鰤二次文(長編)

□◇ 雪柳の灯(ともしび)
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「朽木、お前に半月の現世任務の打診が来たんだが…行けるか?」

隊首会から戻った隊長から、白哉はそう切り出された。

「副隊長が出向く程の案件なのですか」
「まだ分からんが…単独任務なのでな。ま、それなりの実力のある者って事に決まった。多少の変更は利くが、明後日の早朝からなんだが」

『約束の日』の翌朝か…

「分かりました」

白哉の返事は普段通り簡潔だった。

「本当にいいのか?」

何故か念を押す隊長。

「任務に優先される事項などありません」

サラリと言い切る白哉に隊長は肩を竦めた。

「なら頼むぞ。うちから出すと総隊長には報告しとく」


……………………………………


荒んだ戌吊の季節も春深くなり、日の長くなるのが目に見えて感じられるようになった。
いつものように白哉が緋真の許を訪れたその日は何となく気が急いて到着が早まった所為もあり、陽が落ちて間も無い山中にはまだうっすらとした明るさが残っていた。

「今宵は外へ出ぬか」

いつものように家屋の戸板を敲き終えない内に戸を開けて出迎えた緋真を、白哉はそう言って外へ連れ出した。

「急に済まぬな…不都合は無かったか?」

落ち葉を踏みながら山道を行く白哉が一歩後に付いて歩く緋真に声を掛けた。
緋真は「はい」と笑顔を向ける。気遣う事があるとすれば、長い道程をやってきた白哉に茶の一杯も出していない事だ。

「でも、どこへ向かっていらっしゃるのですか?こんな山の中…何もございませんよ?」

ここに暮らす緋真は訊ねてみるが、白哉は「来れば分かる」と一言告げただけで先を進む。
緋真は小首を傾げながらも後に続いた。

暫くして白哉が足を止めたのはかなり傾斜のきつい斜面の際。白哉はその上方を見上げた。

「緋真はこの上に登った事はあるか?」

もしかしてこの上に行くつもりなのだろうか?

「いいえ。この辺りは私には険し過ぎて…ここに来たのも初めてです」

白哉がくるりと緋真に向き直った。

「掴まれ」

言うが早いか、白哉は返事も待たずに緋真を抱き上げた。

「び、白哉様!まさかこの崖の上へ!?」
「そうだ。振り落とされたく無くば、しっかり掴まっていろ」

白哉が予備動作も無しに地を蹴ると、緋真は反射的に目を瞑った。

一瞬風圧を受け、フワリとした感覚の後にザッと土を踏む音がした。

「緋真、もう良いぞ」

白哉はそう言ってから少し間を開け続けた。

「それとも、このまま連れて行こうか?この先は少し足場が悪い」
「いえ、下ります。歩きます」
「そうか…」

緋真の間髪入れぬ答えに、白哉は声に若干の落胆を漂わせつつ緋真を地面に下ろしてやったが、すぐに次の手に出た。

「手を…引いても構わぬか?」
「…えっ!?…は、はい!」

不意に問われた緋真が思わず手を差し出すと、白哉は掌を包み込むようにそっと握った。
その途端、恥ずかしさに緋真は顔が火照るのが分かった。

“荒れ地で再会した時と同じ、大きくて温かい手…”

そして、嬉しさに口許が綻んでしまう事も ―――


手を繋いでいる緋真は自然と白哉のすぐ横を歩く事になる。

“私、白哉様の隣に並んだりしていいのかしら…”

不安になり白哉を見上げると、白哉と目が合った。

「どうした。疲れたのか?」

幾らも歩いていないのだが…と、些か自分を気遣い過ぎる白哉に少々呆れながらも緋真は「いいえ」と笑みを返した。

「その藪を曲がった先だ」
「はい」

歩きながら緋真は気付いた ――― まだ周囲は見えるものの随分と暗くなっている。足元の定かで無い山道を、いくら緋真が健脚だと云っても男の足に付いていける筈が無い。

“白哉様…私の歩調に合わせてくださっているんだ”

しかし、白哉はそんな事をわざわざ緋真に知らしめたりはしない。だから、緋真はそれに関して謝意を述べる事は避けた ――― 代わりに、緋真の握る手に力が入る。
それを感じた白哉は何も言わず、緋真の手をもう少ししっかりと握り直した。

白哉の言った藪を曲がった瞬間、緋真は思わぬ眩しさに目を瞑る。恐る恐る目を開けるとそこは一面真っ白に染まっていた。

「わあ…きれい ――― 」

太陽の代わりに昇った月明かりを照り返しているように見えるのは花の群れ。
暗がりに慣れた目に突然飛び込んできた為に眩しく見えただけで、実際には暗い景色にほんのりと霞むように白く浮かび上がっているだけだと分かったのは数瞬後だった。

「雪柳の群生だ」
「 ――― はい」

白哉の背丈よりも高い位置から小さな花をたわわに付けた枝が垂れている。そんな大きな株が、少し拓けたこの場所一面に二人を取り巻くように幾つも連なっていた。
 
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