―解放と依頼―

例えばの話。
 どことも知れぬ島の只中、小さな小さな森の奥に、こじんまりとした一つの家があったとする。
 その家の中央には古めかしい木彫りの机があり、その脇には小さな椅子が二つあるとしよう。そして椅子の上には二つの人影がある。
 一つの影は教師であり、一つの影は教え子だ。
 二人は机を挟んで向かい合い、一人はどこかのんびりとした様子で、一人は少し戸惑った様子で座っている。
「──で、先生」
 二つの影の内、より小さい影がその姿に似合った細い──しかし微妙に棘のある声で、もう一つの影に問うた。
「先程のは、一体何の話ですか?」
 眉を顰める生徒に、もう一つの影は緩やかな動きで肩を竦めた。「だから、最初に言ったでしょうに。どこにでも居る冒険者のお話だって」
 おどけた返答に、生徒はより険の増した声を出す。
「何故ここで冒険者の話ですか。私はそんな話を聞くために先生の元に居るわけではありません。もう無駄話は結構ですので、早く今日の授業を始めてください」
 先生と呼ばれた影は、軽く肩を竦めてみせる。
「つれないわね。というか、気を張りすぎなの貴女は。もう少しこう、肩の力を抜いてだね……」
「力を入れているつもりはありませんが」
 間髪入れぬ肩筋張った返答に、先生は小さく苦笑する。
「……まぁ、良いけどね。それに別に無駄話をした覚えはないよ。単純な教訓話」
「教訓ですか?」
「そう。さっきのは『喧嘩するなら常に逃げ道は確保しとけ』っていう話。タメになるでしょう?」
「なりません」
 即答。二つの影はそこで暫し沈黙する。
「……で、その後さっきの冒険者がどうなったかというと──」
「まだ続ける気ですか」
 呆れたような声音に、先生は朗らかに笑い、
「モッチロン。貴女が泣いて頼むまで話すの止めない」
「…………」
「泣き真似してもダメ。やるなら素で泣いて見せなさい素で」
 奇とも嬉ともつかぬ口調に、小柄な影が嘆息する。
「……判りました。先生がお話をするのに飽きてこられるまで、つき合わせていただきます。……でも、せめて次のお話が何の教訓であるかだけでも教えていただけると嬉しいのですが」
 慇懃に答える小さな生徒に、机にしな垂れかかるように身を伏せていた影の背中が小さく揺れる。
「くくく。ああ、今度のお話は簡単よ。『その偶然を人は運命と呼ぶか否か』って話。どんなに名の知れた英雄でも、彼や彼女達が構成する物語の全てが必然で始まるわけじゃない。例えば、貴女がここに居るのも、その全てが貴女の意思と力だけで決まったんじゃないのは、判るよね」
「…………」
 苦い表情を浮かべて黙る生徒の素直さに、先生と呼ばれる影は喉の奥で笑いつつ、伏せていた身を起して言葉を継ぐ。
「ま、ぶっちゃけて言っちゃえば『運も実力のうち』って奴?」
「ぶっちゃけ過ぎです」

