短編
□月籠の胡蝶
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再会から二度目の春が来た。
窓から見える桜は毎年鮮やかな桃色に染まり、俺の目を楽しませてくれる。
この季節が楽しいと思えるのはこれで二度目だ。
いや、この季節だけではない。
夏も、秋も、冬も。どんな季節もアイツがいれば楽しかった。
今なら言えるかもしれない。
『人生は薔薇色だ』と。
なのに―――――
月籠の胡蝶
〜ツイラク〜
「…今、なんて言った…?」
それまで和やかだった空気が一変して張り詰めた。
頭上から落とされたその言葉に、体が硬直したのがわかる。
「…ごめん」
悲しげに投げ出された言葉は、心に重くのしかかる。
「な…んだよ…。急に…」
「急じゃないんだ。去年から決まってたことで…」
「ならなんで此処に来る!?またいなくなるのに、なんであのまま姿を消さなかったんだよ!!」
寄り掛かっていた体を起こし、浜田につかみ掛かる。
浜田は傷ついたように目を細めたが、そんなこと今は気にしてなどいられない。
「変な期待持たせといて…、あんな約束しやがって!!」
手を離して突き飛ばしても、一日中部屋に篭っている男の体力など高がしれている。
浜田はよろけることもなく、ただ悲しそうに目を伏せている。
それが、浜田の言葉は紛れも無い真実で、自分にはどうすることも出来ないのだと証明しているようで、無意識のうちに歯を食いしばっていた。
「……出ていけ」
「泉?」
食いしばった歯がギシリと鳴る。
歪む視界を上げて浜田を睨み付ければ、その姿もぼやけていてよく見えなかった。
「出ていけ!!もう二度と此処に来るな!!!」
叫んで部屋を飛び出せば、その喧騒に驚いたのか他の部屋から兄さん達が顔を出していた。
けれど、今の自分にはそんなことに構っている余裕などなかった。
独りになりたかった。
初めてずっと一緒にいたいと思える人に出会えたのに、その人は海を越えて手の届かない所へ行ってしまう。
仕方がないことなのはわかっている。
自分をずっと、優しく愛してくれたこともわかっている。
けれど、自分にはあの人しかいないのだ。
閉じ込められた檻の中で、初めて出会った光。
月の晩に出会える太陽。
それがあの人だったのだ。
たった一つ、心から手に入れたいと望んだものが消えてしまった。
紅い衣が涙で濡れる。
窓から差し込む月の光は、柔らかな窓枠の影を泉の上に落とす。
俯いたまま座敷に映るその影を見れば、まるでそれは月影で出来た籠のようだった。
「…兄さん、浜田様は半月後に英国に発たれるそうです」
「………」
ぼんやりと壁に寄り掛かって窓の外を眺めていると、控え目な声が入口からかけられた。
襖は開け放しているため、小さくてもその声ははっきりと耳に届く。けれどその声には答えず外を見続けていれば、小さく息を吐く音がした後に床がギシリと鳴り、遠ざかっていく足音が聞こえた。
あれから半月が経ち、浜田は再びこの店に姿を現さなくなった。
貿易商である浜田はその仕事柄、外国を訪れることも多いという。最初に音信不通になった時もそのせいだったことが浜田の弁解でわかった。
それからは間が開くときは前以て教えていてくれた。
今回浜田は英国へ旅立つことになった。
今までも何度かそういったことはあったのだが、今回はそれとは違った。
帰ってくることが出来るかわからない、と言ったのだ。
頭ではわかっている事も、心は受け入れようとはしなかった。
旅立ってしまえば再び会えるかわからないのだ。
旅立てば最後、永久に会えない可能性が高い。
二度と浜田に会えない。
そんな事に堪えられるはずがない。
だからこそ、我が儘だとわかってはいるが、浜田にはそんな仕事は断って欲しかった。
自分といる未来を選んで欲しかったのだ。
「………」
選ばれなかった自分との未来。
浜田にとって自分はその程度のものだったのだと知った時、悲しくて悲しくて、腹が立った。
そして全てが嫌になってしまった。
ふと、廊下が軋む音が聞こえてきた。
その足音は小さなころからずっと聞いてきた音。
外に向けていた顔を襖にやると、ちょうど一人の恰幅のいい男性が廊下から顔を覗かせた。
自分達が『父さん』と呼んでいるこの屋敷の主だ。
父さんは上機嫌のようで、頬を緩ませている。
その笑みに、なんだか嫌な予感がした。
「コウ、喜べ。貰い手が決まったぞ」
その瞬間、俺の世界が崩れる音がした気がした。