鰤二次文(長編)

□◇ 其(そ)は花にあらず
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「 ――― あら、この季節には珍しい花が咲いていますね」

後ろから突如掛けられた声に白哉はハッと我に返った。
安全な瀞霊廷内とは云え、霊圧も気配も察知出来なかった事に気の緩みを自責せざるを得ないが、この人物ならば致し方ないのだろう。

「…卯ノ花隊長」

白哉は軽く頭を下げた。
護廷十三隊の隊長ともなれば、瀞霊廷屈指の貴族・朽木家の当主であり副隊長でもある白哉よりも地位は上になる。尚且つ、卯ノ花の隊長歴は総隊長に次ぐものだった。如何に白哉と雖も、最低限の礼儀を守る分別はある。

「朽木副隊長が道端に咲く花に目を留めるとは思いませんでした。お好きな花なのですか?」

塀と地面との際から伸びた茎の先には青紫の桔梗が小さく花開いている。
卯ノ花に言われた通り、白哉はこの草花を気に入っていた ――― 何となく、と云う程度ではあったが。

「いえ…特に」

白哉は曖昧に返答した。それは他者に話す必要など無い事なのだ。

失礼しますと、一礼して背を向けた白哉を卯ノ花の声が優しく追った。

「朽木副隊長 ――― 桔梗の花言葉をご存知ですか?」

白哉の足が止まる。

「いいえ」

向き直った白哉は、卯ノ花を真正面に捉えて返事をした。

「何故、そんな事を?」

白哉が問うと卯ノ花は穏やかに笑んだ瞳で見つめ直した。

「さあ、何故でしょうね?もしかしたら、あなたが知りたいのではないかと思ったものですから…余計な事を言いました」

では、と会釈をした卯ノ花。
四番隊の隊舎は白哉の背後の方向にある。
白哉は一歩横に退き、道を譲る ――― 路地は広いが、隊長に自分を避けさせるような不作法はしない。
卯ノ花は何事も無かったかのように目の前をゆるりと歩む。

「 ――― 卯ノ花隊長」

白哉が呼び止めた。

「何でしょう」

横顔を見せたまま、卯ノ花は応じた。

「教えてください ――― 桔梗の花言葉を」

顔を向けず、卯ノ花は微かに笑みを湛えた。

「桔梗の花言葉は ――― 」

擦れ違いざまに聞いた白哉が胸の内でその言葉を反芻する間に、卯ノ花の姿は消えていた。



…………………………………



「で、これは?」

執務室に戻った白哉が副隊長席の机上に積まれた書類の山を見つめたまま、冷ややかな口調で訊ねた。
それを挟んだ向かい側で机に手を付き平身低頭しているのは自隊の隊長だ。

「 ――― 明朝提出期限の書類…です」
「何故ここに?」
「…いつもお前の手を煩わせていては悪いと思ってな…自分で片付けようと…」
「それが白紙で置かれている理由は?」

白哉の容赦無い静かな叱責に机上に付いた手を震わせながらも、隊長は再びガバッと頭を下げた。

「すまん!俺には手が付けられなかった ――― 頼む、朽木!!間に合わせてくれっっ!!お前なら出来る!」

“何故もっと早く言わぬ!”

その言葉を白哉は胸の内に留めた。
今に始まった事ではない。そして、間違い無くこれからも同じ事が繰り返されるのだから。
そんな無駄な発言をしている時間も惜しみたい程の量だった。
内容は読んでみなければ定かではないが、事務処理に長けた白哉にしても相当の時間を要すると思われた。

“今宵は行けぬか…”

別に毎日行くと約束した訳ではないのだが、結局、白哉は月見の翌日から毎晩戌吊の緋真の許を訪れている。
内心は呆れているのかもしれないが、緋真はいつも自分を快く迎えてくれた。素直に喜んでいるように見えるのも自分の贔屓目ではないと思っている。

用があれば白哉は訪れない ――― 勿論、緋真は承知している。

だが…

“緋真は…待つのだろうな”

たとえ白哉が来ないとしても緋真は普段白哉が帰っていく時間まで待ち続けるに違いない。そして、次に訪れた時には ――― そんな素振りは微塵も見せずに温かく迎えてくれるのだろう。

白哉の脳裏に、先程見た季節外れの桔梗が思い浮かんだ ―――

白哉は無言で席に着くと、「やってくれるのか、朽木!」と感動の声を上げた隊長を完全に無視して書類を仕分け始めた。

下位席官を呼び、任せられる書類を振り分けて指示をした白哉は、幾分小さくなった自分の書類の山を眺めてから席を立った。

「暫し外出します」

事の成り行きを見ているばかりだった隊長が慌てた様子を見せた為、白哉は一言加えてから扉を抜けた。

「明朝までに全て終わらせます…ご心配無く」



…………………………………



「あら?」

卯ノ花が再度通り掛かった同じ場所で足を止めた。

あの草花が無い。

「案外、昔と変わらず素直なままでしたね」

卯ノ花は、地面に僅かに残る茎の手折られた跡を見つめながら独り呟くと、その場を後にした。

 
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