小説【劇団実験ピストル病院】

□ 【第三幕】瓦解2
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咲子班の稽古が始まった。

いつも通り、咲子の隣には三上と寺森がそれぞれ座っている。
寺森はひっきりなしに指示を出していく咲子の演出プランを台本に書込んでいっている。
稽古では衝突は珍しくない。
咲子と役者、役者と役者、スタッフと役者、みなそれぞれが本気で挑むからこそ、言い争いになることもある。
しかし、咲子は全てそれを論破する。
感情にまかせて衝突する分には咲子から寺森に指示が出て、冷静な対応で演出補佐の男は稽古場の外に感情論にまみれた役者なりスタッフなりを連れ出してクールダウンさせるのが常だ。
ドラマの撮影が終わり、その好評さも耳にすることができていた明人が稽古場の隅に座っている。
舞台に俺を出せ、俺を利用しろ、と咲子に言った明人だったが、囮にするような真似はできないと咲子はその申し出を拒んだ。
明人を音楽の舞台に引っ張りだすのが最終目的なのだから、そんな危険な橋は渡れない。
咲子の説得に明人は応じたが、それでも気になるところがあるのか、今回の公演では役者でもないのに明人は常に稽古場に顔を出している。音楽活動の合間に、である。
明人は、簡易舞台に立っている弥生を凝視していた。
噂で聞いていた通り、センスのいい演技をする。
演劇歴は1年くらいだと聞いていたが、そうとは思わせない。
その経歴が本当なら、才能があるのだと頷ける。
新人の中では一番良い役をもらっている。もちろん、主演クラスではないが、主演をやらせても充分通用するだろうその能力は、1年前素人同然で舞台に立った自分と比較して悲しくなるくらいのものだ。
その明人の視線の先にいる田中弥生は、「to BE」でクローディアスを演じ、その演技力を田中幸助に名指しで絶賛された河南大地に突っ掛かっている。
田中弥生の古株つぶし。
それは劇団内ではもう有名だった。
ベテランの役者に向かって弥生は物怖じせず、それどころか自分の方が才能があるとばかりに喧嘩を売っている。
それがただの言葉の暴力ならば問題ない。
しかし、その圧倒的な実力と才能を見せつけるものだから、努力を重ねてきた凡人には毒の刃以外の何ものでもない。
実際に灰原は、その目で弥生が演じた「アカザ」に影響されて1週間ほど稽古に挑めなかった。
それは灰原も河野も解釈しなかった「アカザ」像であり、そこには17歳の少年が解釈したとは思えないほどの深い意味をもった「アカザ」が存在したからだ。
灰原も決して素人ではないし、演技が下手であるわけがない。
吉良陸吾の後任者として劇団の看板男優になりつつあるその実力と経験を頭ごなしに否定された気がしたのだろう。
そうでなくても誰よりも芝居に対して真摯な態度で挑むが故に役柄に没頭してしまい、芝居の中で恨むべき人間を、実生活でも恨んでしまうくらい役に入り込んでしまう役者だ。
プライドも高いから、明人は入団当時は灰原に何かと睨まれたものだ。
素人同然の恩田を簡単に舞台に立たせる咲子を認められない、と言った言葉も時々耳にした。
その灰原を潰しかねなかった田中弥生。
今度の標的は河南大地か、と明人はこっそりため息をつく。
「いやぁ、それはおかしくありませんかね、河南さん」
芝居の流れを飄々とした声が止めていた。
咲子は黙っている。
「僕は本当はあなたの息子なんでしょう? それを実は知っているのがあなたの役柄なのに、少しもその雰囲気を漂わせないなんて、後に繋がっていきませんよ」
正論を言われて河南は黙り込む。
少年はくるりと険しい顔になって、河南が演じるべき男を演じ始めた。
この切り替えの早さは凄まじい。
明人は自分でも気が付かないうちに拳を握っていた。
てのひらにじわりと汗が滲むのを感じる。
少年は父親らしい厳しさを漂わせながらも、誰もいない空間に向けて愛おしいげな表情を浮かべたる
誰もいないそこに、実は血の繋がる息子がいるように。
そして、我に返るようにその表情を拭うと、また辛辣な態度で台詞を繰り出す。
鬼才だ。
明人は少年を見据えたまま唇を噛んだ。
努力の凡人を呆気なく凌いで、その無駄に流れる凡人の血を啜って成長し、幾つもの凡人の亡骸の上に立つ天才。
演出家が目指そうとしている芝居の主旨もきちんと理解している。
少し動きが多いが、それでも凸と凹がすっきりと当てはまるかのような演技。
咲子が文句を言わないのももっともだ。
模範もいいところだ。
文句を言わせる隙さえない。
完璧だ。
あんな演技を見せられたら。
自分だったら、と明人は思う。
あんな演技を見せられたら、きっと自分は今演じた弥生のように演じようと躍起になるだろう。
それは思うつぼだ。
誰も弥生のようには演じられないのだから。
そしてジレンマのループにはまる。
足を持ってかれて、そこから立ち上がれなくなる。
オリジナリティさえ奪うその才能に、弥生が口だけではない人物なのだと明人は思った。
「…と、こんな感じです。どうですか? 藤倉さん」
素に戻って弥生が両手を挙げて伸びをしながら咲子を見る。
咲子はただ頷いた。
ふふんと弥生が笑い、河南が悔しそうに苦笑いを浮かべる。
そこから河南のジレンマが始まった。
河南は演じようとするが、ある一定のところまでくると演技がとまる。
こうじゃないとばかりに、自分でやり直しを咲子にお願いする。
もう一回、と咲子が淡々と指示を出す。
河南がもう一度演じる。
しかし台詞は止まった。
もうすでに台本を離している時期なのに、河南は頭が真っ白になってしまったとばかりに動きを止めて、信じられないと言った様子で立ちすくんでいる。
「大地?」
異変を感じて咲子が声をかける。
「す、すいません…」
「余計なこと考えなくていい。とりあえず続けて」
「すいません、咲子さん、俺…」
半ば呆然と河南は呟いた。
「できないかもしれない」
河南は言うと、それほど動き回ってもいないのに息を荒くついて愕然と肩を落とした。
「できないって、どういう…」
咲子も驚いた顔で河南を見た。
男のその顔は蒼白になっていて、咲子は絶句する。
弥生は余裕ありげにべろりと舌を出して自分の唇をなめた。
その口は凡人の血で濡れているに違いないと、不穏な空気にかわりつつある稽古場を見渡して明人は思う。
河南は努力を重ねるタイプだ。
感性で演技をせず、研究に研究を重ねる勤勉な理論派タイプだ。
男の役柄の解釈には定評がある。それは咲子も知っていた。
その積み上げられた緻密さがばらばらと音をたてて崩れていくようだった。
「俺にはできません」
河南は蒼白のまま床を見つめて言い切った。
稽古場の誰もが騒然とする。
河南は最初から投げ出すようなタイプではない。
咲子の厳しい指導にも必死でついていく優等生タイプだ。
それが。
その男が。

