れんさい

□蝶は太陽に焦がれ焼け堕ちる
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1章【手折れた蝶】



あと1時間で陽が昇る。

いやに冷静な頭で恭弥は思った。
灰になって跡形もなく朽ちる最後、というのも悪くないような気がして少し笑う。

目的もなくずるずると生きながらえた年月を思えば、人生初の陽の光を浴びながら逝けるというのは素敵なことだ。
呆気ない幕切れではあるけれど、後悔するような生き方もしていない。

恭弥の身体はどうやったって動きそうになくて、抜けでていく赤い血に比例して起こる餓えの衝動もどうでもいい。

もう生きることは諦めていた。

陽が昇るまでの1時間で追っ手がくる心配もないだろう。
そのためのこの怪我である。
恭弥の腹部、白いシャツを赤黒く汚し続ける彼自身の血液。
これが致命傷であった。

失敗したとは思っていない。
ここが自分の限界なのだと思えばそれは納得のいく結果だった。

「負けたわけでもないしね」

朝日を待つ大気を振るわせた声は掠れていて、恭弥はまた少し笑った。
こんなに弱々しい声を発したのは初めてだったのだ。

どこかもわからない森の、木々がひらけた幻想的な草原に横たわってゆっくりと瞬きを繰りかえす。
周りをぐるりと木に囲まれているこの場所からは、まるく切り取られたような夜明け前の空が一望できた。

この瞼が完全におりたらもう開かないのだろうと漠然と考えて、どうか陽が昇るまではと祈るように願う。

人間が崇拝する太陽を見てみたいと、それは恭弥のもつ数少ない夢だった。
いつだって見上げれば淡い光を放つ月が恭弥を迎えていて、それに嫌悪や落胆を感じたことはない。
ただ、その月に代わって空を支配する太陽という存在とその光に照らされた世界を眺めてみたかったのだ。
眩しいといわれる現象を全身で感じてみたかった。
それが叶うならば、多少の疲労や眠気は我慢できないこともない。

死はまったく怖くなかった。
恐れるほどに、生に執着したこともないからだろう。
失うものも残すものもなにもない。
この忌まわしい血によってひき起こされてきた出来事もすべてがここで終わる。

呼吸を繰りかえすたびに腹部が痛んだが、明け方特有の澄んだ空気を恭弥は好んだ。

「空が白んできた」

待ちわびた太陽の訪れ。
その光が身体を射せばそこから朽ちて滅んでゆくというのに、恭弥の心は歓喜に弾んだ。
早起きな鳥が小さくさえずる。

霞む意識の中で声を聞いた。

「しっかりしろよっ…まだ死ぬな」

その言葉が願いだったのか激励だったのか、それは恭弥にはわからなかった。
ちらちらと視界を掠める銀糸が素直に美しいと思ったのを覚えている。

甘い香りに誘われるように、恭弥は意識を手放した。


'07/8/18


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