企画

□cigarette
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ぷかり、吐き出した煙はドーナツ型。肌を焼く太陽。本日は晴天。古いフェンスはギシリと鳴く。
容赦なく照りつける日射しの下、グラウンドでは体育の授業で持久走が行われている。暑いというのにご苦労なことだ。汗だくで校庭を走る生徒たちを眺めながら大きく息を吸う。
生温い風が髪と肌を撫で、出しっぱなしのカッターシャツと煙を巻き込み通り過ぎた。
午後の授業が始まってからもう30分は経っただろうか。いや、まだ10分?まあどうでもいいか。
こぉんなに天気が良いのに、どうして狭くて暑苦しい教室でつまらない英語の授業なんか受けなきゃいけないのか。俺は一生日本から出ないから日本語だけで別にいいよ。あ、でも単位が微妙にヤバい気がする。このまま留年したらどうしよう。まあそれも今はどうでもいいや。
なんかいいことないかなぁ、と、どこまでも抜けるように真っ青な空を見上げたら。

「授業サボって喫煙とはいい度胸だな坂田」

早速あったよありがとう神様。
自然と浮かんだ笑みもそのままに後ろを振り向けば、ボロいせいでところどころが錆びついた屋上のドアの前に、土方先生が立っていた。

「どーも、久しぶり先生」
「何が久しぶり、だバカ。未成年が煙草吸ってんじゃねェ」
「まぁまぁ、いんでねーのちょっとくらい」
「アホが」

フィルターを噛みながらニヤリと笑って、俺の隣に立った先生を見る。
呆れたように先生は眉間に皺を寄せて俺を見たが、別段何をするでもなく、ポケットから出した煙草を咥えてフェンスに背中を預けた。
グラウンドから笛の音が聞こえてきたと同時に先生が火を点ければ、一瞬置いて、白い煙と苦い匂いがこっちに流れてきた。

「センセー煙たいでーす。副流煙でーす。生徒の健康を害さないで下さーい」
「教師の目の前で堂々と煙草吸ってるヤツに言われたくねんだよ」

わざとらしく煙たがってみせる俺を、先生の切長の目がじろりと睨んだ。約1週間ぶりに見るその鋭さにトキメク俺は変態かも知れない。

「出張はどうだった?お土産は?」
「土産なんざあるわけねーだろうが。俺は仕事で行ってたんだぞ」
「ええぇぇケチ。ま、やっと先生に会えたからいいや。先生も、俺に会えなくて寂しかったデショ?」
「ンなわけあるか。清々すらァ」
「ちぇ、つれねーの」

俺の心からの言葉(いやでも土産はちょっと残念だったけども)を軽くあしらう先生。こんなやり取りももう何度目になるのか。1年生の時から続けているせいか、もうすっかり慣れてしまって、教師らしからぬ先生の冷たい言葉にはあまり動じなくなった。むしろ今ではこのやり取りが楽しくて仕方ないくらいだ。
あれ?俺Mだっけ?いやいや俺のスペックはSだから。ドがつくSだから。新たな嗜好に目覚めかけたとかそんなんないから。
とか、自己弁護してみるのも数えきれない程だ。

「何さっきからブツブツ言ってんだ。とうとう頭のネジが全部外れたか?」
「ちょっとちょっと先生。いくら先生の言葉とはいえ、俺でも傷つくことがあるんだけど。いたいけな10代の心は脆いガラスのハートなんだって。だから男らしく、俺のハートを傷つけた責任とって下さい」
「そんな男らしさはドブ川に投げ捨ててやるわ」
「ヒドイ!!」

ふう、と先生が煙を吐く。白くたなびくそれは、青く広がる空へと溶けていく。
笛の音がまた聞こえてきたので視線をグラウンドに落とせば、持久走の第2グループがスタートしたところだった。
ご苦労さん、と、胸の中だけで呟いておく。

「このくそ暑いのに持久走とは、ご苦労なこった」

フェンスに背中を預けたまま首だけを回してグラウンドを見た先生が呟いた言葉に振り返る。
すれば、俺が見ていることに気づいた先生が「何だよ」と眉間に皺を寄せたので、俺は「べっつに〜」と笑った。同じものを見て、同じことを思ったということが何だかやたらと嬉しかった。

「だよなぁ。俺だったらこんな暑い中走り続けるなんてご免だね。全身粉砕骨折したとか言ってスマートにサボタージュを決めこむね、うん」
「どこがスマートだ不自然極まりないわ!ったく、すぐ授業サボりやがって…」
「けど先生の授業は皆勤だぜ。これぞ愛の力ってヤツだよ。スゴくね?感動しねぇ?」
「俺のだけ出てても仕方ねェだろ。ちゃんと全部出ねーと留年すんぞ」
「あれ、流された?俺のキモチがさらっとナチュラルに流された?でも留年したら、もう1年間毎日先生に会えるな」
「バカ言ってんじゃねェ許さねーぞンなのァ。ちゃんと勉強してさっさと卒業しろや」
「先生に会えないと寂しくて死んじまうよ俺」
「じゃあ少なくとも1週間分は死んでるな」
「茶化すなよなぁ、もう」

