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□星雨の夜に
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頬を優しく撫でる夜風はほのかに涼しい。
縁側から眺める景色は暗く、ただ月明かりが照らすだけ。
蒼白い影が全てを飲み込む。
雲一つない夜空には数え切れないほどの満面の星の海が広がり。
ぼんやりと見つめた先に、一つ、光が流れた。






「トシー、ちょっといいか?」

障子の向こうから聞きなれた声に呼びかけられ、土方は手元の書類から顔を上げた。
すっかり暗くなってしまった部屋に、一体どのくらい時間が経ったのだろうと辺りを見回す。
ユラリと揺れる机の上の灯りが、障子に人の影を作り出している。それは確かに土方の見知った人のもので。

「近藤さん」

名前を呼んでやれば、ガラッと障子が開けられ、想像通り寝巻きを着た親友の姿がそこにあった。

「何だ、まだ仕事してたのか。邪魔しちまったか?」
「いや、丁度一段落したところだ」

たった今まで見ていた書類を机に伏せ、そのままソフトケースからタバコを取り出した。
火を点け、ゆっくりと煙を肺に満たす。ふぅ、と細く息を吐き出し、近藤に向かい直る。

「で、こんな時間に一体どうしたんだ」

時計の針は、深夜0時を約半刻ほど回った位置を指していた。
書類仕事のない(正確にはさせていない、だが)近藤が起きている理由はないだろうに、と言外に含ませて土方は尋ねた。
かくいう本人は、何か新しい遊びを発見した子供のように喜々としている。

「いや、夕方のニュースでな、今日の夜になんたら流星群が見えるって言ってたもんだから、」

ジャーン!と前に差し出された近藤の右手には、『鬼嫁』というラベルの貼られた一升瓶。

「いっちょ、星見酒でもやらねーか?」

そして、満面の笑みで酒の席へと誘われた。



着流しに着替え、中庭に面した縁側へ向かう。
近藤は「先に行ってるぞ!」と言って数分前に土方の部屋を出て行った。
床の冷たい感触が気持ち良い。
その感触を確かめるようにゆっくり歩いていると、縁側から近藤の笑い声が聞こえてきた。
他にも誰かいるのか?そう思い、土方が少しだけ足を速めると、そこにはすでに飲み始めている近藤と、もう一人。
その姿に、土方は僅かに眉間に皺を寄せる。

「おいコラ総悟。テメー何飲んでやがんだ」
「何でィ土方さんじゃありやせんか。そっちこそどうしたんでさァ。一人で厠に行くのがそんなに怖いんですかィ?」
「誰がだ!違ぇよ!」
「おぉ、トシ!悪いな、先にやってるぞ!」

縁側に腰掛ける近藤の右横には、先程の一升瓶を抱えた沖田が座っていた。
すでにその中身は3分の2近くがなくなっており、沖田にいたってはほんのり頬が朱に染まっている。
自分がここに到着するまでのたった数分の間に、どれほどのピッチで飲んだのだろうか。
僅かに痛む頭に、土方はこめかみを押さえた。
そしてさらに驚きなのは、沖田の右横に、まだ栓の開けられていない『鬼嫁』が2本置かれているということであった。

「どんだけ飲む気なんだよ」

近藤の左横に腰掛ければ、空のコップを渡された。そこに近藤が酒をつぎ、笑顔で言う。

「まあまあ、いいじゃないかたまには」
「明日も仕事だってこと忘れてねェよな?」
「日頃の鬱憤くらい晴らさせろィ土方コノヤロー」
「オメーはいつも全力でサボってんじゃねーか」
「息抜きも必要だろ、トシ?」

どこか有無を言わせない雰囲気は、最近の自分に対して向けられたものか。
あまりにも心当たりが有りすぎて、土方はただ酒を流し込むしかなかった。
ここ数週間、寝る間も惜しんで仕事に打ち込んでいた。
巡回も行けるだけ行った。
まだ期限に余裕のある書類も一気に片付けた。
それはまるで何かを振りきるように。
そんな自分の様子をこの男が心配していたことも知っている。知りながら、何も言わなかった。
でなければ、何もかもを吐き出してしまいそうだったから。
恐らく心身ともに限界に見えたのだろう、だからこうして半ば無理矢理に誘い出された。
自分では巧く誤魔化せているつもりだったのだが。

