宝物

□ひととせちとせ
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 七月七日。
 放課後の教室はどこか不安げだ。橙の夕色が陰を作っている。
 銀色はその色をきらきらと跳ね返して吸い込んで、まるでもともとオレンジの髪だったような錯覚に陥らせる。

「おー…忘れもん?」

 背部分を前にして椅子を跨いでいた銀八は、ぼうと教室の後ろを眺めていた目を土方に向けた。ぶらぶらと揺らした手には短冊がひとまとまり。

「あ、いや」
「テスト前だから部活休みだよな?」
「図書室で勉強してて、教科書置きに」

 腕に抱えた教科書を机にどさりと置き、一冊一冊持ち帰るものと置いていくものとをより分ける。
 それを教室の一番後ろの席に陣取った銀八はやはりぼんやりと眺め、それからおもむろに口を開いた。

「送ってこうか」
「…え」

 送る。去りゆくものに、別れがたくてついて行く。行く人につき従って守って行く。

「教科書、重くね?」
「いや…で、も」
「オレもいま帰るし。土方ん家こっから駅のほう行ったとこだろ?通るし」
「…まずくな、いですか」
「全然?」

 オレンジ色の銀八のことを、土方は知らない。いつもの作ったような隙のないやる気のなさとは違う、何か、やるせない、といった貌を覗かせる、しかしそれにも気づいていなさそうな無防備な顔。

「乗ってきなよ」

 頷いた途端に、また心臓が暴れ出した。もう本当に止まれと、掌を握りしめる。











++++


「先生…車でしたっけ」

 何度目かの信号を過ぎたとき、不意に助手席の土方が言った。
 あれいまさら?

「原チャ修理中なんだわ」
「ふーん」
「あんだよ土方〜元気ねえな」

 右手でハンドルを握ったオレは空いた左で土方の髪をかき回すように撫でる。
 つやっつやしつつも硬い感触に、ああこいつやっぱり男の子ねえと当然なことを思う。

「べつに、普通です」
「眠い?」
「や、まだ夕方なんで」
「でも予備校行ったり大変だろーよ」

 きゅうう、と荒く右折すると、わ、とちいさく土方がつんのめった。
 やべっ、か〜わいー。

「今日は予備校ねーの?」
「今んとこ週二なんで…っつか、これ前の面談で言いましたよね」
「んん?んー…そーねえ」

 煙草の箱を指で叩いて一本取り出してくわえて、ぷらぷら揺らす。まーぶっちゃけ面談で聞いたこととか覚えてねーっすよ。

「…先生ってほんと適当ですね」
「なぬ!失礼な!」
「オレの予備校の予定なんて、べつに覚えてても覚えてなくてもどっちでもいいですけど」

 助手席の窓に肘をついて外を見ている土方くんの目尻がいつもよりちょっと下がっていて、優しそうっつーか、眠そうっつーか、そんな目。
 煙草に点火してライターをしまったとき、たまたま授業で余ったオレお手製の紙切っただけ短冊が目に付いた。

「土方さあ、えーと、大学?」
「進路ですか?」
「いやいや、願い事」
「ああ」
「そんなね、根詰めるんじゃありませんよ」

 煙を逃がすために細く窓を開けると、外界の風の音や人の声なんかが入ってくる。
 いつのまにか夕景は夜景へと姿を変えていた。

「…はい」
「あー自分で言っててオヤジ臭ぇなあ」
「つーか先生」
「え?」
「家過ぎた…」

 ええ。
 え。
 ちょ、マジでええ!!?

「言えよ!過ぎた瞬間に言えよ!」
「あんたがなんか深刻な顔して大学について聞いたりするからじゃないですか!」
「しかもここ一通じゃねえか!」
「あー…、家、すぐだし。降ります」

 屈んで足元に置いた学生鞄に手を伸ばす土方の後頭部をがしりと掴む。

「なに、」
「待て待てそらぁ男が廃るだろ。彼女を家まで送るっつったのに通り過ぎちゃってごめんねちょっと歩いてねなんて言えるわきゃねえだろうが!」
「…彼女じゃないです」
「例え話だよ!その露骨に嫌そうな顔やめろ!」

 言ってる間にも車はどんどんと土方家から離れていくわけで。迂回しようにもめちゃくちゃ面倒くせえし。あー地元なら裏道知り尽くしてっから楽勝なんだけどな。えーと…自然公園を突っ切ったらそんなでもねえか?

「自然公園…」

 そうそうそこそこ。…ん?いまのオレの心の声じゃねえよな?

「自然公園、通り抜けたら、近い、です」
「…どったのカタコトで」
「手どかしてください」
「お、悪ィ」

 起き上がった土方はなんだか難しい顔をしていて、ああ困らせたかなーとちょっと思う。なんだかんだとお節介おじさんになりつつあるのに自覚はあるんだけどね。しかもそのお節介がこう、今みてえにちょっとダメな方向に向いちまってるってわかってはいるんだよ。
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