短編2

□勧酒
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君に勧む金屈巵


満酌辞するを須いず


花発いて風雨多し


人生別離足る










何度か忍び込んだことのあるここに来るのは何時ぶりだろうか。
そう遠くない記憶の糸をたぐり寄せてみれば、あれは確か薄紅色の花びらが風に舞っていた季節のこと。とすれば、もう1年前になるのか。まるで昨日のことのように思い出せるというのに、何時の間にか季節が一回りしていた。
刹那的に過ぎていく日々に柄にもなく少しだけ思いを馳せて、月明かりが降りそそぐ縁側へ腰を降ろす。拍子に、提げた酒が揺れて、透明な水面が瓶の内側をぱしゃりと叩いた。
ふう、と軽く息を吐いて中庭に目を遣る。庭の中心に立つ大樹の薄紅が柔らかな光によって白く輝いているようにも見えた。
夜空に向けて堂々と枝を伸ばすそれを銀糸の隙間から何とはなしに眺め、着流しの袖から取り出した猪口に持って来た酒を満たしていく。
1年前もこうして同じ場所に座り、酒を飲んだ。
誰もが寝静まった夜半過ぎ。街の明かりが遠いここで、月に照らされた満開の桜を肴に肩を並べて。
また来年も飲みてぇなと零せば、一人で勝手に飲んでろ、なんて。今思い出しても、つれない態度に自然と口許に笑みが浮かぶ。
嗚呼、本当につれない男だ。






真選組副長土方十四郎という男は約束をするのが嫌いだった。
2人並んで酒を酌み交しても、去り際には必ず「じゃあな」と言った。
次は何時、何処で、なんて話などしたことがない。向こうから連絡を寄越してくることもなかったので、此方から出向か無ければ本当に偶然に頼るしかなかった。
今思えばそれは、あの男の覚悟のようなものだった気もする。
数え切れないほどの人間や天人を斬ってきた手。命を絶つ行為。誇りを護る剣。
明日は我が身という日々の中で、約束などという不確かなものを盲信するなど望めるはずもないし、望むつもりもない。
遺してしまうのならば、始めから何も持たないように。持たせないように。後に悔やむことの、ないように。
土方にとって、それは心おきなく戦場に立つための覚悟だった。
それでも、一度だけ。
たった一度だけ飲みに行こうと約束したことがある。
頑くなな土方を得意の口八丁で言いくるめてやっともぎ取った些細な約束。
結局それは捕り物のせいで反故にされてしまったけれど。
けれど、押し負けて不機嫌になった土方がじゃあな、と言って背中を向けた時に一瞬だけ見えた耳が真っ赤に染まっていたから。
だからそれだけで満足だった。
それ以来、土方と約束を交したことは一度もなかった。






くい、と傾けた猪口から流れ落ちる酒が咽喉を焼く。
夜風に揺れる枝から薄ら紅が舞い上がる。
煌々と照らす月明かりが庭に、縁側に、そして主の居なくなった部屋に、桜吹雪の影を落としていく。
それは嵐のように視界いっぱいを埋め尽くして総てを包み込んでいった。その光景に、まるで世界からただ一人切り離されたような錯覚を覚えて。
だから瞳を閉じて酒と一緒に飲み下すのは後悔の味。
『次』を待つことに臆病だったあの男と、『次』を作れなかった臆病な自分。
「またな」というたった一言を聞くことも言わせることも、ついぞなかった。

(一人で勝手に飲んでろ、か)

ああ、本当にそうなってしまったよ。
だけど、お前は覚えているか。

(絶対ェ来年も2人で飲むぞって、俺は言ったんだ)

空になった猪口に酒を注ぐ。ここに来てから全く中身の減っていないもう一つの猪口にも酒を注ぐ。波立つ水面に花びらが揺れた。
あの時、お前はただ薄っすら笑って何も言わなかったから、『約束』ではないけれど。
それもまた、果たすことはできなかったけれど。

(お前が、本当は楽しみにしていたことを、知っていたよ)

夜空に輝く大きな満月と。
ひらひら舞い散る桜と。
思い浮かぶ、困ったような、けれど何処か嬉しそうな土方の笑みと。
最高の肴だと、猪口の口を軽く鳴り合わせて。
薄く口の端を持ち上げて、銀時は銀色に反射する酒を飲み干した。










この盃を受けてくれ


どうぞなみなみつがしておくれ


花に嵐のたとえもあるぞ


さよならだけが人生だ






(さあな、知ったことかよそんなもん)


(だったらあの世でまた酒を飲もう)






end.

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