鰤二次文(短編)

□†花待つ庭
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三日間静かに降り続いた雨が昨晩ようやく上がり、今朝は久しぶりに顔を見せた太陽が庭の木々に留まる雫を眩しく光らせていた。
昼過ぎ、暖かな陽光が降り注ぐ朽木家の庭で桜の枝の一つを見上げていた緋真が胸の中で声を上げた。

“あ、桜が・・・”

かなり膨らんだ蕾の群れの中でたった一輪、花弁を開いた桜を見つけたのだ。



『現世での少々厄介な虚討伐の任を受けた。もしかすると四、五日は掛かるかもしれぬ。留守を頼むぞ、緋真。』

雨の初日に現世へ派遣された白哉を案じ、心休まる時の無かった緋真にはその一輪の桜が何よりの贈り物だった。
彼の人を思い起こさせる『桜』は緋真にとって特別な花。
だから、一輪だけ先に咲いたそれは、緋真への『知らせ』だったのかもしれない。



日没後・・・

「お帰りなさいませ、白哉様。」
緋真が門から少し入った庭で当主を出迎えた。
それは、白哉から帰邸の先触れを受けていた緋真の、門外にまで出向きたい気持ちを抑えての結果だった。
高位の貴族の奥方は自ら出迎えなどしない。
だから、緋真がそんな姿を外部に曝しては朽木家の沽券に関わるのだ。

白哉はそんな緋真の心情を思い、その健気さに愛しさが増す。

「緋真。変わりないか?」
白哉は丸二日会えなかった妻に声を掛けると腕の中に収めた。
「はい・・・。」
緋真はそう言うのが精一杯だった。
胸の奥に詰まっていた不安がすーっと溶けていく。
緋真は動かない。
この温もりから束の間離れたくなかった。
白哉も同じ想いで腕を解かない ――― 庭を照らす灯が静かに揺らめく中で。
門番は閉じられた門外、用人も誰一人として邸外には居ない ―――


「白哉様、後でお見せしたいものがあるのですが・・・。」
緋真が躊躇いながら話し掛けた。
いつもなら白哉を気遣いすぐに邸内へ誘う緋真だが、抑えられない気持ちがそれを言わせた。
「今でも構わぬ。」
察した白哉は緋真の希望を叶えてやる。
そもそも、緋真の笑顔を目にした時点で白哉の疲れなど消えていた。

白哉の申し出を受けた緋真は嬉しそうに告げた。
「お庭の桜が一輪咲きました。」
「今年一番の桜だな?」
「はい、今日見つけたのです。そうしたら・・・白哉様がお帰りになりました。」
きっと、その花は白哉様のご帰邸を教えてくれたのです、と緋真は懸命に語る。
「桜は・・・白哉様の花ですもの。」
緋真の喩えは、もちろん白哉の持つ斬魄刀になぞらえたものだ。
「以前は月に喩えていなかったか?」
緋真を揶揄うように白哉は返してやった。

緋真に限った事ではなく、実際に白哉は本人の知らぬ所で他者からも桜や月に喩えられている。
花はもちろん白哉の持つ斬魄刀から。
そして、白哉自身は孤高の月と。
その気高い美しさと、誇り高き冷徹さとに。



「えっ・・・?」

白哉を案内した緋真が目的の枝を見上げて絶句する。
出迎えの寸前に見た時にも確かに在った一輪の桜が見当たらない。
陽は落ちていたが、庭に灯された火が桜の蕾さえ白っぽく浮かばせていると云うのに。

「白哉様!確かにあったのですよ、あの枝に!」
焦る緋真は白哉に訴えた。
「落ち着け、緋真。」
白哉は緋真の背中を優しく叩いてやる。
「でも・・・。」
白哉に春の便りを見せたかった緋真は落胆する。

緋真に目を向けた白哉は、あることに気付いてひとり納得する。
「なるほど、そういう事か・・・私はその花の行方を知っているぞ?」
緋真は訳が分からず白哉を凝視する。
「桜が私の分身なら、何より緋真と共に在ることを望むだろう。」
言いながら白哉は緋真の髪に手を伸ばす。
指先に摘んで見せたのは、薄紅の花弁を開いた桜。
「・・・髪に?」
白哉はそれを緋真の掌に載せてやった。

「現世も同じ季節を迎えていた。」
白哉は桜の枝を見上げた。
「桜に先駆けて春の訪れを告げる沈丁花の薫りがそこ彼処から漂ってきて ――― 」

白哉にとって、沈丁花の芳香は少年時代に出会った頃から緋真を連想させるもの。
世界を隔てて離れていることをいやが上にも思い起こさせた。

「 ――― 私がどれほど逢いたかったか分かるか、緋真?」
そう言って向けられた白哉の眼差しに緋真の胸はドキドキと鳴る。
それを抑えて負けじと答えた。
「はい、もちろん。でも、私は白哉様よりももっとお逢いしたかったのですよ?」
「・・・分かっておらぬではないか。」
緋真の言い分に眉を寄せて反論する白哉。

“白哉様ったら子供みたい・・・”
心の中だけでクスクス笑う。

「本当に負けず嫌いなのですから・・・」
「緋真・・・今、心の中で笑っただろう。」
「いいえ、笑っていません。」

白哉の隣に寄り添って満面の笑みで言ってみせる緋真がいる。

白哉は実感する。
漸く自分の居場所に戻った、と。


fin
→あとがき
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