鰤二次文(短編)

□†梅雨の晴れ間
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纏わりつくような雨の中、瀞霊廷内の小路を歩いていた白哉は、とある四つ角に差し掛かかる手前でふと足を止めた。

“この時期ならば…”

空から落ちてくる雨が白哉の差す傘を静かに叩く音だけが耳を打つ。
隊首羽織の裾を翻した白哉は隊舎へ向かう道から逸れ、誘われるように角を曲がった。


……………………………………


雨上がりの午後 ―――

「あ…」

瀞霊廷内を歩いていた緋真が不意に足を止めた。
並んで歩いていた白哉も立ち止まり、声を上げた緋真を見下ろした。

「どうした、緋真。足を痛めたのか?」

掛ける言葉よりも雄弁に何があったのかと問う、白哉の心配げな視線に気付いた緋真は慌てて説明を加えた。

「いえ、そうではありません…白哉様、少し寄り道をしても構いませんか?ここを曲がった先に先日、紫陽花を見つけたのです。そろそろ花が咲いている頃ではないかと思ったものですから」

白哉の瞳から不安の色が消えたのを確かめて、緋真はホッとした ――― また白哉に無用な心配を掛けてしまったと少し気落ちしつつ。
白哉はそんな緋真の気持ちを見逃さない。

「私は構わぬ。別段、急いでいる訳ではない」
「よろしいのですか!?ありがとうございます」

白哉の返事に緋真は素直に喜んだが、本当はそんな気遣いは不要なのだ。
白哉が言った通り、別に先を急いでいる状況では無い ――― そもそも、二人は散歩をしているのだから。

「この先だな?」

白哉が緋真の手を取った。

「…はい」

自分の手を優しく包み込む大きな掌の温かさに寄り添いながら、緋真は白哉と共に角を曲がった。


「白哉様、ありました!」

瀞霊廷には珍しい少し拓けた一画に、青々とした葉を広げた植物が見えた。
楽しみにしていた紫陽花を早く見たくて、緋真は白哉の手を離れると、水溜まりを避けながら花の所へ小走りに向かって行った。

「可愛い…」

腰を折って花に見入る緋真の横に、歩調を変えぬまま歩いてきた白哉が漸く並んだ。

「これが緋真の言っていた紫陽花か?」

葉の上には、花弁を開いた花や花開くのを待つ蕾が群れていた。

「はい。やはり咲いていました。丁度通り掛かって良かった…」

濃い緑色の葉によく映える花には、白い花弁の中央に薄い青とも紫とも見える色が刷毛で掃いたように色付けられ、疎ましい梅雨の時期に訪れた僅かな晴れ間に爽やかさを添えていた。
まだ雨に濡れたままの紫陽花は鮮やかな色合いで、それを見つめる緋真を引き立てるように彩っている。

白哉は緋真の傍らで、それをただ見守っていた。

そうして暫くその場で過ごしているうちに ――― ポツリと緋真の肩を水滴が打った。

「あら、また降ってきましたね」

見上げた空には薄く雨雲が掛かっていた。

「早く入れ、濡れるぞ」

白哉が持っていた傘を開く。

「はい、白哉様」

緋真が遠慮しながら白哉の傍らに並んだ。
それを待っていたかのように降り出した雨。

「来年も見られるといいですね」

降り注ぐ雨粒が水玉となって葉の上を転がり落ちる様子を見ながら緋真が呟いた。

「その時は無論、私も誘って貰えるのだろうな?」
「また一緒に見てくださるのですか!?」
「返事は?」
「はい、白哉様のご迷惑にならないのでしたら、是非!」
「では、約束だ」

――― 花を背にしたこんなに愛らしい姿を、無防備に他者の目に曝す行為は阻止せねばならぬ! ―――

幸いにも白哉の独占欲的な思惑が緋真に伝わる事は無かった。
が、返された緋真の無垢な笑顔に耐え切れなかった白哉が片腕で緋真を引き寄せ、その額に口づけを落とす行為に至り、緋真がひとしきり狼狽えたのは言うまでもない…。

落ち着きを取り戻した緋真は白哉の腕にそっと手を添えた。

「我が儘を聞いて下さってありがとうございました、白哉様。予定より遅くなってしまいましたね…早くお邸に戻りましょう。白哉様のご帰邸があまり遅れると皆さんが心配されますから」
「私を誰だと思っている…子どもでもあるまい」

白哉は呆れたように返した。


二人の姿を包み隠すような小糠雨の中、一つの傘の下に寄り添いながら白哉と緋真は睦まじく家路についた。


――― 緋真とはその後も梅雨の時期になる度に見に行っていたのだが、それは片手程の年数で絶えてしまった。


……………………………………


瞳に射し込んできた光の眩しさに白哉は思わず目を閉じた。
ゆっくりと開いた白哉の目に、煌めく雨粒を纏う紫陽花が爽やかに映り込んだ。

白哉は差していた傘を閉じ、空を見上げた。

雨が、上がっていた。

 
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