鰤二次文(短編)

□†甘い暑気払い
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「緋真はどうした。」

白哉が邸に戻るといつも真っ先に迎えてくれる緋真の姿がない。
先に休むにはまだ早すぎる時刻である。

当主の普段と変わりない口調に加わる見えざる重さを察した使用人達は身を縮ませる。

「白哉様、お帰りなさいませ。」

その雰囲気を知ってか知らずか少し遅れて慇懃に出迎えたのは朽木家を取り仕切る清家。

「緋真様は奥でご休息中でございます。」
「何があった。」
「医者の見立てでは軽い暑気あたり。明日には快復なさるとの事でございます。」

確かに日中はかなりの暑さであった。
陽が落ちた今でも昼の熱気が残っている。

清家は手短に顛末を伝えたが白哉はそれ以上何も言わず、草鞋を脱ぐとそのまま緋真の部屋へ向かった。


緋真の横に付いて団扇で風を送っていた侍女は当主の入室に一礼すると立ち上がってその場を離れ、緋真のすぐ脇に座布団を用意する。

白哉は部屋を出て行きかけた侍女に何事か告げてから下がらせた。


侍女が去ると白哉は眠っている緋真の横に座り、その額にそっと手を当てた。
掌から伝わる熱が平素と変わらない事に取り敢えず安堵する。

その所作に目を覚ました緋真は、視界に白哉の顔を見つけると驚きに目を見開いた。

「お帰りなさいませ、白哉様。」
身体を起こそうとして白哉に目で制された緋真は横になったまま笑顔を見せた。
ただ、その口調は大層気落ちしたものだった。
流石の白哉も倒れた理由を今問いただす気にはなれない。

「小言は後にする。しばらくしたら戻るからもう少し休むといい。」
それだけを伝えると立ち上がり部屋を後にした。

緋真は白哉の足音が聞こえなくなったのを確認して、自分の額に片手を乗せた。先程、そこにあった白哉の手に重ねるようにして。
白哉に余計な心配をかけたと思いつつ緋真はなんだか嬉しかった。


夕餉を済ませ身支度を整えて戻った白哉は、無言で緋真を抱え上げると廊下へ出て更に奥にある白哉の自室に向かう。
いつもは無駄と分かっていてもその行為に一言言ってみる緋真だが、今日は大人しく白哉の腕の中に収まっていた。

下ろされたのは布団ではなく庭を臨む部屋の座布団の上。

その庭からは、やっと涼しさを感じられるようになった風が入ってきてとても気持ち良い・・・と、悠長に浸ってはいられない。

目の前に白哉が腕を組んで座った。
緋真は上目遣いに白哉を窺う。

少しだけ・・・ほんの少しだけ、機嫌が、悪い・・・。


「今日は舞踊のお稽古の日でした。」

白哉が見据える前で、緋真は身の縮む思いで話し始めた。

「でも、とても暑い日でしたから先生は私を気遣ってお稽古を早めに切り上げて下さいました。ですが・・・」

白哉は溜め息をつくと緋真の科白の続きを引き継いだ。

「察するに、その後も一人で稽古を続けて暑さに倒れた、と云う訳だな?」
「・・・はい。」
緋真は俯いて肯定する。

「なぜ無理をした。どれだけの者がお前を案じたか考えてみろ。」
白哉のその静かな声が緋真には他の誰の罵声よりも辛かった。
「私が浅はかでございました。二度とこのような失態はいたしません。」
緋真は頭を下げる。

「私は倒れた事を責めているのではない。理由を訊いている。」
白哉は緋真の頭を上げさせ再度問う。

緋真は言い難そうに言葉を選びつつ話し出した。
「今晩、白哉様にお見せしたくて・・・」
「緋真の舞を私に?」
「はい。今習っている舞は先生がとても褒めて下さったので白哉様のお目汚しにはならないと思いました。」

言われてみれば、白哉は緋真の習い事を目にした事がない。
ただ、家人からはどれをとっても朽木家の名に恥じない技量があると聞き及んでいる。
朽木家当主の妻として必要な教養がある程度身についていれば良いので、白哉も特に見せてみろと言った事はなかった。
だが、緋真は白哉がそれらを披露する事を求めないのは、自分の技量が一定の域に達していないからだと考えていたようだ。

それを踏まえてなお、敢えて白哉は厳しい一言を伝える。
「私のためならば、なおさらだ。結果がこれでは、な。今後は結果を考え行動しなさい。以上が朽木家当主としての言葉だ。」
あくまで、朽木家当主として。
緋真は畳に伏してその言葉を聞いた。


「ところで、私は緋真に勘違いをさせていたようだ。済まなかった。」
緋真の思い違いに気付いてやれなかった、家名を負わぬ『白哉』として詫びた。

緋真は白哉の謝罪が理解できず顔を上げる。
「私は緋真の唄や舞の技量を疑っていたのではない。私が見せろと言えば緋真にいらぬ気を遣わせると思ったのだ。」
だが、それこそ余計な気遣いだったな、と白哉は加えた。

「そうですか・・・私は本当に浅慮ですね。」
緋真はやっといつもの笑顔を見せた。


 
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