小説【劇団実験ピストル病院】

□ 【第二幕】感情4
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 「行動人」とハムレットを解釈した
 藤倉咲子演出・劇団実験ピストル病院による「toBE」は
 その表題からして「優柔不断」のレッテルをはられていた
 今までの「ハムレット」像を見事に打破している。
 若者に人気のファッションモデルである梅崎博文の起用と、
 看板男優である吉良陸吾の競演は見もの。
 古典劇である「ハムレット」を現代版に脚色し直したあたりも、
 劇団実験ピストル病院「らしさ」満載。
 オフィーリア役に巷で騒がれているが、
 メディアに一切その姿を出さずじまいの
 シンガーソングライター・望月青を抜擢。
 彼女の劇中の歌唱シーンも期待されている。
 公演の初日と共に彼女のデビューアルバムとなるべき
 CDが発売されることでも話題。
 古典は少し苦手という人でも、
 この芝居は楽しんで見ることができるだろう。
 ただ、残念なことに前回の公演で絶賛された恩田明人の起用はなし。
 あの公演以降沈黙を続けている。
 今後の動きが注目される劇団の次回公演は
 3月15日から東京・大阪の二大都市で行われる。

・・・

小さな文字の下にはチケット販売元の連絡先と公演スケジュールが書かれていた。
吾妻が情報誌を眺めながら、ニヤニヤしている。
「一時はどうなることかと思ったけど、ここまでくればこっちのモンだねぇ」
静かなオフィスに有線から流れる音楽と吾妻の声に、電話対応をし続けるスタッフの声が入り混じっている。
西は吾妻の言葉を無視してパソコンと睨みあっていた。
先ほどから電話が次々に鳴り、寺森や河野だけでなく入沢、高奈らも対応していた。
別回線を通じて電話が更に鳴る。
吾妻は電話を取る気配も見せない。
「吾妻さん! 電話!」
「んー?」
「手が離せないんです、電話とって下さい。こうなることわかってて毎日朝から来てるんでしょ、あなた!」
「んー」
吾妻はけだるげに受話器をとった。
急に声がかわる。営業スマイルを繰り出して対応し、よろしくお願いしますぅ、と愛想を振りまいて切った。
望月青のリリースが発表された途端、これだ。
更には情報誌、エンターテイメント系の雑誌が解禁と同時に「toBE」と望月、梅崎のことを取りざたして記事にした。
高奈は実にいい仕事の集め方をする。
吾妻は満足げだ。
もともと話題のCMソングとしても取り上げられることが多かったが、極力クレジットには「望月青」の名前を出してこなかった。
焦らして焦らして、いいタイミングで表に出すのは高奈と吾妻の敏腕さが物を語っている。
きっと、ひっきりなしに電話は鳴りますよ。だから朝から待機してるんです。
吾妻はリリース発表のあった日からそう言って誰よりも早くから出勤していた。
万年遅刻の駄犬、と咲子にいじられる吾妻が、ここしばらく早朝出勤をかかさない。
仮眠を終えて社長室から出てきた咲子に「…また大雪になるかしら」と真顔で当てこすりを言われたくらいだ。
「ずいぶんと行動的なオフィーリアになっちまったこと」
吾妻は独り言ちて笑った。

