小説【劇団実験ピストル病院】

□【第一幕】邂逅1
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せめて傘くらい買えばよかった。


夕闇にまぎれてこぼれ始めた雨は、大粒だった。
空気は重く、じっとりと肌にまとわりついてくる。時折生暖かい風が吹いて、それは湿度を多分に含んだ空気になって肌を濡らした。
ぽつん、と音を立ててアスファルトに黒い影を作るこんな雨は、間もなくして驟雨になるに限っている。
明人は思わず舌打ちをした。
ちっ、というその音をきっかけに、思いついたように雨がこぼれ始める。
夕立は嫌いじゃない。雷も嫌いじゃない。けれど、こんな日のこんな雨は嫌わずにいられない。
前には細い一方通行の道が続いていて、この時間はほとんど車は走っていない。
それをいいことに明人は道路の中央を肩をおとして歩いていた。もはや、自分が道路を独占していることにも気がつけないくらい脱力しきっている。
どこからどこまでが自分の手足かわからず、頭脳もきちんと回転してるのか確認できない。
それでも足は家路を進んでいるから嫌になる。
こんなときでも腹がすくのと同じで、こんなときでも自分は家に帰ろうとしている。
細長い住宅地の道路を歩いてマンションまで30分もかかるのに、この気持ちを晴らすために電車を乗り継がずに手前の駅で下りて歩き始めてしまった。
歩き始めてまだ2分。こんな日にはお誂え向きの雨だ。しかも家まではコンビニもなければ雨宿りするような場所もないときている。
どいつもこいつもふざけてやがる。
行き場のない苛立ちだった。ただの八つ当たりだとわかっているが、その唾棄は禁じえなかった。

今日、バンドのメンバーが全員辞めていった。

バンドといっても、それで食っているわけじゃない。学生時代のノリで続けていた、ただの「お遊び」。
少なくとも、そう思っていたのは明人以外だったということが、今日になってようやく判明した。
就職とか、生活とか、夢とか希望とかあるわけじゃん、俺たちにはさ。
彼らは取り繕うように笑って見せた。
だったらコレにユメとかキボウとかを見ていた俺はどうすればいいんだろう。
他のメンバーだったらいくらでも集められるとは思う。
メンバーが辞めたから自分も音楽を辞めなければならないなんて、そんなことはない。
けれど、違う。それが悔しかったんじゃない。
悔しかったのは、裏切られたこと。
いや、それも違う。そんなことはただの綺麗事にすぎない。
悔しかったのは、メンバーからそう告げられて、そろそろ俺も就職活動しなきゃならないのか、なんてあっさり思ってしまった自分がいたこと。
22歳、夏なんてそんなもんか。
背中から追ってくる雨音に、明人はもう一度舌打ちした。

目の前には、濡らされた生暖かいアスファルトが続いている。
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