短編1

□哀愁ロンド
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晴れ渡った空の下、少しずつ色づき始めた木々に囲まれた公園に一際目立つ銀髪が一人。

「よォ、久しぶり多串クン」
「誰が多串だコラ」

数週間ぶりに出会った男は、そう緩く笑って俺を振り返った。
やる気のない態度も、死んだ目も、飄々とした物言いも相変わらず。
だけど何処か何時もとは違う雰囲気を漂わす男に眉を寄せれば、ふわりと香る苦い匂いが鼻をついた。

「お前、煙草なんて吸うのか」
「あ?」
「匂いが残ってんだよ」

側に立って指摘してやると男は、ああ匂いね、と言って懐を探った。
そしてそこから取り出したのは、俺の物とは違う銘柄の、まだ新しいソフトケース。ベンチに座る男の足下には踏み消された吸い殻が一つ落ちている。

「パチンコの景品に紛れ込んでて、何となく」
「吸えたのか」
「昔ちょっとだけな。今は肺に煙は落としちゃいねーよ。こんな苦ぇモンよりも糖分だ糖分」
「うるせェ糖尿」
「糖尿じゃねェ。寸前だコノヤロー」
「どっちも変わんねーよ」

鼻で笑って男を見遣る。その右側にはチョコレートやら飴やら酢昆布やら、大量の菓子が詰まった紙袋が置かれていた。
どうやら本当にパチンコに行っていたらしい。見事なまでのまるでダメなオッサンぶりにため息が零れた。

「真っ昼間からパチンコたァ相変わらず暇人だな」
「違いますぅー今日は元々休みなんですぅー。ガキ共に家追い出されたんだよ」
「はっ、そりゃろくに給料も払えねェ雇い主なら仕方ねェだろ」
「だぁから違うっつーの。部屋の飾りつけするから、夕方までどっか行ってろってよ」
「飾りつけ?」

何度か訪れたことのある男の住まいを思い浮かべるが、特に飾りを必要とするものはなかったような気がする。
家主であるはずの男を追い出してまで、一体何故飾りつけをする必要があるのだろうか。模様替えでもするのかと首を傾げる。
すれば男がソフトケースを手の中で弄びながら俺を見上げた。俺の影で、男の紅い瞳が昏く光っている。

「今日な、銀さん誕生日なの」
「は?」
「30歳。とうとうオッサンだよチクショー。とっくにお誕生日会なんて歳じゃねーのにな、恥ずかしいったらねェよマッタク」

くつくつと咽喉を鳴らす。恐らく、今も騒ぎながら一生懸命部屋を飾る子供たちの姿でも思い浮かべているのだろう。
初耳だった。
男と知り合って数年。長くはない、けれど短くもない時間の中で、俺と男の関係も随分変わった。
どこをどう間違えたか、犬猿の仲だった俺たちはたまに一緒に飲みに行くようになり、何度か男の家で宅飲みもした。
互いの愚痴を肴に、酔ったついでに少しばかり昔話などもして。
だが思えば、昔の話をするのは何時も俺ばかりで、男が自分について語ったことは、ついぞなかった。

「…テメー、年上だったのか」
「あれ、言ってなかったっけ?なに、拗ねてんの?」
「アホか、誰が拗ねるか!テメーみてぇなマダオ相手にくれてやる祝いなんざねェからな」
「冷てーなァオイ」

そんなことみじんも思ってない口調で男が笑う。何だか余裕な態度に腹が立って髪を掴みあげれば、痛い痛いハゲる!と男が騒いで五月蝿かった。
手を離すと曲がりくねった銀糸が更に曲がった気もするが、元々好き勝手にうねっていたので分からないだろう。

「せいぜいガキ共に盛大に祝ってもらえや」

手持ち無沙汰になった手をポケットに収めて男に言う。
すると、イテテと頭を押さえていた男の動きが一瞬止まり、

「あー…うん、そだな」

と、バリバリと後頭部を掻きながら何とも歯切れの悪い返事を返してきた。
らしくない反応。そんな男の様子は初めてで、思わず半身分下にある男の顔を凝視した。
男は困ったように眉を下げた。

「…嬉しくねーのか?」
「うんにゃ、そういう訳じゃねェよ。何だかんだ楽しそうにやってるアイツ等見てたらまぁいっかとか思うし。何つーか、その、」

俺も歳とったなぁってな。
ハハッと笑う男の目は確かに俺に向けられている。なのに、どうしてだろう。その視線の先に、俺はいない、そんな気がした。
目の前の俺を通り越し、何処か遠くを見つめる男はやっぱり何かが何時もの男とは違っていて。
だけど俺にはその違和感の正体を見つける術はない。



(らしくない、と言った。けど、)

(そう言った俺は、こいつのことを、どれだけ知っている?)



シュボッ、と音がして我にかえる。どうやら一瞬思考を遠くに飛ばしていたらしい。
音のした方に目を向ければ、男が咥えた煙草にマッチで火を灯しているところだった。慣れた手つきに先ほどの男の言葉を思い出す。
昔少しだけ吸っていたという煙草、けれどもやはり見慣れない男の姿に違和感だけが募っていく。
それは、焦燥感にも似た、何か。
ふう、と吐き出された毒煙が目の前を白く霞ませた。
白い煙に紛れて、真っ白なこの男も消えてしまいそうだと思った。
手を伸ばして掴めば、消えてしまいそうな。

(それでも、その手を、)

「――やっぱ苦ぇな」
「…え?」

ぽつり、視線を落とした男が呟く。
周りの雑音に掻き消されそうな声にじっと耳を澄ました。

「苦くて苦くて、いけねぇや」

煙草の灯を見つめる男の口許には薄い笑み。儚く見えるその表情に、ちり、と小さく胸が灼けた。
苦い煙に混じった甘い匂いにポケットの中で拳を握る。嗚呼、何だか無性に煙草が吸いたくなって。



(その手を掴みたい、と願ったこの手で、男の記憶の端っこを掴む)



嗅ぎ慣れた煙の匂いを肺に満たして男の顔に煙を吹き付けてやれば、ぽかりと口を開けた間抜け面が俺を見上げた。
二、三度瞬きをした後、くしゃりと笑って男が言う。

「うん、やっぱその匂いが一番落ち着く」

吸い殻を地面に落として灯を踏み消した男が、おもむろにベンチから立ち上がって伸びをする。
そして懐を探って先ほどのソフトケースを取り出し、ベンチ横のくず入れにそれを放った。ぽつんと真新しい箱がぐしゃぐしゃの新聞の上に取り残される。
遊び回る子供たちの声が響き、冷たさを帯びた風が肌を撫でる。
男が俺の横を通り過ぎ、後に残るは甘い香り。

「なァ、何か甘いモン食いに行こうぜ多串クン」
「…奢んねーからな」

数歩先で俺を振り返った男の後をゆっくり辿る。
誕生日なんだからパフェ奢れよ税金ドロボーと吐かしやがったので、ほざけ万年ニートと返してやれば、ニートじゃねェ社長だこのチンピラ警官!と男が叫んだ。
何時もの応酬に、僅かに口の端を持ち上げる。
男が隠した苦さを知りたいとは言えない。言わない。虚ろな瞳の先に、俺はまだ映っていない。
何時か。男が酔っ払ったついでにでもぽろりと零したのなら、そいつを肴に酒を飲もう。だから、今はいい。踏み出す足を少し速めた。
紫煙がくゆる。
風に銀糸が揺れる。
男の隣にそっと立てば、緩やかな優しい笑みで男が俺を見つめた。



秋が、深まっていく。



end.

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