鰤二次文(長編)

□◇ 月の下(もと)にて・・・
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「月見が出来るまでにはもう少し時間が掛かるようだ。」
死神が空を見て言うと、緋真も同じように顔を上げ「そうですね。」と返した。
「先日、桜の話もしていたな。あの話が本当ならもう咲き始める刻限だろう・・・見に行ってみるか、緋真?」
死神に訊かれた緋真がそちらに目をやると、夕陽を受けた大木は前回と違った様子に見えた。

「はい、ぜひ・・・でも、その前にどうしてもお訊きしたい事があります。」
「なんだ?」

自分から問いながら緋真は少し躊躇して口を開いた。
「あの、字を・・・あなた様のお名前の字を教えて下さいませ。」
「そんな事か。もう少し後でも良いだろう?」
揶揄うように言われたが、緋真は退かなかった。
「お願いします。それが気になってこの三日間ずっと落ち着かなかったのです。それに・・・知らないままでは失礼な気がして・・・」
「分かった、教えよう・・・手を。」
そう言って、死神は緋真の手を取った。
突然の出来事に固まってしまった緋真には構わず、掌を上に向けると一文字ずつ声に出して自分の指でそこに字を書いた。
「白・・・哉・・・だ。」

死神の手は離れたが、緋真は自分の掌を見つめたまま夢を見ているように言った。
「先日、私の名前を呼んで下さった時・・・とても嬉しかった。」
そして、顔を上げて笑顔を向けて続ける。
「でも、本当の意味であなた様のお名前を知る事が出来た今の方がもっと嬉しいです。」
「お前の名を確かめた時の私の気持ちが解ったか?緋真。」
「はい、よく解りました。あの・・・私がお名前をお呼びしても失礼には当たりませんか?」
「無論だ。そのために教えた。」
「ありがとうございます・・・『白哉様』」

呼ばれる筈のなかった名を昔と変わらぬ声と笑顔で口にする緋真。
確かに三日前にも一度その口から聞いたはずなのに、白哉の心への響き方は全く違っていた。

「この50年は報われたな。」
白哉の小さな呟きは風の遠鳴りに紛れて緋真の耳には届かなかった。
 
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