【コイビトはまだ動けない】 「隼人、ごめん」 控えめな女の声。 聞き馴れたそれにふりむけば、アメジストの瞳が不安そうにこちらを見つめていた。 「なんだ?クローム」 「骸様が…逢いたいって」 縋るような視線。 彼女にとって骸の存在はいつになっても絶対だ。 「骸が?わかった」 頷けば、ほっとしたように淡く微笑む。 足早に近づいて綺麗な髪をぽんぽんと撫でてやった。 本当にクロームが望んでいる腕はまだ彼女を包んではやれないから。 10年前からオレがずっと代わりをしてる。 それも、あと少しで終わるだろうけど。 終わったとしてもオレはもうクロームのことを妹みたいに想っていて、それはきっと変わらない。 「…ありがとう」 「うん?」 「隼人が選んだのが、骸様でよかった」 「どうした、突然」 首に絡んできた細い腕。 腰に手をまわせば首筋に吐息がふれた。 骸が直接クロームを抱きしめたら、きっと感動するんだろうな。 「いま、むっとした」 「あーした、かも」 「私は、骸様も隼人も好きよ」 「オレも好きだぜ」 「でも、骸様は隼人が好きだわ」 「クロームのことも大好きなんだよ」 ふふふ、と笑うクロームの頬にキスをして骸のもとへ向かった。 「骸、寝てんのか?」 「ハ…ヤト、くん」 「ああ、調子はどうだ」 定番の科白に口を開いた骸は躊躇ってから困ったように少し笑う。 白いベッドの上、骸はまだ本調子ではなかった。 復讐者の牢獄からやっと連れだせたのは1ヶ月前。 クロームを通じて外界の情報はずっと手にいれていたけれど、捕らわれ眠りつづけた身体のほうは10年のブランクがある。 ずるずると伸びていた髪は幻覚のような艶もなかったし、せっかくの美丈夫もやつれていた。 もちろんずっと使っていなかった声帯が簡単に音を発するわけもなく、衰えた筋肉では歩くこともままならない。 いくつもの点滴で体調を維持する日々。 少し身体を動かすだけでも重労働のようで、リハビリのとき以外は眠っていることが多かった。 「きょうは、歩けそうなきが…したん、で、すけど」 「無理すんな。ゆっくりでいい」 「…はい」 腕をあげることも辛そうなのに、そんなすぐ歩けるはずはないけど。 理想どおりにいかない現状は歯痒いだろうな。 「おしごとは?」 「少しぬけだすくらい平気だ」 「僕の…こと、は気に、しないで」 「逢いたいって言ってくれたんじゃねーの?」 「ぇ?」 本気で驚いてる骸の顔に、謝りながら声をかけてきたクロームの声が蘇る。 この1ヶ月、気を遣うばかりで恋人らしく傍にいさせてもくれなかった骸が、やっとオレを必要としてくれたんだと思ったのにな。 「くろぉ、むです…か」 「オレの意思だよ」 クロームは最近になって自分の意見を主張できるようになった。 でも、まだそれは他人のためであることばかりだし、今回のこれは完全に骸への気遣い。 クロームには骸がオレに逢いたがってるように感じられたんだろう。 オレもそうだったらいいなって、思うしな。 「たまには甘えさせてくれよ」 「君には、かなわ…ないです、ね」 久々のキスは、1ヶ月前のかさついたものよりずっとやわらかくて甘くて嬉しかった。 逢いたかったのはお前よりオレのほう '09/5/17 <<戻(よみきり) |