一砂が普通の生活を送ること」について。これに関連する台詞を抜き出す。
「わたしに会わなければあなたはきっと、苦しみながらも暖かい人達に支えられて別の道を見つけたでしょう」
「今まであなたを……一人占めにしてたけど……これで……返せるわね……。八重樫さんに」
「あなたは生きて……普通の生活に戻るのよ」
千砂は八重樫が一砂に会う事を拒絶し、排除している。八重樫が千砂と一砂の世界の障害になる事を恐れたからだ。
だからといって千砂は決して八重樫を嫌悪していたわけではないと思う。「わたし、(高城の病を)絶対に誰にも言ってません。本当です」と言う八重樫に対し「信用するわ」とあっさり認めている。八重樫の一砂を想う気持ちが本物であり、高城の病を受け入れて立ち向かえる強さを持った人間だと感じていたのだと思う。だからこそ真っ直ぐで純粋な彼女に千砂は嫉妬し、遠ざけたのだろう。
あくまで憶測だが、自分の死が近くなった時(母親の死の真相を知った辺り?)から、八重樫に一砂を託す事を考えていたのではないか。
次に最終話の内容を整理する。
・一砂は元気に日常生活を送る事ができる。
・一砂は一年間の記憶を失い、元の明るい姿を取り戻した。
・記憶が戻らなければ病気は再発しないかもしれないという希望的観測がある。
・江田夫妻は一砂と本当の親子になれるよう向き合う。
・八重樫は一砂と共に、一砂の全てを受け入れて生きていく。
これらと千砂の願いを照らし合わせてみると……全て千砂の願った通りになっている。
千砂は最後まで一砂に生きていて欲しかったと私は思う。例え病気が良くなっていなかったと知っても、一砂の心意気は嬉しかったとしても、その気持ちは変わらなかっただろう。一緒に死ぬと聞いた後の千砂の表情は最後まで悲しげなままだ。自分の後を追って自殺するという事は、自殺した父の後を追おうとしたかつての自分の姿と同じである。そうなる事は千砂にとって何より辛い、絶対に避けたい事ではなかろうか。だからこそ一砂を一緒に連れて行かなかったのではないか。私はそう思う。
余談だが、私は一砂がとった自殺という行動を肯定する事はできない。千砂は元々短命に終わる運命だから自然だが、一砂は死ぬ理由が薄い。一砂は周りの人間の愛を一身に受けており、その誰もが一砂が死ぬ事など望んでいないからだ。高城の病を根絶するという理由はあるかもしれないが、それにしても一砂の行動は身勝手が過ぎると感じる。もしも物語が四十六話で終わって一砂が死んでいたら、私は独り善がりな作品という感想を持ってしまっただろう。
とはいえ、敢えて死を選んだのは心から千砂を愛していた事の表れであり、その心意気は紛れもなく美しい。物語には当然なくてはならないシーンだ。
次に、千砂と一砂の二人が周りに与えた影響を考える。
千砂は世を去り、一砂は一年間の記憶を失う。かくして物語は問題を先送りにしたまま、一番最初に戻ってしまったのか? 二人が出会い、共に生きた日々に意味は無かったのか?
