短編2

□「おかえり」「ただいま」
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77777キリ番リクエスト。ぱいな様へ






玄関を開けてまず目に入るのは、誰もいない部屋。
カーテンの閉められた薄暗い部屋の奥に見えるコタツの上には、今朝の食器が無造作に置かれたまま。
見慣れた光景。静かな空気。肌に刺さる沈黙。

「…ただいま」

呟いた言葉に返る声はない。ドアノブを握っていた手を離せば、次第に光を失なう部屋と、何時までも立ち尽くしたままの俺の耳に、ガチャンと閉まる扉の音が虚しく響いた。






高校生の時から付き合っている俺と銀時は、高校卒業を機に同じ部屋に住み始めた。
俺は大学に進学、銀時はフリーター。本人曰く、「俺ァ自由にやりてぇんだ」とか宣っていた。
お互い金のない貧乏人で、随分探し回って見つけた、ボロいけれど8畳一間の安い部屋。2人でバイトしつつ、普通に暮らしていく分には十分だった。
「おはよう」「おやすみ」「ただいま」「おかえり」。朝から晩まで繰り返し。
喧嘩もよくするが、それ以上に、好きなヤツといられるのはやっぱり嬉しくて倖せで。
一緒に笑って過ごせる、大の男2人が住むには狭いこの空間が俺は好きだった。
そんな中、銀時と喧嘩した。原因はアイツで、俺が銀時に預けたアパートの家賃を、パチンコで全てすってしまったのだ。

「悪ィ、今度ちゃんと返すからよ」

そう言ってアイツはへらりと笑った。前にも何度か同じことがあり、初めのうちはふざけんなこのマダオ!と派手に喧嘩していた。
しかし言葉通り銀時は、遣った家賃をバイトしてちゃんと返してくれたし(俺の機嫌取りのために、一緒にマヨを大量買いしてくることもあった)、土下座しそうな勢いで謝りまくられてしまっては、俺の良心もさすがに痛むわけで。
結局許してしまう俺は、相当アイツに甘いんだ。お互いに自覚がある分タチが悪い。
だがこれも惚れた弱みというやつか。許した時に見せる、心底ほっとしたような銀時の笑顔が、実のところ、好きだったりする。
その表情を見ただけでまぁいいか、なんて思ってしまう俺は相当末期だ。
だから、その日も何時も通りすぐに仲直りするはずだった。

「――…いい加減にしろよテメェ」

だけど、その日は朝から寝坊して、大事な授業のテストに出られなくて。何とか教授に掛け合って、代わりに出された大量のレポートの〆切は翌日。
時間に追われながらもやっと半分まで完成したところで、先日フった女の彼氏に、よくも俺の彼女に手ェ出してくれたなとか訳の分からねーいちゃもんを付けられて。おかげでバイトまでの空いた時間、そいつを振り払うのにほとんど費やされた。
もちろんレポートの残りは家に持ち帰るハメになった上、バイトに行く途中に財布を盗られるわ、警察で事情聴取されるわ、バイト先では酔っ払いの親父やねーちゃんに絡まれるわで、かつてないほどの疲れと苛立ちが一気に溜った。
今思うと、完全にタイミングが悪かったんだと思う。

「出てけ」
「へ?」
「出て行けって言ってんだ。テメーみてェなだらしのねェヤツに何度言っても無駄っつーことが良く分かった。テメーのだらしなさには、もううんざりだ」
「マジで悪かったって。もうやんねーから、」
「そのセリフを言うのァ何回目だ?何回嘘つくつもりだ?あァ?」
「それは…」
「もういい」

苛立ちを隠さないデカイため息と共に、

「お前の面なんざ見たくねェ」

言ってはならないことを、口にした。
俺の言葉を聞いた銀時がどんな顔をしていたのかは分からない。ただ、荷物を放り投げて風呂場に直行し、シャワーを浴びて再び部屋に戻った時には、銀時の姿は何処にもなかった。
代わりにコタツの上にはラップに包まれたチャーハンと真新しいマヨネーズが一本、それと『腹減ってたら食え』と書かれたメモが一枚置かれていた。

「……ふん、」

機嫌取りのつもりか、バカヤロー。
無視して、さっさと寝てしまおうと洗面所へと足を向けた時。

――ぐうぅぅ…

まるで図ったかのように盛大に腹の虫が鳴いた。確かに何も食っていなかったけれど、何もこのタイミングで鳴らなくてもいいだろうに。何だこれ、漫画かチクショウ。
誰もいないというのに何処となく居心地悪くなって、それをごまかすように乱暴に座った。そしてラップを剥がし、すっかり冷たくなったチャーハンの上にマヨをかける。
帰ってきたら覚悟しとけよあの野郎、と胸の中で舌を打つ。
何時もよりマヨは少なかったけれど、掻き込んだチャーハンは美味かった。



喧嘩した直後は、どうせすぐに帰ってくるに決まってる、と高を括っていた。
だけど予想に反して銀時はこの部屋に帰って来なかった。
ちょっと言い過ぎたかと思ったけれど、確かに悪いのは銀時だし、八つ当たりぎみとはいえ俺の言い分は正しかったはずだ。
今回はさすがに効いたのだろうとさして気にすることもなかったけれど、4日目、5日目となるにつれ、電話どころかメールすらしてこない銀時に、だんだん不安が頭をもたげてきた。
今アイツは何処にいるのか、どうして連絡ひとつ寄越さないのか――もしかして、本当に出て行ってしまったのだろうか。
出て行けと言った手前、俺から連絡するのには抵抗がある。とりあえず高校の時の知り合いに銀時のことを聞いてみたが、皆知らないと言うばかり。銀時が何処にいるのか、全く分からなかった。

「何やってんだ…ったく」

そしてあれから一週間が経った今日も、開いたケータイの画面は相変わらず今の時刻を示すだけ。メールの受信も電話の着信も何もない。小さく息を吐きケータイを閉じた。
部屋の電気をつけて靴を脱ぎ、廊下を歩く。心のどこかで銀時の気配を探しながら奥の部屋に入るが、やはりそこには誰もいなくて知らず肩を落とした。
のろのろと出しっぱなしにしていた食器を片付け、買ってきたコンビニ弁当とマヨネーズを袋から取り出す。
遠慮なくたっぷりとマヨをかけると、それに反応した俺の腹がぐるぐると音をたてた。そして口いっぱいにおかずを頬張れば、マヨネーズの酸味とまろやかさが絶妙な味わいを生み出し、一瞬倖せな気分になったのだが。
どうしてだろう、何故か美味いと思えない。
今日だけじゃない。ここ最近は何を作っても、何を買っても、マヨネーズをかけているにもかかわらずあまり美味いと感じないのだ。
腹が減るから飯は食う。
けれどそれは単なる義務的な行為でしかなくて、結局は何を食べても同じ。こんなにも味気なく感じたのは初めてだった。自然と箸を持つ手が止まる。
そして最後に美味いと思ったのは何だっけと考えれば、一週間前に銀時が作ってくれた、冷たくなってしまったあのチャーハンが思い浮かんで。
そうしたら、何だか無性に銀時に逢いたくなってしまって。

「――早く帰ってきやがれクソ天パ」

小さく吐いた悪態を飲み込むように、俺はコンビニ弁当をただひたすら食い続けた。



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