物置
□過去拍手小咄・弐
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*2013年3月度掲載分*
《 春の香り 》
「隊長…?」
恋次が執務室に入ると窓辺に立つ白哉の背中が目に入った。
開け放たれた窓の外は気持ち良く晴れ、何処か遠くで囀ずる小鳥の鳴き声が微かに聴こえる。
まだ肌寒さは拭えないが冬とは明らかに違う陽光は春がもうそこまでやって来ている事を感じさせた。
「…何でも無い」
素っ気無く返事をした白哉は隊首羽織を翻して隊長席に着くと書類に目を通し始める。白哉のそんな態度には慣れっこの恋次は気にした風も無く自分も副隊長席に着いた。
“こんな良い天気に事務作業なんて…気が乗らねぇなあ”
恨めしそうに眺める窓から流れて来た穏やかな風が机の書類を緩やかに揺らし、恋次の鼻先を掠めていった。
“春の匂い…”
執務室の窓の近くには沈丁花が植えられている。先日見掛けた時には硬い蕾があるばかりだったが、植物はちゃんと季節を察知していて恋次の気付かぬ内に蕾を綻ばせていた。
――― 沈丁花は姉様のお好きな花だったそうだ
不意に恋次の脳裡にそう語るルキアの声が過り思わず隊長席に目を向けると、恋次の視線に気付いたのか、顔を上げた白哉の瞳とぶつかった。
「た…隊長、俺っ!何も聴いてませんからっっ!!」
狼狽えた恋次は椅子を飛ばさんばかりの勢いで立ち上がった。
執務室に入った時、聴こえてしまったのだ ―――
『今年も咲いたな』
護廷十三隊の隊長でも朽木家当主でも無い、まるで誰かに優しく語り掛けるような白哉の呟きの声を。
少し驚いたように目を向ける白哉の前でハタと気付いた。
“わわっ、バカか俺っ!!これじゃ、『聴こえてました』って言ったも同然じゃねえかよ!?”
胸の内で焦りながらもそれ以上取り繕う術も無く、恋次は身を縮めて所在無く椅子に座ると白哉の視線を遮るように手に取った書類を立て気味にした。
書類の陰に隠れた恋次を眺める白哉は一瞬、微かに口の端を上げたがすぐにそれを消した。
「恋次」
白哉の呼び掛けに少し間を置いてから「…はい」と返事をして、恐るおそる顔を上げた恋次。
「この件に付いてはお前に一任する。桜が見頃になったら隊士達への労いも兼ねて花見を催せ」
白哉が手にしているのは恋次がダメ元で出した新人歓迎会の開催申請だった。信じ難い白哉の指示に今度は恋次が目を丸くした。
「そりゃみんな喜びますけど…」
「何だ」
「他の隊ともぶつかるし、場所取りが結構大変なんですよねえ。花見の出来る所自体が限られてるんで」
「その必要は無い。我が邸の庭を開放する」
「え…隊長ん家で…?」
「不満なのか?」
「まさか!願っても無いっスよ!!」
尸魂界にも桜の名所は幾つもあるが、瀞霊廷に居ながらにして桜並木を楽しむのならば朽木家に勝る場所は無い。
「お前が取り仕切る方が皆気易かろう。邸の者には私から伝えておく故、進めておけ」
「分かりました。じゃあ早速ですが、隊長には乾杯の挨拶をお願いしますね」
沈黙する白哉に恋次は立ち上がると両手を腰に当てて言った。
「六番隊の花見に隊長の言葉の一つも無しなんてあり得ないでしょ…俺に幹事を一任したの、隊長ですよね?」
「…そうだったな、了解した」
仕方が無いと云った様子ながら白哉が返すと恋次はニヤリと笑ってから頭を下げた。
「ありがとうございます!」
顔を上げると、恋次は窓辺に寄った。
沈丁花の蕾が幾つか花開き、淡い香りが時折漂う。
「春の匂いっスね、隊長」
相変わらずの無表情だが、白哉は恐らく自分らしからぬ呟きを部下に聴かれてバツの悪い思いをしているだろう。恋次はそれを払拭したくて敢えて花の話題に触れた。
「 ――― そうだな」
無関心な様子で、それでも白哉は同意を示した。
恋次はそれで満足だった。
「さあ、サッサと片付けて花見の計画だっ!!」
俄然やる気を出した恋次は腕を振り回しながら席に戻った。
fin
恋次の存在に気付かない程、花の香りに気を取られていた兄様でした
lokoの中では沈丁花は緋真の象徴なのです。