小説【劇団実験ピストル病院】

□ 【第三幕】瓦解1
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――望月青はライブでベールを脱ぎます。
バンドのボーカリストとしてあなたは再デビューします。
実は恩田明人だった、と。
ライブは野外フェスです。テレビ局とノイズが共同開催している、有名なロックフェス。
まだ名前は明かせませんが、聞いたらぶっ飛びますよ。
まぁ、そのうちバレますから、気がついたときはぶっ飛んでください。

かつて制作の高奈が底抜けにでかい声で言ったのを思い出しながら、明人は文字通りぶっ飛ぶこととなった。
国内外の名前、実力共に確かなミュージシャンが揃う大規模な野外音楽イベント。
ハーシュノイズ・ジャンクション・フェス。
通称・ハーシュフェス。
夏に行われるその祭典は、春先にすでにゲストが続々決まり、メディアを通じて発表が行われていた。
明人は何度かそのフェスに足を運んでいる。
かなりの田舎で開催されるが、それでも来場者は例年ものすごい数になる。
そのフェスに出たことだけでも充分なステイタスになりうる。
明人は目の前に差し出された企画書をまじまじと見つめていた。
よく知っているアーティスト名から、コアなファン層を掴んでいる実力あるバンド名までずらりと並んでいる。
そこに混じる「ハイネス(望月青)」の文字。
明人は、その文字を指で撫でた。
信じられない気持ちだった。
去年まで小さなライブハウスで歌うだけで満足していた自分が、考えもしなかった舞台に立つ。
高奈がそれを見ながら笑った。
「ぶっ飛んでください、って言ったじゃないすかー」
「…充分ぶっ飛んでるわよ」
染み付いた女言葉が思わず出て、隣で咲子がアイスバーをかじりながら笑った。
「もう恩田明人に戻っていいのよ」
そこでようやく女言葉だったことに気がついて、ハッとした様子で明人は咲子の顔を見た。
「toBE」の公演が終わった次の日から休む暇もなく明人は映画の撮影に入っていた。
役柄は「ハイネス」というバンドのボーカリストである女の役だ。
出番は少なく、ほとんど歌っているだけのシーンばかりで2週間もすれば撮影は終了した。
演劇とはまた違う芝居を求められ、困惑も大きかったが映画の撮影は演劇とはまた違っていて面白かった。
わきあいあいとした雰囲気と、撮影が始まればどこからとこなく流れ出る緊迫感は心地よくて、良い現場だった。
明人の出演するこの映画には、奈良原も映画監督として本格的に映像の分野に出ることとなった。
「toBE」の公演を抱えながら映画監督としてデビューするための制作会議を毎日こなしていた奈良原は咲子と同じような忙しさを抱え込んでいたが、無事に公演が終わり、今ではほとんどオフィスに来ない日々だ。
初メガホンをとることとなり、かねてより目標の一つとしていた映像の世界に踏み込んむことのできた彼は、まだ慣れない環境に緊張の面持ちをしていたが、それでもスタッフや俳優と対等な信頼関係を築き上げながら一つのものを創りあげようとしていた。
現場で明人に見せた顔は劇団にいるときと同じ、地道に努力を重ねている顔だった。
咲子とはまた違う自分なりのやり方で現場を盛り上げ統率していこうとするその若さと勢いは、熟練俳優をも巻き込んでいた。
望月青の新曲も映画の中で挿入歌としても使用され、レコーディングも終えて咲子から「恩田明人開放」の命令が出て2日。
化粧をせず、レディース服に袖を通さなくなって、それすら違和感だらけだ。
次の演目の制作会議では明人の名前も望月の名前も呼ばれることはなかった。
壁には出勤したらひっくり返すキャストの札があるが、「咲子班」にも「河野班」にも明人の札はなかった。
その下の欄外のところに、札がかかっている。
明人とは別の映画撮影のために次回公演の出演がない桐島の札もそこに並んでいた。
