れんさい

□蝶は太陽に焦がれ焼け堕ちる
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【手折れた蝶】



甘い香りがして意識が浮上していく。



恭弥は目覚め特有のふわふわとたゆたう感覚が嫌いだった。
絡みつくような感覚を一掃するために勢いをつけて眼を開く。

ぼやけた視界に瞬きを数回繰りかえすと、見慣れぬ天井に顔をしかめた。

「なに?これ」

呟いた声は最後に発した言葉よりずっとはっきりしていてなおさら納得いかない。
灰になっているはずの身体も欠損箇所ひとつなく残っていることを確かめて、恭弥はため息をついた。

陽の光を浴びて灰になるという夢はしばらくお預けのようだ。

「っ!」
身体に無理を強いて、恭弥は上半身を起こす。

視覚で状況を確認すれば清潔感のあるシャツを羽織っていた。
腹部には丁寧に包帯が巻かれ、そこかしこにあった目立つ切り傷も包帯やガーゼで手当てしてある。

恭弥は腕に巻かれた包帯を撫でて瞬きした。
理解できないことが起こると頭の回転は鈍くなるらしい。

森で倒れていたはずなのに、手当てまで受けて室内にいる。

現状把握にと視線を廻らせれば、木材でできた簡素なログハウスの一室であることは容易に知れた。
調度品も最低限といった感じで、狭くもない部屋なのに恭弥が寝ていたベッドのほか壁際に衣装棚などの家具が数点置かれているだけだ。

ただし、それらの調度品一つ一つがかなり値打ちのある物のようだった。

「ふうん…趣味は悪くない」
ベッドサイドに置かれたアンティーク調の懐中時計をいじりながら恭弥は観察を続ける。

金持ち特有の無駄な煌びやかさはなく、適度な高貴さをもった室内の空気は恭弥にとって好ましいものだった。
過度な装飾はそれのもつ本来の美しさを損なうことにもなる。
その点で言えばこの部屋は実に美しい部屋だった。

恭弥の唇は自然に弧を描き、目許を和ませる。
ログハウスそのものから漂う木の香りと共に甘い匂いが部屋に満ちていた。
部屋の中央に置かれた円テーブルの上の花からだ。

透明な細身のガラスの花瓶に、白い大輪をつけた花が数本活けられていた。
その甘い香りは実に自然なもので、恭弥を不快にさせるものではない。

そしてこの香りには覚えがあった。

恭弥が意識を手放す寸前に声と共に香ったものだ。
声の主がこの家の者だという推測を立てるのは当然の流れだった。



物好きもいたものだと恭弥は思う。
あれほど血まみれで倒れていたのだから、なにか危険なものや出来事があったと予測はついただろうに。

捨て置けばすぐに事切れるとは思わなかったのだろうか。
律儀に手当てをして着替えまでとは、などとつらつら考えてまたため息をつく。

恭弥の中で感謝より呆れが勝っていた。
自身が厄介者だと自覚があるからだ。

ここにいてはこの家や家人にも危険がおよぶ。

それに恭弥の正体を知れば、家人も彼を追い出すだろうということはわかっていた。
ヴァンパイアを受けいれる人間などいやしない。
それが長年生きてきた恭弥の率直な見解だったからだ。

拾った相手が化け物だと知るより、礼も言わずに消えた無礼な人間がいたと思うほうが家人にとってもいいはずだと考え実行に移すことにした。
時計をベッドサイドに戻して、恭弥は立ちあがる。

早々にこのログハウスから立ち去るために。

立ち上がった際の眩暈を恭弥は無視した。
傷口は順調に塞がっているが、失った血が多すぎるのだ。
補おうと本能が血を欲する。

激しい餓えの衝動だった。
それを理性で抑えるとふらつく足で扉を目指す。

さきほどいじっていた時計の針が、深夜ではなく昼過ぎの2時を指していたことに恭弥が気づくのと、部屋の扉が外側から開かれたのは同時だった。


'07/10/9


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