明人の爆発があり、咲子が嘔吐して以来、今まで腫れ物に扱うかのようだった意識を全員が振り払ったかのようだった。
明人の歌は急激によくなった。鬱屈した暗く少女趣味な世界観をベースにしながらもバリエーションに飛ぶその楽曲らは、まさに息を吹き込まれ色を与えられたかのように舞台に映えた。無機質なものに鮮やかな一輪の花を添える自然さと瑞々しさで、舞台はよりいっそう華やかなものになる。
震えさえくるその歌声は、まさに歌うために生まれてきた歌姫のものだった。
梅崎は一貫して望月に辛く当たるが、それも愛ゆえなのだとわかっていて望月は行動する。
それは、ハムレットの冷たさと狂気が、自分を守るために存在するのだとわかっていながら、それでも恋と歌にひた走る最強の女・オフィーリアそのものだった。
咲子さえ考え付かなかった新しいオフィーリアの形を、明人は作り上げた。
望月青として。
そのあたりの解釈も斬新とされて「toBE」は今から関係者だけではなく大衆の興味を一身に集めている。
梅崎の人当たりはよくなった。
もともと我慢していたところもあったのだろう。徹底されて洗練されていた傲慢な男を日常でも創りあげていた男は、今まで耐えてきた反動であるかのように咲子班でないスタッフらとも会話をしている。
まるくなったもんだ。
三上が苦笑していたのを吾妻は思い出す。
劇団を抜けて芝居とは関係ないところで生きてきて。
それでも客の視線を集める仕事であることには変わりなかった。
その環境と時間は、昔衝突をすることでしか感情表現のできなかった手際の悪い男の根本を洗い流してしまったかのようだった。
変えたのが私じゃなくて残念。
と咲子に言わせてしまうほどの梅崎の変わりように、吾妻は心底驚いていた。
共謀しろと言われ、梅崎と折り合えと言われたその日に、誰にも知られないようにと飲みに誘い、結局朝まで吾妻の自宅で語り明かした相手は、本当に変わっていた。
その美しさを自覚している男は不遜で厚顔でもあるが、昔と違って謙虚さを心得ているところもある。
表舞台であるがゆえに傲慢にならなければやっていけない、頂点をつかむつもりで挑んでいかねば生き残れない、と吾妻を前にして飲みながら語った男の横顔は、カーテンから差し込んだ朝日で照らし出され、本当に綺麗だと思った。
自分が何もせずに信頼だけ得られるなんて馬鹿な話、それこそゴメンだね。
あの時理解できずにいた「信頼」という言葉を、その男は4年の歳月をかけてようやく吟味できるようになっていた。
咲子に出会っていたからこそ、新天地で梅崎はそう思うことができたのかもしれない。
そう考えれば、咲子のやってきたことは報われたということなのだろう。
存在と言葉だけで、人を生かす事も殺すこ事もできる女なのだ。
藤倉咲子という女は。

吾妻は仮眠室から出てきて寝ぼけ眼の女を見た。
裸足で立ち、ぼんやりとしながら頭をぼりぼりとかいている。
「藤さん! インタビュー依頼ごっそりきてるっす! 予定つめといてくださいね!」
受話器を置いた高奈があいかわらず底抜けにテンションの高い声で言った。
「どならなくてもー、わかってらー」
「地声っす!」
「高奈の地声は大きすぎるよー。耳が痛いよー、起きたばっかりだよ私は」
咲子はぼやいて目をこすった。
胃の痛みをずっと堪えていたという明人の吐き気さえ全てもっていった女は、自家中毒を起こしたかのように何度も吐いては通院することが続き、現場に点滴と医者を携えて稽古を続けたが、最近ではずいぶんと体調を取り戻したらしく、悪態をつくいつもの主宰者ぶりである。
嘔吐しては「苦しい」と咲子は寺森に訴えていたが、そうなるまで放置していたのだから自業自得、と棄却された。
けれど、吾妻も寺森もわかっている。
この一件では、咲子は一度も社長を呼ばなかったし泣きついてもいなかったのだろう。
自分の力で全て処理し、自分の力でやり遂げた。
そこまで頑なな感情を、明人への愛情だと思わずに何と言おうか。
洗面台に向かう髪のハネた女の後姿を見つめて、吾妻は思わず頬を緩めた。
「泣いても笑っても明日は劇場入りですよ、咲子さん」
吾妻が呼び止めるように言い、咲子が睡魔に襲われたままの顔で振り返る。
「…私がいつ君たちに泣いたところを見せたよ? 私が泣いたら誰も対処できないくせに。ほほほほ」
寝ぼけている仕草で咲子は高笑った。
「無理しないで下さい。ぼくはいつでも胸をお貸ししますからね」
応接室で明人相手に泣きわめいことにすでに感づいているスタッフらが笑った。
またしても電話が鳴る。
「いらなーい。犬の胸で泣く主人があるかー。吾妻、君の期待してた電話だよー」
咲子はふふんと笑って照れを濁すと「買いかぶりすぎだけど、そういうのは嫌いじゃないな」と言った。朝から続くであろう電話を予期して連日朝から出勤している吾妻にだ。

「はい、お電話ありがとうございます、オフイス・ラボでございます。はい、恩田明人ですか? それがちょっと…今回の公演では出演いたしません。ええ、そうです、はい。失踪? いやいや、そんな…」
出たな、失踪疑惑。吾妻はほくそ笑んだ。
世間は思い通りに動いてくれている。
吾妻はわざと言葉を濁した。
これで恩田明人失踪疑惑に拍車がかかればそれでいい。
「もっと混乱させてやりなさいな」
咲子は誰に言うでもなく笑って、そしてペタペタと足の裏を鳴らして出て行った。
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