それを見るとどこか寂しいような気持ちになってしまったのも事実だ。
演劇のことも芝居のことも知らずに、咲子の提案にのる形で飛び込んだこの世界で、二度の舞台を経て音楽の世界に踏み込んでいこうとしている。
デビューアルバムは爆発的にヒットしたわけでもなく、咲子はそれが不満そうではあったが上位をキープし続け、目標としていた枚数の売り上げを上げることが出来た。
明人には数字にこだわらせず、ただ本領を発揮して歌えと咲子は言う。
経常利益をあげなければ会社として成り立たないので、影ではプロデューサーの肩書きを持つ高奈と吾妻が紛争している。
「インターネットの掲示板も騒ぎ立ててるわねぇ」
咲子はアイスの棒をがしがしとかじったまま大した事のないように言った。
ネット上では賛辞もバッシングも吹き荒れている。
それが全てではないものの、匿名性の高いインターネット上では賛否の反応が顕著なのも真実だ。
「まぁ、メディアに顔は一切出てませんからねぇ。ゲリラライブでも顔は出てないし、映画で初めて顔が出て、一般的になる。ってとこっすかねー」
高奈が企画書に視線を落として言った。
「舞台見た客が望月の顔についてネット上で言及してるくらいで、舞台を見てない人にとっては想像の域を超えないわけっすよー。いやぁ、盛り上がってきたなぁー」
高奈がうきうきと体を揺すった。
吾妻も音楽プロデューサーとして奔走している。
映画公開が初夏にあり、更に望月青というシンガーが定着し、何者なのかと大衆の心に疑問を植えつけたところで真夏の野外フェス。
そこで望月青が恩田明人として再デビューし、そして次に繋がるための舞台を用意するために。
ライブバンドとして、ライブに強いボーカリストとして。
つまりは話題性に頼るのではなく、その声と音が確かなものであると認められる存在感のあるミュージシャンとして恩田明人という人間を売るためだ。
「ここまできてライブをまともにしたことがない、さらには顔をまともに出したことのない望月がハーシュ・フェスに出る。それだけで見たいと思わせることができる。突然姿を明かされたら…さて、この観客はどんな反応をするかな? ふふふ。考えただけで楽しくなってきちゃった」
咲子はアイスの棒を口から離すと「あ、あたりだ」と呟いた。
どうも当たり外れのあるアイスバーを食べていたらしい。
この女は現場を離れると本当に別人だった。
時々、どれが本当の咲子なのか明人はわからなくなる。
こうしてオフィスで雑談に花を咲かせるお調子者然とした咲子と、稽古場で般若の仮面をかぶる咲子。
どっちも本当でどっちも演じているようだった。
けれど明人は本当の咲子を知っている。
泣きわいて心情を吐露した咲子。
あれが本当の藤倉咲子だ。
その肩に責任も感情もラバーも、厳しさも優しさも甘さも背負って全てを言葉で捻じ伏せている、藤倉咲子。
あの時、咲子があの顔を見せてくれた。
自分は冷静に立ち戻ることが出来たのだから。
ただ、必死に咲子に認められたいとそれだけでやっていたのでは意味がない。
観客を熱狂させて夢中にさせて納得させてこそ一人前なのだ。
「大衆は刺激を求めている。ひっかきまわしてきなさい、世の中を。混沌に導いても誰もあなたを咎めないわ」
咲子はアイスの棒を目の前にまっすぐ立たせて、それをじっと見つめて明人に言った。

23歳の夏が始まる。
明人は去年の夏と変わらない自分の手のひらを見た。
去年には予想できなかったことが光の速さで追いかけてくる。
けれど、走り出さないわけには行かない。
それに追い抜かれてしまわないように。
この1年で色んなものを手にしてきたような気がしていた。
それをこぼれ落とさないように、手をぐっと力強く握った。
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