流星の女神

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 伽奈芽は走っていた。雨の降る暗い路地を、ひたすらに。右手に傘を握りしめて。

 奏が森崎家を出てから30分が経過した頃。奏からの連絡はまだ来ない。さすがにもう、一報入っていてもおかしくないはずなのにと、心配になった伽奈芽は奏へ連絡を入れてみることにした。最初はコミュニケーションアプリの『LIME(ライム)』で連絡を入れていたのだが返事は無し。それから更に15分程待ってみたが、既読も付いていない。不安が募った伽奈芽は電話を掛けることにしたのだが、何回か掛けて、やっと繋がった電話も虚しく数分で切れてしまった。ノイズが入ったせいで、奏とちゃんとした会話さえ出来ていない。少しだけ聞こえた奏の声は、泣くのを堪えているような声だった。もしかしたら既に泣いていたのかもしれない。奏に何かあったのではと、とうとう痺れを切らした伽奈芽は自ら家を飛び出して探しに行ったのだった。

 電話口から雨音がはっきりと聞こえたのを覚えている。奏はおそらく外にいる。でも、どこに? 居場所を聞いてもノイズに遮られてしまったのだ。冷静さを失った伽奈芽は思考を巡らせるも、奏の行きそうな場所など見当も付かなかった。それから考えた結果、取り敢えず奏の家へ向かおう――そう決めて走ったものの、5分もしないうちにバテ始める。傘を差しながら走るのは、風の抵抗もあって、思ったよりも体力を奪われた。伽奈芽は自分の持久力の無さを痛感した。

「つ、疲れた……」

 歩きながら呼吸を整える。それからは休みながら歩いて、回復したら走ってを繰り返した。
 雨の降る夜ともあって歩行者はほとんど居ない。昼間は人通りもあり、ある程度華やかな住宅街も夜になると雰囲気はがらっと変わる。数十メートル置きに路地を照らす街灯も、寂しげな雰囲気を漂わせている。通り慣れている道のはずなのに、昼間と景色が違って見えるからか、知らない道を通っているような感覚だった。今日は何故だか道のりが長く感じる。

 勢いで家を飛び出し気が動転していた伽奈芽だったが、疲れが出てきたことにより冷静さを取り戻してくる。時折通る車を見て思う。両親に頼んで車で探せば早かったのではないか。どうして思いつかなかったのだろう――そういえば、両親に行き先も告げずに出て来てしまった。今頃心配しているに違いない。考えもなく行動した自分に憤りを感じた。自分の不甲斐なさに落ち込みながら歩いていると、前方から強い光を浴びる。

「んっ、まぶし――」

 伽奈芽の存在に気付いていないのか、ハイビームのまま走る車が通る。雨に濡れた路面はヘッドライトの光を反射し、晴れている夜よりもはるかに鋭い光を発していた。あまりの(まぶ)しさに目が(くら)む。前方の視界を奪われた伽奈芽は暫く動けずにいた。

 車が通り過ぎると、人影らしいものに気が付いた。まだほんの少しぼんやりとする視界を、ぱちぱちと(まばた)きをして慣らす。距離が遠いので人かどうかも定かではなかったが、伽奈芽は傘を持つ手に力を込めると堪らず走り出した。次第に大きくなる人影に期待を膨らませる。
 ゆらゆらと動く人影。ぼんやりとしていた影は近付く程に、はっきりとした人型に変わる。どうやら人であることに間違いなさそうだ。顔や服装は暗くてまだはっきりとは分からないが、その人物はこちらへ向かって進んでいるようだった。
 ふと伽奈芽はある違和感に気付く。そうだ――傘。その人物は傘を持っていない。レインコートを着ているということも考えられるが、シルエット的にその可能性は無いように思える。そう言えば、奏は傘を持っているのだろうか。持っていないのだとしたら――もしかして本当に奏なのではないか。伽奈芽は胸を弾ませた。

 その人物が街灯に差し掛かる。全身が照らされ、見えた人物は――奏だった。奏もこちらに気が付いたのか、走って来る。伽奈芽もスピードを緩めずに駆け寄った。

「伽奈芽ーっ!」

 奏はバンザイをするように腕を上げて伽奈芽へ近付くと、そのまま抱擁した。伽奈芽はよろけながらも奏を受け止め、傘を差し掛けた。

「はー。落ち着く……って、ごめんっ」

 奏は、はっとして伽奈芽から離れる。ずぶ濡れの自分が抱きついたら伽奈芽まで濡れてしまう、と今更ながらに思ったのだ。伽奈芽は笑顔で「大丈夫だよ」と言うと、全身ぐっしょりとしている奏の姿に驚いた。

「奏、ずぶ濡れじゃない!」

 頭の天辺から足の爪先まで雨に濡れた奏。伽奈芽の想像を超えて濡れていた。たった今傘を持たずに家を出て来たとか、そんなレベルでは無い。長い時間雨に打たれ続けた末の有り様だった。
 いくら夏だといえど、これでは冷えてしまう。タオルくらい持って来れば良かったと、伽奈芽はまたしても自分の行動を悔やむ。ひとまずポケットに入っていたハンカチで対処することにした。

「取り敢えず、これで我慢してね」

 心許(こころもと)ないけど……と控えめに言葉を続けると、きちんと四つ折りにされたハンカチを奏へ差し出した。

「いいの? ありがとう」

 伽奈芽からハンカチを受け取った奏は早速、顔や腕などの肌が露出している部分を拭いた。 伽奈芽は、明るく振る舞う奏の姿に胸を撫で下ろした。落ち込んでいるのでは無いかと心配していたのだ。

「帰ったら、すぐお風呂だね。そしたら皆の前で、何があったのか……ぜーんぶ話してもらいますからね!」

「う……申し訳ないです」

 伽奈芽がわざとらしくそう言うと、奏は身を縮こませた。『皆』というのは伽奈芽や伽奈芽の両親のことだ。申し訳なく思う気持ちと同時に、自分の話を親身になって聞いてくれる森崎家族を思うと強い喜びを感じた。自分を受け入れてくれること、自分の居場所を作ってくれることに改めて感謝した。

「ありがとう」

「ん? どういたしまして」

 奏が微笑むと伽奈芽はにこっと笑みを返した。相合傘をしながら、ゆっくりと足を進める。

 タイヤが路面を擦る音が聞こえる。それと同時に光が2人の背中を照らす。後方から車が来たのだろう――そう思った2人は道路の端へ寄った。
――突如。耳をつんざく音――まるで悲鳴を上げているかのような、甲高(かんだか)い音――が響く。2人はその異様な音に驚き反射的に振り向く。

 『それ』は目の前まで来ていた。


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