古株つぶし。
明人は弥生を見つめていた。
少年はその視線に気が付いたかのように、ふと明人が座る稽古場の隅に目をやる。
視線がぶつかった。
明人はその挑戦的に鋭い視線に屈することなく、顎をあげて男の眼を見つめ返す。
出て来いよ。ここまで出て来い。
男はそう言いたげな目で明人を見据えると、またしても無駄に手をぶらぶらとさせてふらふらと動き、印象的に口角の上がった唇の端をさらにあげた。
「僕の相手をしてください」
殺伐とした稽古場に、男の脳天気な声が響く。
「そこのー、恩田さんのことですよー」
うざったそうに明人は目をそらした。
しかし男はあきらめることなく、恩田さーんとまぬけな声で手を頭の上でぶんぶんと振って呼び掛ける。
仕方なく明人は立ち上がった。
「ちょっ…アキちゃん?」
咲子の困惑した声と、周囲のざわめきが重なる。
明人はそれでも、意を決した顔で簡易舞台に歩み寄った。
「咲子、台本くれ」
「え? ええ」
まさか相手をするつもりで? という表情で咲子は机に座ったまま台本を放り投げる。
明人は床に落ちた台本を拾い上げて髪をかきあげた。
顔を上げて、咲子に笑いかける。
舞台に突っ立ったままの河南が明人の顔を見た。
「河南さんは自分の演技をすればいいと、俺は思いますけどね」
と、明人は微笑む。
「ちょっと休憩しててくださいよ。このガキの天狗鼻、へし折るんで」
明人は冗談めかして河南に言った。
「アハハ、天狗って、ひどいなぁー」
弥生がなんて事なさそうに笑い飛ばす。
その挑発めいた目の色を宿している少年にも、明人は優し気に微笑んだ。
その表情に弥生が意表をつかれたように瞬きを繰り返す。しかし、すぐにその顔はいつもの余裕ぶったものに戻った。
河南がしずしずと役者らの待機場に戻っていくその背中を見送ると、明人は台本をぱらぱらと繰って簡単に目を通す。その動作を何度か繰り返して、明人は誰に対してでもなく小さく頷いた。
「咲子、ちよっとだけ茶番につきあえよ」
そう言うと明人は台本を簡易舞台の外へ放り投げる。
舞台上を音をたてて闊歩すると、よし、と明人はその表情を変えた。

それは弥生が扮する少年の相手役となる少女の役だった。
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