短編1

□ピエタ
1ページ/1ページ



29歳だった、らしい。
『らしい』というのは何年か前にヅラから聞いたからであって、本当にそうだったのかどうかは俺は知らない。
まあウザイほど生真面目なアイツのことだ、その辺は大体当たってるだろう。憶えている面影は幾分若く思えるけれど。
とにかく、29歳だったらしい。



先生が、死んだ、歳。






たまたまガキ共に家を追い出され、たまたま入ったパチンコで大勝ちして、たまたま景品に煙草を見つけて、たまたまそれを袋に放り込んで。
暇つぶしに立ち寄った公園のベンチで、何となくその内の一本に火を点けた。
吸って、吐いて、また吸って。嗅ぎ慣れない匂いと口内に広がる苦さに自然と眉を寄せる。まったくもって美味くない。
ただ苦みだけを与えるこれの何処がいいのか分からない。甘いものの方が何倍もいいに決まってる。
今日は甘い甘いケーキを食べられるのだろうと、今頃大騒ぎで部屋を飾りつけているはずの子供たちを想像して笑いがこみあげる。
誕生日会なんてガラじゃねんだけどと思っていたら、ふと頭に浮かんだ自分の年齢。
キリのいい数字は、何時の間にかあの人の生きた年数を超えていた。
ベンチの背もたれに遠慮なくもたれ、青く澄んだ秋空を見上げてそうか、もう30歳かと。
すると何だかやたら口の中が苦く感じられて。地面に煙草を吐き出し踵で数回踏み潰す。
黒く汚れたただの吸い殻をぼんやり眺めていると、最後に一筋白い煙が上がり、独特の匂いが鼻をかすめた。



空は晴れてる。子供は遊ぶ。見守るあの人は煙管をふかす。
色づいた葉が一枚、ひらりと舞った。






記憶の中の先生は、何時思い出してみてもとても三十路前とは思えない程若かったと思う。
実際塾生の奴らと遊んだ時も大人気なく誰よりも本気で遊んでいたし、本に夢中になり過ぎて講義をすっぽかしたこともしばしば(その度にヅラに怒られていた)。
その上、まるで歳をとることを忘れたかのような容姿。
それでも俺の頭を撫でながら浮かべた笑みや、向けられた優しい眼差し、差し出された手の大きさは、やっぱり"大人"で。
微かに煙草の香りを纏った広い背中に背負われながら、俺も何時か先生みたいな"大人"になるのだろうかとぼんやり思っていた。



だけど先生がいなくなって、仲間と共に戦争に参加して、万事屋なんてものを開業して。
何時の間にか抱え込んでた大切なものと過ごす内に月日が流れてあっという間に迎えた今日という日。
29歳を過ぎても、ガキの頃一瞬だけ想像した未来とはあまりにもかけ離れた今の自分、けれど所詮現実なんてそんなものだ。特に不満などないから構わない。
ただ、少しだけあの人よりも年上になったというだけ。ただそれだけ。
月日を経て、何時しか色褪せた記憶の中では舞い落ちる葉と振るった飛沫の紅ばかりが鮮やかで。
だから普段は吸わない煙草を咥えたところで意味はない。
いくらその匂いを纏っても、白黒の記憶に色など着きもしない。
胸にぽかりと何かが足りないのなんて、きっと気のせい。



(こんなものでは満たされないと叫ぶ心が五月蝿い)



ふいにふわりと視界が白く霞んで、独特の匂いが鼻をつく。
つられて見上げた先では、何時ものように煙草をふかす土方が静かな目で俺を見つめていた。
何時の間にか嗅ぎ慣れたその煙草の匂い。やっぱり苦いそれに、けれどもひどく心が満たされて。
じんわり胸に広がる暖かさに、何だか涙が出そうになって。
微かに歪む視界でくしゃりと笑う。

「うん、やっぱその匂いが一番落ち着く」

立ち上がって、まだ新しいソフトケースをくず入れに放る。不思議と勿体無いとは思わない。俺にはもう必要ないものだから。
甘いものを食いに行こうと誘うと、文句を言いながら土方が俺の後を追いかけて来る。だから俺も言い返してやれば、すぐに始まる何時の応酬。
ただそれだけのことだけど、嬉しくて楽しくて思わず口許に弧を描く。
隣に並んだ土方の目を見つめると、ふい、とそらされさっさと行くぞと急かされた。仄かに赤くなったその頬は見ないふりで笑みを深くする。



(苦いモンは、やっぱり嫌いだけれど、)



お前の煙草の匂いだけは嫌いじゃないのだと話してやれば、一体コイツはどんな顔をするのだろうか。何時か酒を飲みながらにでも言ってやろう。
その思い出は、きっと何時までも色褪せることはないに違いない。
だから、なあ。先生。



(ガラじゃねェけど、俺は、これからもたぶん倖せ、なんだ)



だって、あの人が見られなかったこの世界は、こんなにも色で溢れている。



ひらりと落ちた葉が風に舞う。赤い葉、黄色い葉、茶色い葉。
視界の端で、自分の銀色が揺れる。
そっと土方の横に並び立つ。
見上げた先は雲一つない快晴。



嗚呼、今日の空は、一段と青い。



end.






***

史実では、吉田松陰さんは29歳で亡くなられたらしいです。
親の年齢を超えるって、何だか切ないですよね。



.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