   ・

 このフローリア諸島には、街や都がそれぞれ持つ治安維持機構の他に、アラセマ常駐軍と呼ばれるより上位の──軍隊が存在する。
 アラセマ常駐軍と呼ばれる一団は、フローリア諸島を属領とする西大陸の国、アラセマ皇国から派遣されてきた軍隊である。『常駐』というその名とは裏腹に、この諸島に古くから駐留していた軍ではない。ここ数ヶ月ほど前から発生し始めた、フローリアに属する各島とその周辺の異変。それの対処と調査のために、西大陸にあるアラセマ本国から派遣されたのが彼らだ。
 アラセマ常駐軍の駐屯地は、フローリア各島に点在する街か村の近隣、もしくはその内にある。ランドリートの都の場合は、都より若干の距離を置いた平地上に設営されている。故に、彼らの駐屯地にある施設の殆どは、突貫作業による急場凌ぎの物で作られた──もしくは仮組みのみで構成されたものであり、牢の方も作りは極々簡素なものとなっている。
 そんな出来合いの牢の中。窓も無く床も無く、剥き出しの土の上に、独りサーシャは立ち尽くしていた。
 既に日は暮れているらしい。窓は無いものの、周囲に漂う空気が寒々としたものへと変化したことから、それが判る。
 ぐるりと一度だけ牢内の様子を見渡し、サーシャは暫し思案した後。簡単に結論付ける。
(……逃げ出せなくも無いか)
 牢というより、留置所と呼んだほうが正しい。格子は鉄製であるものの接合部は弱く、四方を占める壁も薄い。全力を出せば容易に抜け出せる。
 ──が。
 サーシャはその考えを体外に吐き出すかのように、すっと息を抜く。
 流石にそれは短絡過ぎる。逃げ出し、もし途中で捕まってしまった場合のことを考えると、やはり脱獄には二の足を踏まざるを得ない。大体、こちらはたかだか都内で喧嘩しただけである。わざわざ逃げ出さずとも、それ程時間も掛からずに釈放されるだろう。
 そう判断したサーシャは、湿気た土の上に腰を下ろし、時間が過ぎるのを待つ事にしたのだが。
「おい」
 唐突に話し掛けられ、伏せかけていた顔を上げる。
 声がした場所は牢の外、簡素ながらも鉄で作られた格子の向こう側だ。そこにはこの牢の番人と思しき、アラセマの兵士用装備に身を包んだ男が立っていた。
 男はサーシャが顔を上げたのを見届けると、格子に掛かった鍵を面倒そうに開き、手招きする。
「出ろ。釈放だ」
 ……予想外に早い。釈放は少なくとも明日になってからと考えていたのだが。
 意外そうな顔を浮かべたサーシャに、男はむっつりとした表情のまま動きを止めたあと、
「理由は知らん。上からの命令だ。──ほら、とっとと出て来い」
 彼を苛立たせても得をすることはなかろう。サーシャは土の上から腰を上げると、素直に彼の後へと従った。

