鰤二次文(長編)

□◇ 月の下(もと)にて・・・
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―――三日後

『びゃくや』と名乗った死神と月を見る日、約束は夕刻だというのに緋真は夜明け前に目が覚めてしまった。

あの日の事は鮮明に覚えているのに、あまりに出来過ぎた話のような気がして約束の事すら半信半疑であった。

「私が見た夢だったのかしら」と、一人呟くのはこれで何度目だっただろうか。

昔、自分が出会った少年の成長した姿を改めて思い浮かべながら感嘆の溜め息が出る。
あの夜、月光の中に見た姿はまるで月の精霊のように思われた。
そして・・・他の死神と同じ死覇装姿なのに、明らかに違う纏っている高貴な雰囲気。おそらく上流階級の貴族であろう事が流魂街に住む緋真にも容易に想像できた。

自分が言い出した望みだったのに、行くべきか行かざるべきか緋真の心は揺れていた。
待ちぼうけで肩透かしになるなら良い。死神に揶われたと思えばいいだけだ。でも、本当に来てしまったら・・・自分のような者が関わって良いはずがない。自らの過去を顧みれば、ただ月を見る事さえも許されない事のように思われた。
もし自分が行かなければそのまま帰ってくれるだろうか?それともずっと待っているだろうか?いや、おそらくここまで訪ねてきてくれるだろう。

そうして逡巡を巡らせる内に、何一つ手を付けられないまま夕刻が迫ってくる。


結局、緋真は待ち合わせの場所へ向かうべく家を出た。
どうしても『びゃくや』の字を知りたくて。

たったそれだけの事がこんなに気になるとは思いもしなかった。だからこそ、死神が『緋真』という文字を見た時に微笑んだ意味が理解できた。
そして同時に・・・そんな事をずっと気にしてくれていた理由を計りかねた。
瀞霊廷の貴族の体験としては希有なものだったにしても、ただの好奇心で気にかけ続けられるような年月ではない。

もし、その『理由』が自分と同じなら・・・
だが、緋真はその考えを頭から追いやった。あり得ない夢想は冒涜だ。あの方の言った通り、ただの『お詫び』なのだと自分に言い聞かせた。

緋真の胸の内とは裏腹に、昨夜の雨が嘘のように空は晴れ渡っていた。
約束の刻限には少し早いような気がしたが、死神を待たせる訳にはいかないので急ぎ足で森を抜ける。
息を切らせて先日の場所に着いたのは陽が傾いて辺りが紅く染まり始めた頃だった。

足を止めた緋真の目に映し出されたのは美しい夕日ではなく、荒野を前に佇む死覇装の後ろ姿。
あの晩見た時と同じ姿に、あれからずっと立っていたのではないかとさえ思われた。


「随分早く来たのだな、緋真。」
当然のように名を呼ばれた緋真の心拍数は跳ね上がった。
あんなに離れた所に立っていたのに、近すぎる声に気付けばその姿は緋真のすぐ横に・・・三日前の再現のようだ。
「あの・・・申し訳ございません。お待たせしたつもりはなかったのですが・・・」
戸惑いながらも謝罪する緋真に死神が言う。
「いや、私が勝手に来ていただけだ。」

夕陽に照らし出される死神の容貌。
あまり見つめては失礼だと思いつつ、その整った顔立ちと澄んだ灰色の瞳から緋真は目を離すことができずにいた。

「どうした、緋真?」
「えっ・・・いえ、何でもありません!」
声を掛けられ我に返った緋真は必要以上に慌てて答えた。
その様子を見て、死神は笑みを洩らす。
死神の表情を見てホッとした緋真も笑顔になり、出掛ける前までの不安な気持ちが一瞬で消えた事にも気付かなかった。
 
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