「…たく、あんまり飲み過ぎんなよ」

少しの罪悪感を胸に、土方はコップに残る酒を飲み干した。



最後の一滴が瓶の口から落ちて透明な液体の水面を揺らす。
空になった2本目を脇に置いて、土方は酒を口に含んだ。

「なかなか流れねェな…」
「おや、土方さんは何か願い事でもするつもりなんですかィ?乙女思考も大概にしろィキモチワリー」
「違ぇよバカ。せっかくの星見酒なんだ、派手なの見てぇじゃねェか」
「因みに俺は土方さんがくたばるように願うつもりでさァ」
「物騒な願い事すんじゃねェェェェ!!」

空には数え切れない程の星が瞬いており、月明かりと共に地上を照らしている。
光が流れる気配はまだない。

「でもよートシぃ、何か一つくらい願い事してみればいいじゃねェか。なんたって流星群だぞ!ひょっとすると、どれかが叶えてくれるかもしんねーぞ!」
「願い事…なぁ」

楽しそうに笑う近藤。その笑顔を横目に、土方は酒で満たされたコップを見つめた。
ゆらゆら揺れる水面。
月明かりに反射するそれは、美しい銀色の光を生み出す。
ふと頭をよぎったのは同じ色を持つ男の姿。
それが後ろ姿だったのは、仕方のないことか、と薄く笑った。



好きだ、と思った。
何時からなんて分からない。気がついた時にはすでに手遅れだった。
見回りに出れば、知らずあの男の姿を人混みに探していた。
喧嘩腰であろうと、交される言葉に一喜一憂していた。
あぁ、好きなんだ、と納得した。
だからこそ。
だからこそ、気づいたと同時にこの想いを封印した。
たとえくだらない言い合いだったとしても、その間は男は自分を見てくれる。
いつもどこか遠くに感じる男を近くに感じられる。
その位置が、土方にはひどく心地良かった。
だが、もしもこの想いを男に打ち明けたとしたら。
恐らく男は永遠に自分を近づけさせないのだろう。
当たり前だ。男が男に好かれて嬉しいわけがない。それが、普段何かと対立する相手なら尚更だ。
ならば、打ち明けないことで少しでも男の近くに行けるのなら、土方は迷わずそちらを選ぶ。
叶わぬ想いならばいっそ胸の奥にしまいこみ、風化するのを待つだけだ。
忙しいふりをして、見ないふりをして。
代わりに満面の星を見つめる。

光が、一つ、流れた。



「おっ!!今、流れたよな!」
「やっと来やしたねィ」

酒を飲む手を休め、3人は夜空を見上げた。
そして思い思いの願いを託す。

「お妙さんお妙さんおた」
「いや、それ願い事じゃねェよ」
「死ね土方死ね土方死ねひじか」
「オィィ!どんだけ早口で恐ろしい願い事してんのォォォ!?」
「チッ惜しかったぜィ。自分の名前に救われやしたねィ死ね土方」
「いや、最後まで言っちゃってるからね!!」

夜空に幾筋もの光の軌跡が描かれる。
とめどなく流れるその光はまるで誰かの涙のように。
消えゆく芥に託された願いは、一体どこへ行くのだろうか。
今頃あの男もどこかでこの夜空を眺めているのか。



『ひょっとすると、どれかが叶えてくれるかもしんねーぞ!』



「…たとえどんなに願っても」

そうなら、いい。叶わぬ想いの代わりに、せめて同じ空の下。

「俺の願いは叶わない」

小さな呟きを、酒と一緒に飲み込んだ。ただ幾千の光が町を被うだけ。
2人の願い事を聞きながら、土方は目に焼き付けるように星空を眺めた。



光は、どこかボヤけて見えた気がした。



end.

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