短編

□動き出した運命
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目を閉じれば、遠く、近く、潮騒が響いてくる。
包み込まれるように聞こえるその音と一緒に、海の香が部屋に充満してまるで海の中をたゆたっているような感覚に襲われる。

陸に慣れた体にはその匂いも、微かな揺れも気分を悪くするものにしかならない。

奴隷としてこの船に”積み込まれて”1週間が経とうとしている。
仕事にはもう慣れた。けれど、海の上特有のこの空気にはまだ慣れることが出来ない。



「どうしたの?」



就寝時間をとうに越えた深夜に、泉はそっと布団を抜け出そうとした。
すると、人が身動きする音がして寝ぼけたような、掠れた声が聞こえた。



「ワリィ。起こしたか?」



隣のベッドで眠っていたのは、同い年の栄口という少年だ。
奴隷は基本的に若い少年が多い。みなしごだったり、親に売られたり、時には掠われてきたりと理由は様々だ。

この船にも、何人かの奴隷がいる。
その中で、この栄口は年齢が一緒ということもあり、泉と最も仲がいい少年だ。



「ううん。大丈夫だよ。…トイレ?」



むくりと体を起こした栄口は眠そうな声で尋ねる。
昼間の過酷な労働で疲れ切っているのだろう。



「いや、ちょっと風に当たってくる」

「え?見つかったらヤバイんじゃ…」



この船のみならず、この世界で奴隷は最下層に位置する。
奴隷に自由などなく、人権すら存在しない。
もし勝手に船をうろついているのを見つかれば、良くて飯抜き、悪くて処罰室行きだ。

栄口はそれを知っているため、心配そうな声を上げる。
泉ももちろんそのことは肝に銘じている。

しかし、今日は無性に風に当たりたいと思っていた。



「大丈夫。見つからないようにする」

「でも…」

「ほら、明日も早いんだ。栄口は寝てろよ」



少し強引に栄口をベッドに寝かし付けると、暫くは気を揉んでいた栄口も疲れからかすぐに寝息を立て始めた。
それを確認した泉は今度こそベッドを抜け出した。
















ギシリと湿り気を帯びた床が軋んだ。
その音に一瞬ドキリと肝を冷やしたが、波に揺れる度ギシギシと揺れる船にはそのような音は日常茶飯事で、誰かが部屋から様子を見に出て来ることはなかった。
ホッと息を吐き、泉は甲板へと続く階段に足をかけた。


部屋の中よりも強い潮の匂いが鼻をさした。
けれど部屋の時よりも不快感が募らないのは、きっと風に乗って運ばれた新鮮な匂いだからだろう。

船にたたき付けられた波の音が聞こえる。
静かで真っ暗な海には、月明かりを受けてキラキラと輝く海面以外何もない。


泉は階段から甲板を見渡して誰もいないことを確認すると、静かに甲板に出た。
ゆらゆらと不規則な波に揺れる甲板を歩いて船頭へと近づく。
船頭脇の手摺りに捕まって前を見れば、無限に続く黒い海がある。

一回、二回、大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。

狭い部屋に押し込められて生活する泉は、そのつかの間の開放感を存分に味わっていた。



「おい!そこにいるのは誰だ!?」



闇夜を切り裂く声が、突然泉の頭上から響いた。
驚いた泉が思わず顔を上げると、見張り台から顔を覗かせた船員の姿が見えた。

どうやら見張りがいたらしい。

夜行する船では当たり前のことに、泉は気付かなかったのだ。



「子供…?奴隷か!」



帆の縄を慣れた様子で一気に下りてくる船員に、泉は慌てて逃げようと踵を返した。

その瞬間、泉のすぐ右手で水柱が上がった。



「な、なんだ!?」



突然大きな揺れが船を襲い、泉も船員も甲板にたたき付けられるように倒れた。
揺れによって誰もが目を覚ましたのだろう。船内から混乱の叫びが聞こえてくる。



「か、海賊だー!!」



揺れ続ける甲板に必死にしがみつく泉から少し離れた所で先程の船員が手摺りを掴んで暗闇を凝視しながら叫んだ。

その声は船内にも届いた。

すでに混乱極まる船内からは、更に怯えが混じる叫びと逃げ惑う船員たちの足音が聞こえている。
たった一つの甲板への入口からわらわらと船員たちが溢れ出て来る。



「大砲だ!」

「うわぁ!!!」



暗闇の中から突如黒い、丸い物体が船に向かって飛んで来た。
それは船の少し手前で海に墜落すると、高い水柱を作り船を揺らす。

何人かの船員が揺れによって手摺りを乗り越え、黒く光る海の中へ落ちていった。



「か…海賊…」



泉は大砲が飛んで来た方向に目を凝らした。
すると、闇夜よりも更に暗い漆黒の船が、まるで闇から溶け出たように現れた。
黒い帆に描かれた白い骸骨の絵だけが暗闇にぼんやりと浮かび上がり、恐怖に拍車をかける。



「…栄口…!」



ガクガクと震える足で立ち上がると、泉は船上で唯一の友人の元へと駆け出した。

背後からは荒くれ者たちの野太い叫びが黒い海を挟んで響いてきた。





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