2章【のぼる太陽】 ベッドに寝かせた少年を静かに眺めて恭弥はため息をつく。 抑えきれなかった吸血衝動に吐き気がした。 血の匂いがしたと感じたところから恭弥には記憶がない。 理性を取り戻したとき、隼人はすでに意識をうしなっていた。 蒼白な表情で力なく瞳を閉ざしていたのだ。 一瞬殺してしまったのではないかと恭弥の全身が震えた。 人間は脆い。 全身の血液を半分もぬけば死んでしまう生き物だ。 本来であればごく少量でよかった摂取量も腹部の出血のせいで増えてしまった今回、正気をとり戻せたことに恭弥は心底安堵していた。 少年が正常に呼吸を繰り返していることを確認して、手首の傷口をグラスの水を含ませたフキンで軽くふきとる。 少年のもってきた物を使うことに一瞬ためらいはしたが、少年の行動から恭弥がヴァンパイアであることは悟られていたのだということを考えれば、すべてこのために用意されたものだったのだろうとの結論におよんだ。 優しく撫でるようにフキンを滑らせれば、ほぼ傷口が塞がった状態の白い腕がある。 食事を終えた恭弥が傷口を舐めたからだ。 ヴァンパイアの体液には治癒能力がある。 それは自身の肉体のみにとどまらず他の生物に対しても有効だった。 ほどなくして隼人の腕の傷はなんの痕も残さず消えるだろう。 意識のない隼人の身体をさきほどまで自分が寝ていたベッドに横たえて、恭弥はテーブル近くのイスを引きよせた。 イスに腰かけて隼人の姿を観察する。 見たところ貧血という症状で間違いないと思われたので、恭弥は胸を撫でおろした。 綺麗な少年だ。 恭弥と同等かそれ以上に白くきめ細かな肌。 さらさらの銀の髪に桃色の唇。 整った端正な顔立ちは人間の中ではかなり上質のものだとわかる。 ヴァンパイアの容姿は人間と比べ並外れて優れていると言われているし、恭弥自身そういった概念がなかったわけではない。 だが、隼人の姿はヴァンパイアにひけをとらないだろうと思われるほど秀麗だった。 ヴァンパイアの寿命は長い。 外見でいえば恭弥と隼人はそれほど年の差を感じないが、恭弥は隼人の何倍もの時を生きている。 人間から不老不死とまで言われる時間をヴァンパイアは生きつづけるのだ。 そんな人間とはまったく違う時を刻むヴァンパイアの中にあれば恭弥などまだ若輩者だろう。 それでもすでに人の一生より長い時を生きてきた恭弥は、いままで見てきたどの人間などよりも隼人を美しいと思った。 人に限らず、生き物に対して美しいと感じたことなど初めての経験だったのだが、その事実にそのときの恭弥は気づかない。 ベッドから小さく呻き声が聞こえて、恭弥は少年に近づいた。 「…な、よ…しさ…」 かすかな声だった。 それが声だと認識することすら難しいほどの。 それでも確かに隼人は呟いていた。 「つなよしさん…?」 恭弥は聞こえた言葉を同じように口にする。 少年を見つめているとその眉が切なげによせられて、閉じられた目から一筋の涙が伝った。 それがとても綺麗で神聖なものに思えた恭弥は、ゆっくりとそれを指で拭ってやる。 隼人はその指にすりよるように顔をかたむけると穏やかに微笑んだ。 「っ!」 まさかそんな反応がかえってくるとは思っていなかった恭弥は反射的に指を引く。 瞬間、隼人が不満そうな表情を見せた。 あまりにも寂しそうな顔をするので、髪を梳くように頭を撫でると整った表情がゆるむ。 人と触れあうという感覚が久々で恭弥は戸惑った。 自分の動きひとつひとつにかえってくる反応。 自分以外の相手の穏やかな寝息。 指に触れる他人の体温。 なにもかもが懐かしく不安定で、そしてとても息苦しい感覚だった。 '08/1/30 <<戻(ちょうは) |