4章【蝶の破壊神】 主人の死を語る隼人が泣くことはなかった。 翡翠の瞳で強く恭弥を見つめて、泣きそうな顔で気丈に微笑んでいる。 それは恭弥が過去に見つづけてきたある人物の姿と酷似していた。 感情を抑えて、泣きたくても微笑みつづける相手を恭弥は知っている。 どうして自分にだけでも素顔を見せてはくれなかったのか。 すべてでなくてもよかった。 ただその心の傷をもっと伝えてくれたなら、この現状はかわっていたのではないかと。 その心の闇が理解できなかった事実を恭弥はいまでも悔んでいる。 目の前の隼人の姿は、恭弥の中にあったかすかな後悔の念を呼び覚ました。 殺伐とした生活の中で忘れかけていたような、他人を想う感情。 自身を顧みない隼人の姿に恭弥の眠っていた心が蘇っていくようだった。 本当は守りたかったのだ。 いつだって寂しそうに微笑んでいた、その相手のことを。 懐かしい感情が渦巻いて恭弥の全身を巡る。 守りたかったと気づいたとき、目の前にいたこの少年も守るべきではないかと。 隼人を守ってやるべきではないかと、衝動的に思ったのだ。 思ったときには抱きしめていた。 小さく震える手のひらに気づいてしまったから。 「恭弥…?」 「君が勝手すぎて、余計なことを思い出したよ」 「へ?」 隼人が小さく身じろぐ。 「そうだね。僕は生きるべきだ」 そして、この身に流れる血と決着をつけなければ。 恭弥は自分の決意に眼を閉じた。 抱きしめた身体は細く脆い。 恭弥が誰かを抱きしめたのは初めてだった。 伝わる熱にお互いの存在を確信する感覚。 不可思議で心地良いそれに身を任せたくなったところで眼を開けた。 銀の髪と白い花が月光に照らされている。 甘い香り。 唐突に花の正体を思い出す。 一族の跡取りとして膨大なほど詰め込まれた知識の記憶の底に、それは沈んでいた。 正式名称は思い出せなかったが、別名「命を繋ぐ蜜の花」と言われるヴァンパイアに伝わる万能薬の原料。 そう。 黄金の瞳をもった混血児の延命を促す薬。 この花はおそらく自然に繁殖したものではなく、ここで栽培されていたもの。 陽の光を十分に浴びなければ必要な成分の育たない植物だったはず。 月光をうけて朝方に甘い香りを放ちながら大輪の花が咲けば、それが貴重な蜜を採取するのに適した状態。 ヴァンパイアだけで栽培するのは難しい。 日光のあたる場所を正確に判断することもそうだが、もともとそういった行為の知識が乏しいのだ。 恭弥の読んだ書物にも栽培法までは詳しく載っていなかった。 そもそもの必要性が希薄なことが大きな原因。 自分の力で大概のことはこなせるヴァンパイアという種族は、薬という存在に疎い。 怪我をしたところで少量の血を飲めば事足りる。 薬を作るなどという技術をもつものも限られていた。 おそらくは隼人が栽培していたのだ。 もしくは、いまでもここで栽培をつづけている。 いま亡き主人を思って。 それはとても美しい心のようで、ひどく歪んでいるようにも感じられた。 綱吉を失った瞬間から抜けだせていないのだろう。 いまも隼人の時は止まったまま。 主人のために墓を整え、花を添える。 そうしてあの踏みならされた小道ができたのだ。 その純粋さを悲しいと思った。 '10/2/21 <<戻(ちょうは) |