鰤二次文(長編)

□◇ 花、ひとひら
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「月の出と共に咲いたのだから、散るのも月の出と共に・・・だろうな。」

白哉の言葉に普段ならすぐに返ってくる反応が無く、白哉は初めて緋真の妙な静けさに気付き目を向けた。

緋真が桜を見上げている。

「緋真 ――― 」
名を呼んだ白哉だがそこで言葉を切る。

美しい枝垂桜に目を遣ったままの緋真の頬を涙が伝っていた。
声を掛けた白哉を見ることもなく、ただ桜に目を向けている。

白哉には今と同じ光景を見た記憶があった ――― ひと月前、白哉の横で月を見上げた緋真。
月の美しさに魅了されながら、無意識に痛切ともいえる哀しみの表情を曝していた。

“おそらく緋真の胸中には今、私は居ない”

白哉は緋真が何を思って涙するのかを問う事が出来ずにいた。
問う事は出来ないが・・・
「緋真、独りで泣くな。」
腕を伸ばした白哉はそっと緋真を抱き寄せた ――― 奪われた心を取り返すように。
緋真は逆らわず腕の中に納まった。
それなのに・・・白哉に身を預けているのに、それでも緋真の心はすぐには白哉の許に戻らなかった。
白哉は小さく震える身体を柔らかく抱き留めたまま、黙って緋真の髪を撫で続けた。



「ごめんなさい、私・・・」
暫く経って漸く緋真は我に返った。
小さなその声は届いた筈なのに白哉は腕を解かない。
だから緋真もそのまま目を閉じると、白哉に身を委ねた。

――― 緋真の耳に白哉の鼓動が優しく響く・・・まるで哀しみを解きほぐすように



「白哉様、木の周りを歩きませんか?」
緋真は目を開けると顔を上げて白哉に訊ねた。
「ああ。」
白哉が返事と共に腕を解くと、緋真の華奢な手が白哉の左手を掴まえた。
白哉の瞳がほんの少し見開かれる。

緋真が自分から白哉に触れたのは初めてではなかったか?

「ほら、早く!」
「・・・」
白哉は緋真に引かれるまま歩き出した。

「本当に大きな木ですよねぇ。上を見ていると首が痛くなりますよね?」
天にまで届きそうな木を見上げてから、白哉に視線を移して緋真が言う。
だが、愉しげに話す緋真の姿に違和感を覚えた白哉は足を止めた。
「緋真・・・何故それ程はしゃいでいる?」
「えっ・・・そうですか?いつもと同じですよ?」
緋真は笑顔を絶やさず否定した。

「そうだ!白哉様、私あれからずっとやってみたい事があったのです!」
紫の瞳が好奇心に輝いている。
その気持ちに偽りは無さそうだが、話題を変えようという緋真の意図がありありと感じられる。
しかし、白哉はそれには触れずにおいた。
「・・・当ててみせようか ――― 枝の内側に入ってみたいのだろう?」
白哉が言うと緋真は驚きに目を瞠った。

巨大な枝垂桜は、無数に垂れる枝とそこに咲いている花が壁となって何かを守っているように見えるのだ。好奇心の強い者なら間違い無く中を覗きたくなる。

「どうしてお分かりに!?」
「顔にそう書いてある。」
白哉は揶揄うように少し笑ってみせた。
「中に入れそうな場所を見つけよう。」
添えられていた緋真の手を、今度は白哉が柔らかく包み込むように握る。
緋真は頬を染めて、自分もそっと握り返した。


木の周囲をゆっくりと散策していると、人が入れそうな枝の隙間が目に留まった。
中を覗こうとする緋真を止めて白哉は先に足を踏み入れる。

「“蒼火墜”」
白哉が静かに言葉を発すると、本来攻撃に使われる火炎が小さな灯となって中を明るく照らす。
「案外広いな。」
天を突くような大きさに見合う何千年もの年輪を蓄えていそうな巨大な幹。
それはまるで壁のように立ちはだかり、反対側を窺う事が出来ない程。
その幹が遥か高みまで伸びながら大瀑布のように無数の枝と花とを垂れているのを内側からも見ることが出来た。

白哉が中をざっと確認し終えると同時に明かりは消えた。
枝の隙間から零れてくる夕方の光が陰影を付けながら木の内側をうっすらと照らしている。
「緋真、入れ。」
呼ばれて中へ入った緋真が上を見上げて「すごい・・・」と一言洩らす。
「広いですね・・・白哉様、中も周ってみましょう?」
緋真は再び白哉の手を取った。


 
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