答えは否だ。八重樫、江田夫妻は千砂と一砂、そして高城の病を見てきた。江田夫妻は一砂が自分達の元から去ってしまった原因を、本当の親でないからと一砂に遠慮してしまい、良好な親子関係を築けなかったためとしている。
八重樫は高城の病を間近で見て、それがどういうものかを知る事ができた。また、どれほど拒絶されても一砂を諦めない強い心を得た。
そして図らずも一砂が一年前に戻ったため、三人は再び一砂と向き合うチャンスを得た。各々は今度は間違いを犯さぬよう、一砂を支えることを誓って生きていく。
それこそ千砂の言葉通り、暖かい人達に支えられて別の道を見つける事になるだろう。一砂が記憶を取り戻すか、病気が再発するかについてはあまり問題ではないように思う。どちらにせよ周りの人達が全力でサポートしてくれる事に変わり無いのだから。
一砂が真に病と向き合うのはこれからだ。そういう点では確かに中途半端かもしれない。しかし、私はこれからの一砂の人生に、自ら死を選ぶような悲しい結末は無いと確信している。さらに言えば、「人を引きつけて破滅に導くような娘」である千砂はもういないのだから。一砂の物語はこれで十分と感じる。
千砂の儚く寂しい人生は最後に生き甲斐を見つけ、充実したものになった。人が生き甲斐を持って生きられる事ほど幸せな事は無い。そして結果的に、彼女が愛した一砂を希望のある未来に導く事ができた。長く生きる事ができない千砂の人生にとっては、これが最大の幸福だったと思う。
以上のように、私は羊のうたをハッピーエンド……という言葉は作品に似つかわしくないため、大いに救いのある最後と結論する。
あくまで私の個人的な意見だが、それは必然だったのではないかと思う。羊のうたは悲しく悲劇的な物語だ。しかし、誰かが犯罪を犯しているわけではない。行動に適切と不適切はあれど、彼らは悪人ではない。(歪んだまま死んだ志砂はちょっとアレだが……)むしろ他人の為に命を尽くした優しい人間ばかりだ。そんな人達に救いがあるのは当然ではないか。と言うか、あって欲しい。私は彼らの最後に悲劇を望む事はできない。
羊のうたは悲劇的でありながら人の暖かさに満ちた作品だと思う。
逆にバッドエンドとするには少々難しいような気がする。勿論そういう解釈はできるが、物語として(エンターテイメントとして)面白いと思った考察を見た事がない。何となく後味が悪く、もやもやするものばかりで綺麗に終わらない。返す返すも悲劇を望む読者には受け入れ難い最後だったのは確かであり、仕方がない事だろう。そういう意味では本作の評価は「救いのある結末」を望むか「救いの無い結末」を望むかという、読者の主観による所が大きいと感じる。
こうして納得してからもう一度最終話を読んでみると、初見では見えてこなかった重要な台詞が散りばめられていた事に気がつく。やはりこの最終話は妥協の産物でも作者の力不足でもなかった。筋の通った、今までの積み重ねの集大成だ。なるべくしてなったのだ。それを実感する事ができて良かった。解りづらさはあれど、読み解く楽しさも羊のうたの面白さだ。それに読み解く努力をしなければ本作を真に楽しむ事はできないだろう。
やっと自分の中で、羊のうたに一区切りがついた気がする。先程書いたように、本作の解釈は読者それぞれに正解がある。そして私にとってはこれが正解だ。
ふぅ……やっぱコレ、ド変態漫画だわ……。
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02:59
羊のうた感想 その二
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羊のうたの結末をどう解釈するか。それは誰の視点を基準にするかによって変わってくるだろう。私は千砂を基準に考える。物語の主人公に据えられているのは一砂だ。しかし物語の根幹を作っているのは間違い無く千砂だ。
千砂は幼少から高城の病に苦しみ、父親との歪んだ愛に身を投じた。結果、千砂は自分の人生を馬鹿馬鹿しいものと達観し、自分を愛してくれたようでそうではなく、「亡き妻に似ている自分」を愛した父に愛憎の念を持ったまま生きるという、非常に屈折した心を持っている。
羊のうたは様々な要素で凝り固まった千砂が解放される人生を描いた物語であり、真の主人公は千砂だと考える。ちなみに、冬目氏も一番描きたかったキャラクターは千砂と語っている。
