短編1

□5cmのトランキライザー
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5cm。
その距離に、どこか甘えていたのかもしれない。













いつも通り書類を片付け、いつも通り報告を受け、いつも通り山崎をパシらせ、いつも通り市中見回りに行く。
何てことはない。ただ目の前のことをこなすだけだ。やらなければならない仕事は山のようにある。
たまにド派手な喧嘩があれば、退屈で単調な生活にとって丁度いい刺激になる。
求めることは何もない。
すべては成るようにしか成らない。そう思って、生きてきた。
それでよかった。よかった、のに。



今日もいつも通り、一日を過ごしていた。
ただ一つ、いつもと違うことといえば。
初めて、銀時に抱きしめられた、ということだけ。
男相手に何してんだとか、とうとう頭がイカレちまったかのかとか、さっさと離せバカヤローとか、言いたいことは次から次へと浮かんでくる。
ただそれらは言葉として発せられることはなく、すべて頭の中でぐるぐる回って消えていった。



コイツは、俺と常に一定の距離を保って接してきた。
最近は妙に絡んでくることが多くなって、その度に言い合い殴り合いの喧嘩へと発展するが、それ以外の時には俺に触れようとすることはない。
当たり前と言っちゃあ当たり前だ。別にそんな必要もない。
コイツはただの気にくわないヤツなんだから。
5cm。
たとえ肩を並べることがあったとしても、コイツがこの距離を越えることはなかった。
近すぎず、遠すぎず。
俺もいつの間にかその距離を丁度いいものだと感じていた。
それが俺たちの位置なのだと思っていた。



なのに。
何で今コイツは俺を抱きしめてるんだろう。
何で今日に限って越えてきたんだろう。
何で、コイツがそんなに泣きそうな顔をしているんだろう。
訳が分からなさすぎて、もうどうしたらいいか分からない。
頭がぐらぐらしてくる。
夕日に照らされた銀髪がキラキラと眩しい。
あんまりにも眩しいから、溢れ出てくる涙を拭うことも忘れてしまった。
涙腺がイカレちまったように溢れる涙は止まることを知らない。
そして、まるでその涙を促すように抱きしめる力を強めたコイツは、泣きそうな顔のままで笑いかけてくる。
それは、いつか俺を、俺たちを見送ったあの笑顔に、似ていた。



自分を置いて行く者たちを、いつまでも見送り続けたあの日。
それがどんな思いだったか。
今となっては知る由もないが、今まで見て見ぬフリをしてきたことは確かだった。
だが、それを後悔したことはないというのも、また確かだった。













縮まってしまった5cmはもう元には戻らないだろう。
未だ整理のつかない頭の中で、縮まった距離と、その距離を縮めた張本人を恨みながら、少しだけ感謝している自分を笑う。
とりあえず今だけコイツの思い通りになってやろうと、思った。



町中に灯りがともり始める頃。
想いは、零れ落ちる涙と、昇っていく彼女の煙と共に、空へと消えていった。



end.

ミツバ編その後

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