GX十代女体小説

□バレンタイン・キス
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第1章「ペットボトル」



私立聖パトリック学園、小学校にあたる初等科から大学までを有するこの学園は良家の子女が多く集まることで知られている。

その、広い中庭。噴水のそばのベンチに一人の少年が腰掛けている。

ヨハン・アンデルセン、17歳。高等部2年、スウェーデン国籍で、どこから見てもヨーロッパ人種だが、日本滞在はすでに12年。
そこらの日本人よりよほど日本語に通じていると、国語教師の評価も高い。

彼は今、悩んでいた。

「どうしたらいいんだろう」

そう呟くと、彼は手にしたプリントを見て、大きくため息をついた。


「ヨハン」

声に振り向く。そこに立っていたのは天上院明日香。
両親はともに大学教授、イギリスの貴族を祖先に持つという彼女は、長身で才色兼備、大学生の兄とともに、この学園で最も目立つ存在だ。

「どうしたの?ため息なんかついて」

明日香はそう言うと、ヨハンの隣に腰を下ろした。

「うーん、これなんだけど」

ヨハンは明日香に先ほどのプリントを手渡した。

「これ、進路希望の用紙じゃない。まだ提出してなかったの?」

提出期限は2学期末だった。今は3学期、1月もそろそろ下旬にさしかかろうかという時期だ。ふだん真面目で、提出物もきっちり期限内にハンドインするヨハンにしては珍しい。

「そう、だから今日、進路指導のクロノス先生に今週中に必ず提出するようにって怒られた。」
「あなたのことだから、忘れてたなんてことはないわよね。」
「そりゃ勿論」
「だったら、どうして?これをもとに3年のクラス分けを行うから必ず期限までに出すようにって言われていたじゃない。」
「そうなんだけどさ」

ヨハンは言葉を濁した。
これも普段明朗快活な彼にしては珍しい。よほど悩んでいるのだろう。

「私でよければ相談に乗るけど」
「サンキュー、明日香。実は」

ヨハンは明日香の持っている進路希望の用紙を指差した。そこには4つの選択肢が示されている。

1.聖パトリック大学への進学(学部        )
2.国内他大学への進学 (理系・文系)
3.留学・あるいは他国の大学への進学
4.その他(                    )

普通の高校とはかなり違う。「留学・他国の大学への進学」などという選択肢があるのは、この学園が日本で働く外国人の子弟を多数受け入れているからである。

従って、ヨーロッパ人であるヨハンも、そのことでジロジロ見られて居心地の悪い思いをすることはない。それが何よりヨハンにとっては有難いことだ。

「1か3ってところなんだろうけど、先月初めにスウェーデンの祖父から連絡があって、スウェーデンに戻って、大学行きながら仕事覚えたらどうかって言われてさ。」
「そうだったの」

ヨハンの父はスウェーデンに本社を持つ大手アパレルメーカーの日本支社長だ。
本社の社長を務める祖父はいずれは社長を退き、彼に会社を継がせる心積もりなのだろう。

「スウェーデンは母国だし、俺に期待してくれている気持ちは嬉しいけど、俺は5歳からずっと日本に住んでいて半分日本人みたいなものだし、今、帰国する決断がつかないっていうか、もう少しこっちにいたいっていうのが本音なんだけど」

「だったらお祖父様にそう言って、ここの大学行けばいいじゃない」
「どうしてそんなに日本に残りたいか、ちゃんとした理由を言えってさ」
「ちゃんとした理由ねえ」

彼が日本に残りたい本当の理由、それについては明日香には心当たりがある。
でも、今の段階で、それを理由にするには説得力に欠ける。なぜなら

そのとき

「ヨハーン!」

彼の名を呼びながら向こうから駆けてくる少女。
遊城十代、17歳。男か女かわからないような名前だが、れっきとした女生徒である。

もっとも「ひょっとして前世は男だったんじゃないか?」と噂されるほど女性らしさとは遠いところにいるのだが。

             

「はあ、ヨハン、水!」

十代の言葉にヨハンは無言で通学バッグからペットボトルを取り出し、十代に手渡した。

「サンキュー、いつも悪いな、ヨハン」

十代はそう言うと封を切って一気に半分ほどを飲み干すと、ボトルをヨハンに戻した。

「はあー、よく冷えててうまい!」
「十代!水くらい自分で買いなさいよ!」

ほぼ毎日繰り返されるこの光景に、明日香はあきれたように言った。

「えーっ、だっていつもヨハンが持ってるからいいじゃん。あ、でもいつもだと悪いな、半分払うよ、70円だっけ?」
「私が言いたいのはそういうことじゃなくて」
「もういいよ、明日香」

ヨハンが明日香を制した。

「でも」

そう、いつもヨハンが持っている水。ぬるくなっていないのはヨハンが十代の下校時刻にあわせて購買に買いに行っているからだ。
そのことに十代は少しも気づいていない。

ヨハン・アンデルセンが帰国したくない本当の理由。
それは、彼がこの遊城十代にずっと恋しているからだ。



「あ、いけね。そういやクロノス先生に呼び出しくらってたんだった。」
「十代、もしかして、これ?」

ヨハンは十代に先ほどのプリントを見せた。

「そうそう、何だ、ヨハンだって出してないなら、そんなにあせらなくても良かったな」

それは違うだろ!と、ヨハンは思ったが、自分も提出していない手前、何も言えない。

「あなたのことだから、すっかり忘れてたんでしょ」

明日香がヨハンの気持ちを代弁してくれた。

「もらったことすら忘れてた」

あくまでも暢気に答える十代の腕をヨハンが掴んだ。

「十代」
「何だよ、ヨハン」
「お前、どうするつもりなんだ、進路」

いつになく真剣な面持ちで問いかけるヨハンに気圧されたように十代は彼を見つめていたが、やがて照れたように笑って言った。

「いや、実は何も考えてなかった。てか、今もなにも考えてない」

ヨハンはがっくりと肩を落とした。こっちは真剣に悩んでいるというのに、このお気楽さ。
少しは先のことも考えたらどうだ。出来れば、俺のことも含めて。

「だけどさあ、先のことなんてわかんないじゃん。まー、なるようになるだろうしさ」
「十代、あなたねえ」
「悪い、明日香、もう行かないと。説教ならあとでな!ヨハン、とっとと話済ましてくるから、もうちょっと待っててくれよ。」

そう言うと十代は走り去った。

その後姿を眺め、再び大きくため息をつくヨハンを明日香は気遣わしげに見つめた。

「ヨハン、あの」
「えっ?」
「差し出がましいようだけど、十代には伝えたの?自分の気持ち」

ヨハンは苦笑した。

「明日香にはお見通しだな。うん、伝えたかっていうのなら、何度も伝えてる。何回好きって言ったかわからない。でも、十代にはどうもその意味がわかってないっていうか」
「そうでしょうね」

明日香は嘆息した。

「せめて十代が明日香の半分でも察しがよければな、言っても仕方のないことだけど。クロノス先生にはもう少し待ってもらうよ。いずれ帰国するにしてもここの高等部は卒業してからにしたいし」

明日香はにっこり笑って頷いた。
ヨハンと十代はどちらも明日香にとって幼馴染の親友だ、三人一緒に卒業したい。

「じゃあ、ヨハン。私これからピアノのレッスンだからまた明日」
「ああ、相談に乗ってくれてありがとう」

明日香が去り、一人ベンチに残ったヨハンは先ほどのペットボトルを取り出した。
キャップを取って、飲み口にそっとキスしてみる。

なんだか、とても切なかった。


                第1章・終
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