それでは千砂の心の変化を見ていこう。千砂の人生は物語中盤で大きな転機を迎える。
深夜、体調不良で苦しむ千砂は、先日八重樫と会ったことを一砂に話す。八重樫に会いたいかと問うと、一砂は答えをはぐらかす。煮え切らない態度に業を煮やした千砂は一砂の唇を強引に奪う。我に返った千砂は涙を流し、今までぼやかしていた本心をポロポロと語り出す。
「……ばかみたい。あなたをこの血で縛っても……心までは縛る事はできない……。そんなことわかってるのよ……。わたしは……父さんと同じ事をしようとしている。父さんはわたしの……身も心も支配していた……。死んだ今でも……。そうよ……。わたしはあなたに父さんを重ねている。父さんの身代わりにしようとしている。最後までわたしを見なかった父さんの代わりにあなたを縛ろうとしているのよ。父さんを憎む事で気持ちをごまかそうともしたわ。だけどあなたはに会ってまた気持ちが引き戻されてしまった。あなたを救いたいなんて詭弁だわ。結局わたしは父さんに似てるあなたの側に居たいだけなのよ。そうよ……。本当は認めたくないわ。こんな感情……。人形でもいい。母さんの身代わりでもいいから……ただ……父さんに側に居て欲しかったの」
千砂の弱々しい本当の姿を見た一砂は、「俺がずっと側にいるよ」と誓う。他の誰の代わりでもなく、自分自身を愛してくれる一砂の気持ちが心底嬉しかったのだろう。ここから千砂の生きる目標が大きく二つに絞られていく。
千砂自身もまた、一砂を父の身代わりではなく、一人の人間として愛そうと務める。その方法は一砂の血を(他人の血を)一切飲まないこと。これが一砂を父の身代わりにしないことの証明であり、千砂なりの病との闘い方だったのだろう。同時に長年縛り続けた父親との決別でもある。
しかし、血を飲まない千砂は発作を薬で抑えるしかない。強い副作用があるこの薬は確実に千砂の命を蝕んでいく。千砂の本気が見てとれる行動だ。
もう一つは、一砂が普通の生活を送れること。一砂の病状に希望を見い出した千砂は自分亡き後、一砂が全うな社会生活を送れるよう学校へ生かせたりと苦心する。
そして死に際での一砂とのやり取りに千砂の想いが集約されているので、以下に抜粋する。
千砂「一砂……ごめんなさい……。わたしを許して……。わたしに会わなければあなたはきっと、苦しみながらも暖かい人達に支えられて別の道を見つけたでしょう……。いずれこうなる事はわかっていた……でも……どうしてもあなたが欲しかったの。あなたに会えたから、わたしは父さんの影から逃れる事ができた。あなたを……弟でも……父さんの代わりでもなく愛したわ……。本当よ。命をかけて……。ありがとう」
一砂「俺は……後悔なんかしていない……。千砂に会えた事も、千砂を愛した事も」
千砂「今まであなたを……一人占めにしてたけど……これで……返せるわね……。八重樫さんに……。傍にいてくれてありがとう。同情でも嬉しかった……」
一砂「同情なんかじゃない。千砂と居たのは俺がそうしたかったからだ。同情でも千砂の血が欲しかったからでもない。一人の人間として千砂に惹かれたからだ。俺は……千砂を選んだ」
千砂「それ以上の言葉は無いわ……」
一砂「……証明しようか。千砂……あの薬覚えてる?」
千砂「え?」
一砂「いつだったか千砂が俺にくれた……」
千砂「それは……」
一砂「そう……千砂の言った通りお守りに持ってたよ。結局使う事は無かったけど。使わなかったのは千砂がいたからだ。俺の中で千砂の存在が大きくなったから……。だから……千砂がいなくなったらこれを使う」
千砂「だ……だめよ一砂。あなたは生きて……普通の生活に戻るのよ。せっかく治りかけているんじゃない、それを……」
一砂「千砂……ごめん。俺…良くなんてなってないんだ。この前も病院で発作が起きて水無瀬さんに助けてもらった。ごめん。心配すると思って言えなかった。俺は千砂がいないとだめなんだ。俺も行くよ」
その三に続く
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02:56
羊のうた感想その一
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またもや羊のうたについて感想を語りたいと思う。全く需要はないだろうが、敢えて文章に残しておきたい。
