れんさい

□蝶は太陽に焦がれ焼け堕ちる
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【手折れた蝶】



「目、覚めたのか」

隼人が寝室の扉を開ければ、さきほど拾った青年が驚いた表情で立ちつくしていた。

部屋に光がはいらないようにと、手早く扉を閉める。
薄暗くなった室内で隼人が前へと踏みだせば、相手は警戒するように後ろへさがった。
そのことに苦笑する。
相手がヴァンパイアだというのなら、隼人にとって予想のつく光景だった。

恭弥は片手で口元を押さえ、腕で抱き込むように肩を強張らせている。
餓えを認識したところに餌が飛び込んできたのだ。

この部屋にいたのが恭弥ではなく、もっと知性の低いヴァンパイアだったなら隼人は襲われていた。
おそらく血の1滴すら残さず喰らい尽くされていただろう。
そのことを、恭弥だけでなく隼人もわかっていた。



ヴァンパイアは人間よりも知的な生き物だが、餓えを満たすために人の血を欲する。
それゆえに人間からは化け物と認識されることも多く、ほとんどのヴァンパイアは人里に現れることがない。
結果、人間のもつヴァンパイアの知識は乏しくなり、その生態を正確に理解している者は少なかった。

ヴァンパイアは本来、むやみに人を襲うことなどない。

人間などよりよほど長命な彼らは、餓えの衝動も長い周期で訪れるし、1回の食事に必要な血液の量も微々たるものだ。
決して人間に害をおよぼすような相手ではない。

ただし、それは正常なヴァンパイアにのみ適応される常識だ。
例外として手負いのヴァンパイアがあげられる。
失った血や疲労に比例して理性が削がれ本能が顕著にあらわれるのだ。

ヴァンパイアの回復能力は人間の比ではない。
体力さえ万全であるなら切り傷やスリ傷などものの数秒で完治する。
人間の血液はそんな彼らにとって万能薬ともいえた。

ゆえに手負いのヴァンパイアは体力が完全に回復するまで血を喰らい、その結果として人を殺してしまうことがあるのだ。
人間はこのほんの一握りのヴァンパイアを彼らのすべてだと認識し恐れている。

さらに言えば、純血のヴァンパイアはすでに少なく、いま現存するほとんどのヴァンパイアは人間との混血だ。
そしてヴァンパイアの血が薄いほど本能に抗えなくなり人を襲ってしまう可能性を秘めている。



だからこそ恭弥のその行動は、彼がヴァンパイアの中でも高貴な位の力ある者だということを隼人に再認識させるには十分だった。

だがあれほどの怪我を負っていたのだから、いくら餓えを抑えても彼は人の血を飲む必要があると隼人は微笑む。

「出てって…」

抑えられた声だった。
恭弥は自身がもつ本能の衝動に抗いながら必死で声をあげる。

「聞こえてるんでしょ?でていって!」

「わりーな、いま準備するから」
隼人は恭弥の言葉になど耳もかさず、中央のテーブルに歩み寄った。
そしてもっていたトレーを円テーブルに置く。
その上には水のはいったグラスと銀のナイフのほかに真っ白なフキンがのっていた。

「頼むから耐えてくれよな」
恭弥に向かってへらっと笑った隼人は、ナイフを握るとためらいなく手首に刃をあてる。

部屋中に鉄の香りが充満した。

がたーん。
「いでっ!」

押し倒されて床にしたたか頭をぶつけた隼人は思わず声をあげる。
じんじんと痛みを訴える後頭部に涙が滲んだが、腕に喰らいついてる青年をなんとか視界にいれた。

手首に唇をあてて流れでる血を飲んでいるようで皮膚に歯を立てられた形跡はない。
すべての意識が血液摂取にむかっているのか、その瞳は閉じられ漆黒の睫が震えているだけだった。

また瞳を見そびれたな、と思考の隅で思いながら隼人も眼を閉じる。

静かな薄暗い部屋で男の息づかいだけが確かだった。
痛いほどに握られていた腕への負担が和らぎ、相手の理性が戻ってきたことを感じながら急激な貧血に眩暈を覚える。

これだけの衝動を抑えこむにはどれほどの理性と精神力が必要なのだろうとぼんやり思いながら隼人の意識は遠退いていった。


'07/10/27


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