ニィ、と口の端を持ち上げた先生に大きくため息をついてしゃがみ込む。先生と同じようにフェンスに背中を預ければ、目の前には寂れた屋上の風景と青空が広がった。
笑う先生はやたら格好良い。他の生徒の前ではほとんど見せない笑顔を見られるのも嬉しい。
けれど、絶対に俺の言葉を本気にとってくれないその意地悪な顔が少しだけ、本当に少しだけ、嫌いでもある。

「なぁ、先生」
「あ?」

全館禁煙のこの学校で、唯一の穴場である特別教室棟の屋上。
同じ時間に、同じ場所で。
同じように煙草を吸い、同じ光景を見て、同じ事を思って。

「好きだよ」
「…言ってろマセガキ」

同じものを共有する俺たちを隔てるものなんてあるはずはないのに、それを邪魔するのは何時だって先生で。
俺は小さくフィルターを噛んだ。

「…センセー質問でーす。どうしたら先生は俺を好きになってくれますかー?」
「そいつはお前には難しすぎる問題だ。東大の入試問題以上に難しいだろうよ」
「大丈夫、キスして裏口入学するという方法があります先生」
「何が大丈夫だそんなもん認めるか」
「だったら俺ァ本当にもう1年残ってその答えを探してやるもんね」

目だけで見上げた、半身分高い位置にある先生の顔が紫煙の向こうで僅かに歪む。逆光で陰になった前髪のすき間から覗く瞳が困ったように、だけど真っ直ぐに俺を見ている。
そうだ、これは単なるわがままだと分かっている。
ガラは悪いけど、本当はすごく優しい先生が俺を傷つけまいと思っていることも分かっている。
けれど、まだガキの俺にはこうやって駄々をこねることしかできない。
だって俺にとって卒業までの9ヶ月というこの時間は、先生への想いを諦めるにはどうしたって長すぎるんだ。
だからどれだけ受け流されようと、まだまだ諦めてやるもんか。こちとら冒険し放題のティーンエイジャーだコノヤロー。

「―――ンなのは許さねェっつったろーが」

ピーッ、と。さっきより少し長めの笛の音が響く。先生の背中がフェンスから離れて、揺れた金属が乾いた音をたてる。
吸っていた煙草を地面に落として火を踏み消し、よっこいせと言いながらしゃがみ込んだ先生(完璧にオッサンだ、でもそんなトコも好き)の顔がずい、と詰め寄ってきて俺の顔に影を作った。
そしておもむろに俺が咥えていた煙草を取り上げて。

「ちょ、いきなり何すん…っ!?」

代わりに寄越してきたのは、温かくて柔らかい感触。
目一杯見開いた視界で、先生の長いまつ毛がふるりと小さく震えた。

「……なんで俺と同じ銘柄吸ってんだお前」
「…先生の匂いだから、なーんて…?」
「ふん、ガキが」

バクバクと五月蝿く跳ねる心臓が、暑さと熱さで火照った俺の身体を打ち揺らす。
身体は正直だか、頭はこの状況を理解しきれずにフリーズするばかりで、俺を混乱の渦に叩き落とした張本人が立ち上がるのをただただ目で追うことしかできない。
一方先生はと言うと俺から取り上げた煙草を咥え、一見涼しげな顔で俺を見据えた。だけどその頬がほんのり染まっているのは、きっと暑さのせいだけじゃない。

「いいか、留年なんかせずにちゃんと卒業しろ。そんで堂々と俺を迎えに来い」

分かったら次の授業は出ろよ、と念を押してくるのに思わず頷く。
すれば、よし、と。意地の悪そうな、けれどどこか嬉しそうな笑みを浮かべて歩き出した。
俺は相変わらずぼんやりとその背中が遠ざかっていくのを眺めていて、ようやく正気に戻ったのは先生の姿がドアの向こうへと消えた後のこと。
気づけばいつの間にか授業も終わったようで、チャイムの音と共に、体育を終えた生徒の賑やかな声がグラウンドから聞こえてきた。
休憩時間は10分。先生に言われた通り、俺はこの間に教室に戻って授業を受けなくてはならない。
だけど思うように身体が動かない。どうしてこんなに暑くて熱くて心臓が痛くて口の中がカラカラなのか。
昼下がりの青い空の下、屋上で煙草を吸って、先生と話をして、好きだと言って、それから…それから、ええと。
未だ混乱する思考だけれど、ただ一つ確かに分かっているのは唇に残るあの温かさと。

「……マジでか」

2人分の煙草の味は、苦かった。



end.

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