木蓮の涙

□第一話
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(1)



 東魏(とうぎ)の都・ギョウは今日も活気に満ち溢れている。
 大路に市が並び、商いを行う人の張り上げた声が空に響き渡る。店舗に並べられた品物は高級そうなものから、異国で産出されたものなど様々にあり、それらを求めて人々がたむろしている。宮城を出入りする車駕が過り、夏の熱気とともに土埃が舞い上がる。日常的な光景だ。

「――本当に、このようなところにお望みの品が?」

 痩せ面で切れ長の目の男が、前を行く青年に声をかけた。ふたりとも、質のよい衣を纏い、市井に住まう者とは明らかに違う気品を漂わせていた。

「たしか、この辺の露店に、出入りの商人が持ち込んでいたものと同じ鈿が、数倍安価に売られていたのだ」

 言う青年の眼差しは怜悧で、整った目鼻立ちに言質が、貴人であることを物語っている。その人は一目で脳裏に焼き付いてしまうような強い印象を醸し、若さが、それに拍車をかけている。

「で、件の舞姫に送られるのですか?」

 青年は対になっている露天の列を交互に睨みながら口を開く。

「まぁな。あの女は欲の皮が張っているわりに審美眼を持っていない。まがい物でも騙されるだろう」

 その言葉に、付き従っている男は軽く溜め息を吐いた。

 ――やれやれ……。ギョウ都一の舞姫を「あの女」呼ばわりするのはこの方くらいしかいまい……。気位の高い妓女を騙すことなど、何とも思っておられぬのだな。

 だからこそ、幾度となく女達との修羅場をかい潜っていけるのだと、男はひとり納得する。
 と、青年がくすり、と小さく笑う。男は怪訝な眼差しを浮かべる。

「――なにか?」
「いや……何人でも浮かれ上がってしまう市に立ちながら、いつもと変わらぬ顰め面。少しも楽しくないのか、崔叔正(さいしゅくせい)よ」

 言われて、崔叔正――崔季舒(さいきじょ)は当惑した。
 彼は晋陽にて西魏との戦いに備えている東魏の大丞相(じょうしょう)・大将軍である渤海王高歓(ぼっかいおう・こうかん)に見込まれ、若年ながら京師(みやこ)の朝廷にて郎中として仕えている。

 もともと、魏はひとつの大国であった。が、当時の魏は皇太后が権力を握り、奢侈と淫奔に耽っていた。省みられなかった軍部は反乱を起こし、そのなかで実力を付けた爾朱栄(じしゅえい)という男が、皇太后と幼主を殺し、自身の選んだ魏の皇族を皇帝に即けた。
 が、虚栄心が強く、権力を握って離さない爾朱栄は皇帝や朝廷から恨みを買い、彼は誅殺されてしまう。
 爾朱栄を失った爾朱氏は形成を立て直そうとするが、爾朱栄ほどの才覚を持つものはおらず、彼の幕下であった高歓が爾朱氏を討伐して魏の実権を握った。
 高歓は自らが選んだ皇帝を立てたが、「魏の主は朕であるぞ」という意識の強い皇帝は、西に居るもうひとりの爾朱栄の配下、宇文泰(うぶんたい)のもとに逃げ込んだ。
 ここにおいて、魏はふたつに分裂した。高歓が擁立する「東魏」と宇文泰が打ち出す「西魏」である。
 分かれた「魏」をひとつにし、自身がその権力を握るため、高歓と宇文泰は相争っている。
 前年(天平四年・西暦537年)にも、高歓の東魏と宇文泰の西魏は沙苑において戦ったが、東魏の惨敗に終わった。東魏は鮮卑族の軍人が多く在しているが、「自身の実力は丞相をも越える」と二心を持つ者もいて、内情は安定していなかった。
 兵力・国力ともに弱い西魏であるが、その分、彼等は知恵を絞って東魏との戦いに挑んでいた。二国の力は伯仲し、戦いはなおも続いていく様相だった。
 無理に笑顔を作り、崔季舒は彼の詮索を誤魔化そうとした。
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