流星の女神
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――7月某日。
この日の出来事が発端となり、彼女達の運命を変える。
この日は今学期最後の登校日で、終業式だった。終業式は午前中のうちに終わったので、高原奏は一度自宅へ帰り、着替えと昼食を済ませ、親友である森崎伽奈芽の自宅に訪れていた。
「ふあ――」
奏が欠伸をしながら体を伸ばした。伽奈芽家に来てからずっと座ったままで過ごしていたため、体はすっかり凝り固まっていた。何時間ほど居たのだろうか。ふと窓へ目を向けると、レースのカーテン越しに見えた薄明の空模様に驚く。
「えっ、今、何時」
奏は慌てて時間を確認する。時計の針は19時を知らせていた。
「――19時!」
「もうこんな時間だったんだね」
慌てる奏をよそに、伽奈芽は落ち着いた様子で厚手のカーテンを閉めた。
「帰るかあ……」
もそもそと気怠そうな動作で、帰り支度をし始める奏。無造作に置いていたスマートフォンを鞄のポケットにしまった。夕方は肌寒くなるかもしれないと念のために持って来た上着をたたみながら、小さく溜め息を吐いた。
「ねえ、泊まって行きなよ!」
腰の重そうな奏を見て家に帰りたくないのだと察した伽奈芽は、気怠そうな奏とは対照にハツラツとした笑顔で泊まって行くように促した。時間を気にせずやけに落ち着いていたのは、泊まって行かせれば良いのだと考えていたからだった。
しかし、奏は少し考えた後、困ったように眉を下げて笑った。
「いや、大丈夫だよ」
「えっ――」
伽奈芽の動きが止まる。断られるとは思っていなかったのだ。明日からは夏休みなのだから、差し障り無いと思っていた。期待とは異なる反応に、伽奈芽は大きく目を見開いて奏を見た。
「じゃ、じゃあ、夜ご飯食べて行きなよ、ね?」
鞄を肩に掛けて立ち上がる奏に、伽奈芽は戸惑いながらも食い下がった。家に帰すのが心配で堪らないのだ。
「ありがとう。でも、今日は帰るよ」
「そっ、かあ……」
あからさまにしゅんとする伽奈芽に「やっぱり……」と話を翻しそうになるが、奏は自分の気持ちを押さえ込んだ。
いつもなら二つ返事で誘いに応じていただろう。しかし、今日は何故だか帰らなければいけないと思ったのだ。その理由は奏自身もよく分からなかった。着替えや勉強道具など必要な物はいつだって取りに帰れるし、親への連絡だって電話一本入れれば済むことだ。家に帰る理由など、有って無いようなものだった。
虫の知らせというやつなのだろうか。奏は胸にわだかまりを残しつつも、深く考え無いようにした。
「明日からお世話になろうと思ってるよ」
不安な顔をしている伽奈芽を諭すように言うと、伽奈芽は気の弱そうに返事をした。
いざ帰るとなると、奏の気分はどっしりと重くなった。
キッチンで夕食の準備をしていた伽奈芽
の母親に挨拶を交わすと、「車で送っていこうか」と言ってくれた。自分を気に掛けてくれる事に感謝しつつも、遠慮しておいた。自宅に着いた時の、あの「もう着いたんだ」という虚無感が苦手だった。名残惜しい気持ちは早めに断ち切っておこうと思ったのだ。
ここまで断るのは初めてのことかもしれない。伽奈芽も伽奈芽の母親も意気消沈している。本当に残念そうにするその姿に少しの罪悪感を覚えたが、2人の姿があまりにもそっくりで、さすが親子だなあと奏の顔は綻んだ。
玄関先まで向かうと、さっきの綻びはどこへやら。奏の気分は一気に重さを増した。足取りは重いし、溜め息が出る。きっと今、自分は疲れきった顔をしているに違いない。
靴を履き、ドアノブを捻る。扉を開けると、むわっとした生温い風が舞い込んできた。エアコンの効いた部屋に居たせいか、冷えた肌に汗がみるみるうちに吹き出してくる。
夕方だというのに、昼間と変わらないくらい暑い。むしろ昼間より質が悪いと思わせられる。日が暮れるに連れて湿度が上昇しているため、汗がベタベタとして不快なのである。
伽奈芽は小さな手で顔をあおいでいた。「暑いねー」と声を漏らす彼女に、奏も「ねー」と相槌を打った。
「なんか、雲行き怪しくない?」
伽奈芽が空を仰ぎ見ながら言った。さっきはカーテン越しに見たため、そこまで分からなかったが、ちょうど日没だったらしい。赤みを帯びた空と沈み掛けの太陽は所々厚い雲に覆われていた。
「本当だ、雨降らないと良いけど」
「夕立かな?」
奏も空を仰ぎ見る。心なしか風も強くなっている気がした。本当に夕立が来るのかもしれない。雨具の用意などしていないので、立ち話もこの辺で留めておこう。帰るタイミング逃す前に奏は話を切り出した。
「雨が降り出す前に帰るね。じゃあ、また明日」
奏が右手を軽く挙げると、伽奈芽は両手をひらひらと何度も横に振った。
「また明日。気を付けて帰ってね」
「うん、ありがとう。帰ったら取り敢えず連絡入れるね」
「絶対だよ」と念を押して言う伽奈芽に、奏は微笑むと、早足で歩みを進めたのだった。