短編1

□願わくは永久の倖せを
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微かな三味線の音色や笑い声、そしてその間を縫って聞こえる水の流れる音とに包まれながら夜道を歩く。雨上がり独特の湿った空気が肌を撫でた。
雲間から射し込む月明かりに、川の水面がきらきら反射する。
ふと向けた視線の先で、緩やかに流れる水の上、色とりどりの小さな色紙(いろがみ)が、静かに流れていった。






ふう、と紫煙を吐き出し夜空を見上げた。
薄雲に覆われた月と、闇に散りばめられた星が空に煌々と瞬き静かな裏路地を包み込む。日付が変わるにはまだ大分あるというのに、賑やかな表通りとは切り離されたかのような静謐さが心地良かった。
梅雨入りしてから早2週間。ここ数日はあまり雨の気配を感じさせない天気が続いていて、今日とて昼に少し降っただけ。
相変わらず肌に感じる空気は重さを持っているけれども、空に残る雲は僅かなもので雨が降る気配はない。
梅雨の中休みというやつか。きっと空の上の恋人は逢瀬を果たせたに違いない。
丁度一年前の今日。あの日、空は雲に覆われていて町には雨が降っていた。今でもはっきり覚えている。
まるで一々記念日を数える女のようで笑えない。それでも俺の口許は自嘲に歪み、くつりと咽喉が鳴る。
嗚呼、本当に、笑えない。



今日の夜は時間が取れるからと、昼間電話で万事屋に連絡をした。
待ってる、と携帯越しに聴いた声はどことなく優しさを帯びていて、きっと、あの紅い目を猫のように細めて柔らかな笑みを浮かべていたのだろうと思う。
その声に胸の奥が暖かくなって、柄にもなく浮かれてしまった自覚もある。
昼間見かけた、町のあちこちで揺れる様々な色の短冊。
色紙に溢れた町の中に、つい眩しい銀色を探してしまうほどに、俺は万事屋に惚れているのだと改めて思った(どこの乙女だチクショウ)。
夕方の巡回を終えた後で残っていた書類を片付け、連絡した通り俺は万事屋の家に向かった。
右手で、先ほどコンビニで買った酒やつまみや、自分用には絶対買わない甘味がビニール袋の中で揺れる。
その音がまるで、早く、と急かすようで。
だから俺はわざとゆっくり歩く。つまらない意地だと分かっているが、それでも少し悔しい。
ガサガサ五月蝿いビニール袋を気にしない振りして歩き続けた。



短くなった煙草を携帯灰皿に押し込め、すぐに新しい煙草を咥える。
ライターの火を消すと同時に、ふいに暗闇が晴れて視界が良くなった。
柔らかな明かりは空から降っていて、見上げた先で、雲から顔を出した月が光を放っていた。今夜は満月だ。
それに口の角を持ち上げ、さしかかった橋に足をかけた時、月明かりが川の水面で反射していて目を向ける。
すれば、緩やかに流れる水の上を、何故か色とりどりの小さな色紙がゆっくりと流れていくのが見えた。

「なんだ…?短冊?」

よく見ればその色紙には一つ一つ文字が書かれており、細長い形から短冊だと分かった。
だが何故、笹の葉に吊され風に揺れているはずの短冊が、こんな町中の小さな川を流れているのか分からず首を傾げると。

「あ!私の短冊が一番速いアル!さすが私が書いただけあるネ、お前らの短冊とは格が違うアルな。新八のはダメダメアル。さすが駄眼鏡ネ」
「ちょっと神楽ちゃん、さすがって何が!?全然褒めてないよそれ!?」
「おら、どけオメーら。さっさと次流すぞ」

耳に届いた、聴き慣れた声。
短冊が流れてきた方、つまり川の上流に目を凝らせば、予想に違わずよく見知った姿が見えた。銀色がキラリと反射する。
足早に橋を渡りきり川沿いの道を歩く。
その間にも短冊は流され、月明かりに照らされた水の上を彩っていた。

「おし、これで最後――」
「万事屋、」

川原に下りて背後から声をかければ3人とも此方を振り返り、俺の姿を認識した真ん中の男――万事屋が小さく、あ、と声を漏らした。

「よォ、土方。お勤めごくろーさん。早かったな」
「こんばんは土方さん」
「もう来たアルかマヨラ」
「…テメーら、ここはゴミ捨て場じゃねェぞ」

振り返った3人の手にはそれぞれ何枚かの短冊が握られとおり、先ほどの短冊流しはやはりコイツらの仕業だったのだと分かる。
単純に七夕が終わったから捨てているのかと思ったが、それにしては随分な量だし、第一川に捨てるのは不法投棄で条例違反だ。
ため息を吐いてじとりと睨めつけ、しょっぴくぞと脅してやれば、違うんです!と眼鏡が慌てて言った。

「ほら、今日は七夕だったじゃないですか。それで短冊がたくさん余っちゃって、」
「だから川に捨てようってか?弁解になってねーぞ眼鏡」
「ナチュラルに眼鏡って呼ばないでくれませんか。それに別にこれは捨ててるんじゃなくてですね、」
「バタバタ送りアル!」
「は?バタバタ?」
「“七夕送り”な」
「七夕送り?」

チャイナの訳が分からない単語に疑問符を浮かべると、万事屋が手の中の短冊を流しながら訂正した。
川の流れに乗って短冊は流れていき、一面が様々な色で覆われた。それを目で追い、聴き慣れない言葉に俺は首を傾げる。

「ってオイコラ、何フツーに流してやがる。本当にしょっぴくぞ」
「まあまあそう言うなよ。これも日本の古き良き文化だって」

そんな俺の様子に万事屋は苦笑を浮かべて立ち上がり、ぽんっとチャイナの頭に手を乗せた。

「七夕が終わったら、笹と短冊を海や川に流すっつー風習らしいぜ。コイツがテレビで見たらしくて、やりてェって騒ぐもんだからよ」
「…まだ今日は終わってねーのに、気が早ぇな」
「色いっぱいでキレイだったアル。女はキレイなものが好きアルよ。華やかさが足りない男どもも、これで少しはマシになるヨ」
「華やかさは関係ないでしょ神楽ちゃん。海はちょっと遠いんで近くの川でやることになって。それで、短冊が余ってたんで、せっかくだからお願い事書いて一緒に流そうってことになったんです」
「だからって何で短冊流すんだ。意味が分からねェ」
「まあ供養みてーなモンじゃね?願いを叶えてくれてアリガトーって感じで」
「でも毎日三食卵かけご飯は叶わなかったアル」
「当たり前だボケ。ンなもん毎日食ってたら夢の中まで卵まみれになんだろ」

乗せた手でチャイナの頭をべしりと叩く万事屋。
確かに毎日三食卵かけご飯は勘弁してもらいたいなと心の中で思った。



供養。万事屋はそう言った。
願いを書いた短冊は水に呑まれてやがて消えていく。
供養は慰めのためのもの。果たしてそれが本当に慰めになるのだろうか。
一体何を、慰めるというのだろうか。
眼鏡とチャイナも残りの短冊を流し、水面は再び彩られた。小さくなっていく色紙をじっと見つめる。



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