先日、羊のうたのドラマCDを購入した。これはファンの間で評価が高く、確かに良くできていた。演技に力がこもっているし、ストーリーもほぼ原作をなぞっている。何より終始滲み出るシリアスな雰囲気が原作を壊していない。むしろその通りで驚いた。音だけでよくここまで作ったものだ。
冬目作品は冬目景の絵が無ければ意味が無いと思ってはいるが、これは非常に良くできていた。
これを機に今一度羊のうたを考察した。羊のうたについては以前にも紹介したので詳しい説明は省かせて戴くが、かなりおおざっぱに言えば、血を吸わなければ生きていけない遺伝性の病に冒された姉弟と、周りの人々が織りなすラブストーリーである。
今回特に語りたいのが、物語の最後、結末である。万が一本作に興味がある方は、ここから先は読まない方が良い。
ファンの間では極めて評価の高い本作だが、こと結末に関しては賛否両論である。ネットで感想を見ると、むしろ否の方が多いのではと感じる。だが、それはある程度仕方ないことだろう。最初にその理由を本編の内容を要約して説明する。
まず最終話の一話前の四十六話では一砂の姉、千砂が持病である心臓の衰えにより、ついに最期の時を迎える。千砂は自分を愛し、側に寄り添ってくれた一砂に感謝を告げる。一砂もまた、千砂を愛したことに後悔は無いと語り、その証明として服毒し、千砂と共に死へ向かう。最後は手を繋いだまま寝室に横たわる二人の姿で幕を閉じる。
とても神秘的かつ美しい、印象的なシーンである。本作でも屈指の名シーンだろう。
そして問題の最終話である。
それから数ヶ月、季節は春。一砂は奇跡的に一命を取り留めていた。しかし、毒のせいか千砂と過ごした一年間の記憶は完全に消え去り、一年前の明るい一砂に戻っていた。
見舞いに来た八重樫に、一砂の育ての親である江田夫妻は、一砂を正式に江田家に迎え入れて、これからは本当の親子になれるよう努力すると話す。
また、千砂の主治医の水無瀬は、高城の病は記憶が戻りさえしなければ再発しないかもしれないと語る。
八重樫は例え一砂の記憶が戻り、病気が再発したとしても、今度は自分の血を受け入れてくれることを信じ、前向きに一砂と明日を生きていくことを誓う。
と、だいたいこんな感じだ。四十六話までは大方の読者の予想通りだっただろう。二人の悲劇的な最後にため息である。行くべき所に行きついたと思ったはずだ。しかし、なんと次の話では一砂がピンピンしているのだ。しかも愛した千砂の事を一切忘れてしまったときている。
これには悪い意味で予想を裏切られたとしても致し方ない。そして物語は一見するとハッピーエンドのようなバッドエンドのような、判断のしづらい微妙な展開で完結する。
最終話の低評価は悪い意味での意外性と、作者の意図の解りづらさが原因と思われる。付け加えると、恐らく悲劇の結末を望んだ読者が多かったのではないだろうか。私も最後の展開をどう解釈すべきか迷ったものだ。
最終話に関しては以下のような感想が多い。
「記憶喪失という都合のいい展開にしてほしくなかった」
「最終話は蛇足」
「一話前で終わりにすれば美しかった」
「これ以外のラストは無い」
「中途半端」
「最後に希望があって良かった」
「救いの無い終わりが良かった」
「作者の技量不足」
……などなど、人によって様々である。どう解釈するかは読み手の自由裁量であると、後にインタビューで冬目氏が語っている。自分の考えを押し付けるのは好きではなく、ある程度は描いてそこから先は読者にまかせると。
なので、多様な意見があるのは当然であり、それぞれの解釈に間違いは無いというのが作者の考えなのだろう。
では、冬目氏はどんな意図でこのような結末を描いたのか?
少なくとも私はこのラストが、読者に解釈を丸投げした妥協の産物だとはどうしても思えない。冬目氏は「ラストはうまくできた」と語っている。
よく、「冬目景は絵は上手いけどストーリーはちょっと……」という声を聞く。確かに私もそういう欠点があると思う。氏は特に長編物になるとストーリーの構成に難が出てくる。だが、羊のうたに限っては話は別だ。何故かこれだけは奇跡的に(笑)上手くいっていると感じる。だからラストだけがいい加減な作りだというのは、どうしても違和感があるのだ。
その二に続く
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