   ・

 サーシャは先導する男の後に続き、営倉となる建物から外へと出る。先刻の予想通り既に駐屯地には夜の帳が降り、その中を輝く赤く白い光が点々と、夜に抗うように咲いている。
 兵士が向かったのは敷地の中央、常駐軍駐屯地の中で最も大きな施設。その扉を潜り、施設のエントランスへと足を踏み入れたサーシャは、そこでそれぞれに時間を過ごしていた駐屯地の人間の中に、一人の男の姿を見た。
(あれは……)
 都でゴロツキと喧嘩した時に手を貸してくれた、名も知らぬ男だった。
 夜となり既に閉じた窓口の壁に寄りかかっていた彼は、サーシャの姿に気づくと軽く手をあげて挨拶。サーシャはその仕草に眉を顰めつつ、何故ここに彼も居るのかと訝しげに見やり──ふと気づく。
 荷物や服装、剣などの武装が、会った時そのままだった。
(捕まったわけじゃないのか?)
 当然ながら、サーシャの所持品は営倉に入れられる前に全て軍に没収されている。なのに、彼にはそういった雰囲気が無い。とはいえ、会った時に然程気にして相手を見ていたわけでもないので単なる印象だ。気のせいである可能性も高いが。
「サーシャ、で宜しいですね」
 ──と。 脇からの唐突な声にサーシャは小さく肩を震わせ、慌てて声のした方へと振り向く。そこには、先程の兵士とはまた異なる、より事務的な衣装に身を包んだ女が、いつの間にか立っていた。恐らくはこの駐屯地に詰める職員か。
 彼女はサーシャが驚きから覚めるのを待ってから、再度問う。
「宜しいですか?」
 一瞬何が宜しいのかと迷い──名前の正否を問われているのだと気づく。反射的に頷くと、脇に抱えていた荒い紙を数枚取り出し、サーシャへ見えるように掲げて示す。
「当常駐軍での手続きはこちらで済まさせていただきました。これにより、貴方はこのフローリア諸島で当軍を補助する者として行動する権利と、当軍駐屯地で幾つかの補助を受ける権利が与えられ、軍が『討伐指定』もしくは『害獣指定』を行った対象を発見した場合、これを撃退する義務が発生します」
 そんな勝手に──と言い掛けたサーシャを遮るように、彼女は間髪入れずに言葉を繋ぐ。
「フローリア諸島での特殊地形探索などをされるおつもりでしたなら、この契約は必須のものです。ご不満でしたら島を去られるべきでしょう」
 きっぱりと言われ、言葉に詰まる。その間にも女の説明は続いていく。「貴方の軍での待遇は『序階士位』相当となります。備品支給などもそれと同等の物を与えられます。詳細については駐屯地の窓口で改めてお尋ねください。また、貴方はワイゼン家からの推薦という形になりますので、後援を受けた家の名を汚さぬような行動を心がけてください。以上です」
 そこまで一気に告げて、職員らしき女は小さく一礼した後、手に持っていた荷物をサーシャへと差し出す。サーシャの荷物だった。反射的に出したサーシャの手に荷が収まったのを確認したあと、小気味良い動きで踵を返すと無言のまま去っていく。一片の隙も無いその振る舞いに、サーシャは茫然とその後ろ姿を見送るしかできなかった。
 そして、漸く我に返ると、まず疑問が頭に浮ぶ。
(──推薦?)
 女の最後の言葉に、サーシャは素直に首を捻る。ワイゼン家といえば、このフローリア諸島を属領としているアラセマ皇国を事実上治める『六家』の一つ。生粋の名家であり、その影響力は国の中心からは遠く離れたこの島でも十分に通じる。そのような家が、何故自分のような流れの冒険者を『後援』する?
 そう自問したサーシャの視界に、一人の男──探検家風の衣装を纏ったあの男だ──が軽く手を振る姿が映る。
(……なるほど)
 得心いった表情で頷いたサーシャを見て、彼は軽く笑みを浮かべて手を挙げた。
「ま、俗にいうところのコネという奴だよ。正直、島に渡ってきた早々こうなるとは思ってなかったが、こちらも大人しく所持品を調べられる訳には行かなくてね」
 言って、彼は自分の背嚢を軽く叩いてみせた。
「君のほうの持ち物は大丈夫かい? 無くなっている物は無いか? ここはどうか知らないが、場所によっては金目の物が抜き取られている場合もあるからね」
 軽く所持品を調べてみるが、なくなっているようなものは無い。という以前に、無くして困るようなものなど元々持ってはいない。
 そんなサーシャの様子に彼は苦笑しつつ頷くと、
「では、本題に入ろうか」
 同時に、男の視線に真剣味が増す。それに気づいたサーシャも軽く姿勢を正してその視線を受け止めた。
「当然──というかどうかは判らないが、こうして君を出してもらったのには理由があるんだ」
 どこか問うような調子の彼の言葉に、サーシャは無言で頷く。
 殆ど赤の他人といってもよい自分を彼が助けてくれる義理など、本来ならば微塵も存在しない。なのに、わざわざ彼の言うところの『コネ』を使って、こちらを釈放するよう軍に呼びかける。先に恩義を与えておいて、交渉をより有利にするのは基本中の基本。つまり、何かこちらに頼みたい事があるのだろう。
 だが、アラセマの一級貴族であるワイゼン家に対してコネがあるという程の男が、何故身元も知れぬ冒険者を使おうとするのか。それがサーシャには判らなかった。
「──の前に」
 と、そこで探検家は言葉を切ると、油断なく周囲に視線を走らせ、どこか呆れたような表情で顎を擦る。
「ひとまずここから出ようか。どうも落ち着かない」
 その言葉に、エントランスの薄闇の一部が小さく身じろぎするのを、サーシャは確かに感じた。

   ・

続く…




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