小説【劇団実験ピストル病院】

□【第二幕】感情3
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レコーディングの時に比べれば、稽古場で歌う明人の声の質は格段に落ちていた。
吾妻は渋い顔をして簡易舞台を見渡す音響スタッフ席にいた。

デビューアルバムに収録された曲を舞台で歌う明人。
歌姫オフィーリア。
ハムレットに恋焦がれながらも、ハムレットに冷たくあしらわれ、その男が狂気を演じているとも知らずに、それでも健気でアグレッシブに歌う女。
声は中性的で、男か女かとメディアはデビュー前にもかかわらず予想通りに騒いでくれていた。
主に深夜枠を押さえて容赦なくCMは流れる。
若者中心に売り込む戦略で、プロモーション活動はまずは順調。
舞台の告知で、劇団に所属する女優が出ているドラマのタイアップで、スポンサーである携帯電話会社のCMで。
明人の声は望月青のものとして耳にするようになった。
作曲も作詞共に明人が行い、吾妻が編曲してプロデュースした。
明人が曲作りに関わることで懸念された「メイル臭さが出てしまう」ことも、明人は立派に捨て去って曲を作った。
女性の歌う曲にしては少し低音。
それも明人が歌える音域に合わせてある。
わざと男のような声を装って歌う曲があるのも、男には出せないような高音へと駆けのぼってサビに入る曲があるのも、性別への疑問を抱かせるため。
望月青が女なのか男なのか世間が疑問を感じる。
気になって、曲を全て聴きたいとアルバムを手に取る。
女性歌手として決定付けさせるのでは面白くない。
創りあげられたコンセプトの中で世界観を大切にして作られた曲たち。
時に女心で恋を歌い、時に母親を思い、時に社会を描く曲で望月青というシンガーソングライターが確立した。
アルバムに収録される何曲かを日本を代表する作曲家が曲を提供した。
それも話題にのぼるだろうことは吾妻の計算のうちだ。
舞台音響を生業にして実力と経験を積んでいた吾妻だったが、一方で音楽イベントやライブを主催するオーガナイザーも行ってきた男は、ここぞとばかりに今まで作り上げてきたコネクションと未知数の実力を利用していた。
若いからと同業者から鼻で笑われることなんて、もう痛くもかゆくもない。
おまえら、ここまで来れるかと笑い返してやりたい。
今まで音楽が好きだからという理由だけでやってきたことが、それでも評価されて自分のものになり、更にはこんな形になった。
けれど、この現状。
理想の具現化だとさえ思った男の声はまるで出ていない。
レコーディングに入った頃は精神バランスを崩しつつあったが、それでも彼は歌いきった。
あの時ライブハウスで吾妻を魅了した声以上の声で。
トレーニングを積んで練成された声は声量、音域共にアマチュアで基礎も知らずに歌っていた頃をはるかに凌いでいた。
モノになった、と吾妻は安堵した。
磨けば磨くだけ明人は輝いていく。
まさにダイヤモンドの原石のような男。
初舞台を成功させたという体験は彼に自信を与え、それは声にも音にもあらわれていた。
トラックダウンまで無事にこぎつけ、あとは店頭に並ぶのを待つだけのアルバムは、世に出ればそこそこ話題にもあがるだろう。
それを足がかりにして次の段階へいける。
このプロジェクの全ては、望月青を世に送り出し、恩田明人だったという衝撃の真相を明かし、更には恩田明人を一人の歌い手として音楽の舞台に立たせることだ。
それを布石にしてオフィス・ラボは音楽活動と芸能活動を行う。
事業の拡大。
それさえも視野に入れられた企画なのだ。
すでに望月青のためにオフィス・ラボの内部に事務所とレーベルを設立してある。
それこそ親会社であるノイズの力が大きく働いていることは事実だが、後には親会社から独立しても立派に計上利益をあげていける会社へと進展させることも咲子のビジョンにはあるのだろう。

それなのに。
吾妻は舞台で声を絞り出すようにして歌っている男を見た。
そこには望月ではなく、恩田明人が見え隠れしているようだった。
そんなに必死になって歌う曲じゃないのに、血を吐くように歌うな。
吾妻は独特の透明感を失ってしまって、更には自我を喪失して迷走する声を、髪を掻き毟りながら注視する。
違う、そこは芯のあるファルセットで。
ああ、違う、そこの入りはラだ。
ああ、また違う、半音下がってどうする。
何やってんだ、音ハズすなんて問題外だ。
がなるな。地声で貫いてどうする。
あの自信はどこへ行った。
音が、まるでダメだ。
何も脳を刺激してこない。
あの脳天を突くような音をおまえはどこに落としてきたんだ。
清流のようなピアノの音にのって展開される胸をしめつけるような甘いバラードが、ただ淡々と口先だけで愛をうそぶく歌にしか聞こえない。
吾妻は頭を抱えた。
これじゃメイル解散直前の音以下だ。
理由はわかっていた。明人の精神状態だ。悪化する一方で脱出口を見出せていない。
けれど、それじゃダメだ。精神状態に引きずり回されるようじゃプロじゃない。
音が…、と吾妻は苦渋に満ちた呟きをこぼした。
隣に座っていた音響スタッフが心配そうな顔で吾妻と明人の顔を交互に見つめている。

音が、腐ってる。
不協和音は今の明人の気持ちを表しているようだった。
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