宝物

□ひととせちとせ
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 土方の手のなかの長方形の紙片は汗でやわくなっている。乱暴に握っているものだから皺の寄ったその、短冊には、まだなんの文字も書かれていない。
 そもそも高校生、それも最終学年の生徒に向かって、短冊に願い事を書けという国語の授業は如何なものか。

(あほらし…)

 机に突っ伏して腕に顎を乗せ教室の景色を眺めると、生徒の大半は真面目に願い事を書き連ねているらしいことが見て取れる。
 近藤が短冊一杯に妙、という一文字を大書きしているのが見えた。

(らしいけど…それは願い事じゃねえよ近藤さん)

 思いつつも弛んだ目元口元を、誰かに見られるのが嫌で土方は腕に顔を埋めた。指には短冊を挟んだまま。
 色紙を用意する気概もなかったようで、短冊は素っ気ない白の紙。それがこのクラスの担任であり国語教諭でもある坂田銀八らしくもある。

「書けたら教室の後ろに各自貼っとけよー」

 煙草を吹かしながらジャンプをめくりめくり言った銀八に、教室からぱらぱらと返事が返る。
 もちろんそのなかに土方の声は含まれていない。

(大学合格…で、いいか)

 まるでご利益の無さそうな安っぽい短冊に書く文言を決めた土方は顔をあげてシャープペンからカチカチと芯を出した。
 本当はマヨネーズ千本欲しいだとかそういう回答が銀八を喜ばせるのだろうと思いはする。

(実際、大学よりマヨのがいい)

 しかしシャープペンが書き記したのは"大学に合格できますように 土方"。

 後ろの掲示板に行くために立ち上がると、すでにクラスの人数の半分ほどの思い思いの願い事が書かれた短冊が思い思いの場所に貼り付けられていた。無邪気な他愛ない願い事は様々で、女子の短冊は色ペンやプリクラで可愛らしく飾られている。
 それらのなかに自分の夢のない願い事を交えるのが躊躇われて、土方はほんの一瞬気圧されたように立ち止まったが、誰にも聞こえないように小さなため息を吐いてから今度は真っ直ぐに掲示板に向かった。
 歩数で言えばわずかに十歩足らず。

「"大学に合格できますように"」
「あ?」
「夢も希望もねえ願い事ですねィ。これは絵馬とは違いやすぜ」

 隣で土方の手にした短冊を読み上げた沖田は、これだから土方はダメなんでィと理不尽なことを言いながら、掲示板にぺたりと自分の短冊を貼った。

 "良いメス豚が手に入りますように。あと土方死ね"

「総悟てめえ…!」
「残念ですけど土方さんはメス豚にはなれやせんねィ。豚は合格なんですけど」
「頼んでねえよ!」
「マヨラはマヨラ失格アルな〜。願い事にマヨネーズ書かないようではお前ただのマヨネーズ好きな変態ネ!」
「なんでだよ!何の基準だよ!つかお前も"故郷に帰りたい"とか重ぇよ!!」

 沖田と神楽に五月蝿くまとわりつかれて周囲への注意が散漫になった土方は、後ろから銀八にのしかかられるまでその存在を露ほども感知できなかった。

「はいはーい。授業中は静かにね」
「…っ、…」

 ばくん、と面白いほど跳ねた心臓の音をどこにも逃がすまいとするように土方はとっさに唇を噛む。拍動にあわせて速くなる血流が頬にも血を運んで、土方の薄い皮膚はその色を通して微か色づいた。

「お〜なかなか良いじゃねーか。七夕って感じだね〜」
「…重い、です」
「土方の願い事は真面目だね〜。えらいえらい。じゃー特別に先生がど真ん中に貼ってやろう」
「あ、ちょ」

 掌から抜き取られた短冊は宣言通り掲示板の中央に、すこし斜に傾いで貼られた。

「終わった奴らは次のテスト範囲の勉強しとけよ」

 教卓に戻る銀八の手がぽすぽすと土方の頭を撫でるようにかるく叩いて、神楽の頭ももう片方の手でぐりぐり撫でさする。うきゃー何するアルと嬉しげな悲鳴をあげる神楽に対して土方はそろそろ本当に爆発しそうな心の臓が止まりますようにと、大学合格よりマヨ千本より切に願った。


(あほらしい…)



 教室の後ろの掲示板の真ん中の短冊は、傾いだまま七夕を迎えた。
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